無意識日記
宇多田光 word:i_
 



でその歌詞がこちら。

『キスとその少し先まで
 いったこともあったけど
 恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ
 (そゆことそゆことそゆこと)』

百合的親友ポジションからすれば、特に女子の場合恋愛関係に到らずとも遊びでだったりふざけてだったり或いは仲良しのしるしとしてキスをするのは無くはない、筈なのだ。その昔「欧米では挨拶でキスをするのよ」と言われて「そ、そういうもんか」とドギマギしていた向きからすると“進んだ関係”だなぁと感心するしかない(なんだこのそこはかとなく昭和な匂いのする独白は)のだが、『その少し先』とまで言われると放っておけない。(それはお前の勝手だろw)

もっとも、この節で最も強調されているのは『恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ』の方だ。ここの歌い方は大変に力強く、1番の同じ箇所とは別のメロディラインをとっている。更に、宇多田ヒカルには珍しい事に、三連符まで駆使して言葉を強調している。更に更にダメ押しで最後の『(そゆことそゆことそゆこと)』で念押しをする。『Time』全体の中でも屈指のセンテンスだ。

この「既存の枠に囚われない姿勢」というのが『Time』では非常に強調されている。冒頭からして『カレシにも家族にも言えないいろんなこと あなたが聞いてくれたから』から入る。既存の枠組みだと相談事などはカレシや家族に持ち掛けるものだろうけど、みたいな感じだろうか。

それを踏まえた上で『キスとその少し先まで』の歌詞を吟味すると、「友達だからここまで、恋人だからここまで、夫婦なら…」といった社会的規範に束縛されない宣言としての“意地”みたいなものが感じられる訳で。

また、百合的視点からすればここは「あなた」の方は興味本位や好奇心で「先」を経験してみたかっただけな一方、「私」の方は恋愛感情にスイッチが入ってしまっている状態という、「二人の間に合意の齟齬が生まれている関係性」をも想像してしまう。意地になっているのも、その齟齬を乗り越え切れなかった事からの余裕のなさから来ているのかもしれない。

そう考えるとこの一節の切なさは倍増するのだが、だとすると「あなた」って相当罪作りな鈍感っ子という事になるね。好奇心でその先まで迫ったり男の子にフラれた時に真っ先に泣きついたり…勿論それでいいという表情を「私」がしているのだろうが、果たしてこの二人の関係性、二人の歴史は本当のところはどうだったのでしょうね。これもまた想像するしかないか。結局、「どゆこと?」という疑問はなかなか解消されないのでした。

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