何度も書いてきたように、音楽産業の漸減的な衰退ぶりの原因はインターネットの普及にあると私は考えている。メッセージの伝達や敷衍、話題の提供といった、何万年も続いてきた音楽という人の営みに、メールやらSNSやらがある程度とって変わろうとしているのだ。違法ダウンロードによる売上減などの表面的な弊害だけではなく、インターネットの登場は音楽の根源的な存在意義を揺さぶっているのではなかろうか。
寧ろ、ipodやyoutube等の登場によって音楽を聴く人が増えているという見方も出来る。LadyGAGAの曲には再生回数が4億回に迫るものもある。しかしそれでも尚、音楽に今足りていないのはもうどこでもありふれた"双方向性"である。
例えば今やアニメファンはネットなしでアニメを楽しむなんてことはしない。アニメを素材にして意見を交換したり二次創作に励んだり、そういうキッカケとしてテレビでアニメが放送されている。音楽には、そういった双方向性を支える機構が決定的に足りない。
その代わり、全世界的に"LIVE"の価値が見直される事になった。これぞ元祖双方向性。好きなアーティストと、それを支えるファン仲間たちと作り上げる圧倒的に魅力溢れる空間。エジソンが蓄音機を発明して百余年、束の間の"録音の時代"を経て音楽はまた生身の、一過性を伴った娯楽となった。
生身、一過性を最も前面に押し出してきた音楽が、ジャズである。最近では上原ひろみなんかが素晴らしいが、即興でその場のフィーリングを音の塊に変えていく手腕の鮮やかさはまさに筆舌に尽くし難い。無論そこでは聴衆の反応も大きく作用する。インターネットが普及すればするほど、その場で自分自身や、演奏仲間や聴衆たちと即興で"会話"ができるジャズという分野は誕生から100年以上経過してまた脚光を浴びる段階に来ているのではないか。
光は、昨年愛のアンセムで初めてジャズといえるサウンドを導入した(世代的にはジャズロック~フュージョンといったところだが)。が、あクマでそれは既存の気に入った楽曲がジャズの分野であったというだけで、結局曲づくりの要はその変態的に奇抜な発想力による天下無双の編曲術にあった。いつものとおり、練りに練り、きっちり磨き上げドモホルンリンクルのように絞り上げて純度を高めたサウンドだった。やっぱり生粋の宅録&スタジオミュージシャンなのだ。
ならば我々は、光の即興性にはライブの歌唱のアドリブ・フェイクくらいしか期待できないのだろうか。まだまだいい発想は出てこないが、例えば、音楽版「らくごのご」をUSTなんかで出来ないかな。ファンからチャットやツイートでお題を募り、その場でそのお題を盛り込んだ歌詞を作詞、そして作曲しその場で歌うのである。演奏や歌唱での即興性が希薄なら、作詞作曲に即興性を持ち込んでしまえという訳だ。あのCelebrateを5日で作り上げてしまうなど光の作曲スピードは年々上がっているように見受けられる。もし実現したらファンとしては堪らない企画になるんだがなぁ。
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