無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ベストアルバムとツアーの連動企画とはいっても、世の中にはライブコンサートに関心のない層が一定以上に存在する。確かに、千円で音楽が幾らでも聴き放題なのにたった二時間余りの為に一万円とかのお金を費やすのは馬鹿馬鹿しい事この上ないと思うのも無理はない。その為に休暇を取ったり早退したり交通費や宿泊費を払ったりして、それだけやって聴けるのが家のステレオで聴くより粗い音質と、歌詞は間違うわ音程は違うわで音源より劣化した歌、更に周りにはあれやこれやと掛け声を掛けるうるさい客がたくさん居るし、前の方が立って騒ぐものだから落ち着いて座って観賞もできやしない。途中でトイレに行くのもハードルが高いし、飲んだくれるのも如何なものかとなれば、どうしてそこまで不自由な思いをしてナマの公演に赴かないといけないのか甚だ疑問になることだろう。席によっては遠過ぎて全然アーティストの表情もわからない豆粒状態だったりするし、だったらお家で幾らでも大画面でドアップの表情を堪能しながらゆっくりお酒を飲んで美味しい料理を餐じて歌を聴いていた方が音楽鑑賞としてはずっといいではないか。クラシックのコンサートのように生楽器演奏ならともかく、ポップ・ミュージックのコンサートなんてアンプとスピーカーを介した音でしか聴けないわけで、だったらお家で聴くのと違いはないでしょ、それに…

…と、幾らでもライブコンサートに行かない理由を並べ立てる事が出来る。ふむ、
なるほどそうは仰いますが…

…と、ここでちょっと考えてしまう。いつものようにこのタイミングで「ナマのコンサートを観に行くことの醍醐味・魅力」を語り始めてよいものだろうか。万が一それを読んで「そうか、じゃあ次の公演は応募してみようかな」と思われたら、あれま、抽選の倍率が上がって私が当選する確率が低くなってしまうわ。そんな本末転倒なことに力を貸していいものかしらん…?

ふむ。ものは考えようってヤツですわね。今度の抽選応募も前回のツアー同様「同伴者1名OK」というルールなら、読んで翻って応募して当選した人から「折角だから一緒に行きませんか」というお誘いが来るかもしれない。その確率で最初に下がった当選確率を相殺できるかもしれないな。うむ、ホントにものは考えようだな。

ではプラスマイナスゼロということで、引き続きこの日記に於いてはライブコンサートの魅力について率直に語っていくことにしますかね。


まず、コンサートチケット料金というのは「参加費」なのだ。鑑賞料金とはちょっと違う。自らもその空間を創り演出するパーツの1つとしてその日その場所に参画する事が、コンサートチケットを買う目的になる。それは、黙って座って聴くだけのクラシックのコンサートチケットでも同様だ。一人の人間がただそこに座って二時間黙っているだけだとしても、それはそれでひとつの強烈なステートメントに成り得る。もっと踏み込んで言えば、あなたがそこに居る“威力”というものは、想像以上に大きいのである。

たとえ2階席の最後列に居たとしても、ステージから離れてるし物陰でよく見えないから別に何してても大丈夫だろうとか思っていても、寧ろステージからはよく見えるものなのだ。後ろの方まで注意を向けようと思えばまず最後列から見て回るもんね。そこに居る人がつまらなそうにしているか盛り上がってるか聴き入ってるかで、舞台上の人間のテンションは変わってくる。それで気落ちするのかギアが入るのか、演奏をミスするか気合いが入るか、それはわからないが、あなたがそこに居るだけで、いつそのスイッチの上げ下げに影響を与えるかわからないところが、ナマのコンサートの魅力の1つなのである。一万円以上の料金を払って、あなたが何か芸術的鑑賞から福音や利得を得るかというよりは、寧ろどちらかといえば、それによってアーティストの人生に影響を与えるかもしれない権利を得るのがメインなのだ。人によっては目が合うぞ。質問に答えてくれるかもしれない。幸運を極めると誕生日を祝って貰える。本当だぞ。17年前の今日発売になった『UTADA UNITED 2006』DVDのMCをどうか観返してみてほしい。

それに価値を感じるかどうかが、コンサートに行く行かないの基準の1つになるかと思われる。あなたがアーティストにもたらせるものは、あなたの想像以上に大きいものなのだ。そこに居るだけで、誰かの人生を変えるかもしれない。そんな契機を創る空間こそが、ライブコンサート会場なのである。

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