翻って『Electricity Karen Nyame KG remix』の方の話を。先週カレンちゃんがラジオ出演したのでそこで出た話も絡めてね。
そもそも、リミックスってもん自体にあまり関心がない人も多い中で、こういう如何にもなトラックをリリースすると、「あ、結構です。」という反応が出てしまうのは避けられないわけで。
最近の、スティーブン・フィッツモーリスによるリミックスやm-floのTAKUさんによるリレコーディングが比較的受け入れられているのも、いつもヒカルのヴォーカル・ラインをほぼそのまま残してるから。バックのサウンドが変わったのね、で済んでるからそうそう忌避感は生まれない。
しかし、カレンちゃんはご存知の通り歌詞を大幅に削っている。ドラマティックなエンディングをまるごと省略した上2番のAメロBメロの歌も殆ど消失させている。ここらへん、歌詞を重視するリスナーからしたらなかなか受け入れ難い。特にヒカルの構築する歌詞は全体の構成力も聴きどころだから1文字でも変えるとエッセンスに響くことも珍しくないからね。
しかし、カレンちゃんはインタビューで
「普通リミックスといえばヴォーカルを分割(スプリット)したりして使うものだけど、ヒカルのヴォーカルが美しかったからそれを敢えて残して中心に据えるようにした。」
と答えているのだ。もう前提となる意識が日本語リスナーとはかなり乖離してるのがわかる。あれだけ切り刻んでおいて「残した」と言うのだから、普段はもっと跡形も無くバラバラにして使ってるんだろうね。
もっとも、カレンちゃんもそこらへんは心得てるのか、ヒカルとのコラボを“Two worlds collide”、「二つの世界の衝突」と形容していた。恐らく自身の音楽性というよりは、属するマーケット/リスナーの質の違いに関してだとは思うが。なおこの言い回し、天体が衝突し合って新しい天体を生むときとかに使うやつで、何かがぶつかって壊れるだけじゃなくて新しいものも生まれるよという意味なのでクリエイティブなニュアンスなのよ。
更に更に。カレンちゃん、「(『Electricity 』で)気になる日本語はあった?」という質問に対して
「『この街に移り住み…』の部分がまず気に入った」
と答えたのよね! いや待ってそれあんさんがいちばん切り刻んだとこやんね? 気に入ったから切り刻むってどゆこと? サイコパスなの? そんなん猟奇的過ぎない??
そうなんですよ、これがリミキサーの感覚なのですよ。普通なら気に入ったラインはそのまま残して、それ以外のところを変えてよりよくしよう、自分らしさを出そう、ってなるとこなんだけど、リミキサーさんの「気に入った」は「いい素材が手に入った!」なんよなぁ。美味しいじゃがいもが獲れたから蒸したり潰したり揚げたりして美味しくうただこう、ってそういう意味なのよね。
ここの感覚をシェアできるかどうかが、リミックスを楽しめるかどうかの分かれ目になるので、次からカレンちゃんのトラックを聴くときには、感性をその辺りにチューニングしてみると、どういう意図でこういうサウンドになったのかがわかりやすくなるかも、しれないね。
いつになるかわからないし、だれのどんな作風が来るかも検討ついてないけれど、今回の日記が次のリミックス第3弾に向けての心構えの一助になれば幸いですわ。
、、、こういうリミキサーならではの体質・思想・方法論を考慮に入れると、如何にアルカのリミックスがバランス感覚に優れてるのかがよくわかる、、、って毎回言ってますね失礼しましたっ。