無意識日記
宇多田光 word:i_
 



散々「オリジナルアルバムなんてもう作らなくていい」的な事を言っているように見える私だが、もっとステップバックして発言すれば、「Hikaruにはオリジナル・フル・アルバムを作って欲しい」となる。なんでやねんという感じだが、どういう事か。

要は、現状のままでいくならもうそれはオリジナルアルバムというよりシングル・コレクション+未発表曲集なんじゃないの、だったらオリジナルアルバムだなんて名乗る必要ないんじゃない?という「呼び方」の問題なのだ。

私からすればヒカルはFirst Loveアルバムを除いてオリジナルアルバムというものを作った事がない。シングル曲をかき集めて、さぁ締め切りまでにあと何曲作るんだというプロデューサーの指示(ヒカル自身そのプロデューサーのうちのひとりだが)に従って曲を揃えているだけで、本来"そこで区切る必然性"なんてない。オリジナルアルバムという"体裁"を保つ為にある程度の曲数が必要だというだけだ。ならば名前はシングルコレクション、或いは「宇多田ヒカル楽曲集2006.9~2008.1」みたいなのが相応しい。それならわかる。

私にとってはそういうのは"作品"として物足りない。12曲揃えてその曲順でリリースするのなら、曲を足しても引いても並べ換えても魅力を減ずる、どころかそもそも作品として成り立たないようなものを「ひとつの作品」としてリリースして欲しいのだ。少なくとも、そこに"アルバムとしての名前"を付けるのならば。

本来、音楽作品の構成単位は"楽曲"である。それらに連関を与えて組曲にしたりという事はあるが、そもそもの単位は曲なのだ。アルバムだなんて形態は商売上の都合で定着したに過ぎない。(商売上有利だからこそ定着したのだが。要は欲しいものとそうでもないものの抱き合わせた売り方、ドラクエ3商法である。懐。)

だったら売り方も曲単位にしてくれ、と言っているだけである。呼び方の問題だとわかって貰えれば論旨は明確な筈だ。

宇多田ヒカルは長らくそうなのだが、一方でUtadaの2作品の方はそうではない。まずフルアルバムを作り、そこから曲を先行カットしてプロモーションに突入すやり方、早い話がアメリカ式である。これなら同じ"ただの曲数"でも随分印象が違う。最初っから14曲なり10曲なりを纏めて呈示されるのだから。相変わらず"この一枚"を"ひとつの作品"としてみる必然性は薄いが、少なくとも受け手の手順としては「まとまったひとつの作品」を受け取る所から始められる。そこから作品の内容について評価すればよいのだから。

ここらへん、大した差はないように見えるが、かなり違う。呼び方の違いに伴い"楽曲の発表間隔"が変わるからだ。そもそもそれが問題であった。

そして、いちばん大きな問題が最後に、いや、最初にある。「Hikaruは結局どうしたいの?」という点だ。恐らく、ビジネス・パートナーとしてのレコード会社の都合も考えた上でやり方を決めるのが私の望む事だという風に答えるのだろう。オファーがなければそもそも曲を発表しないのだからそれで筋は通っている。なのでもう一歩踏み込もう。「それは貴方が聴きたいと思える音楽作品なのか」或いは「それは貴方が聴かせたいと思える作品なのか」。レコード会社の都合は重要だ。彼らの協力を得られなければ原盤は制作できないし我々の元に音楽が届く事もない。現実問題として彼らの要求を斟酌しないのは馬鹿げている。しかし、だからといって今までのやり方がリスナーにとってベストだったかというとどうなのか。少なくとも私にとっては余りベストとは言えない。音楽作品の単位が曲だというのなら全曲独立して発表されるのが理想だ。例えば売れそうもない曲が出来たのならそれこそ従来のシングル盤のように「カップリング曲」としてリリースすればよい。これもまた
抱き合わせ商法だが、アルバムまるごとでそれをされるよりいい。配信なら取捨選択が出来るし、CDシングルならそもそも1曲入りと2曲入りでは値段が変わらない。

あぁ、それを言うなら誰願叶とBe My Lastのシングル盤は…という話からまた次回。(いつにもましてブツ切りだなぉぃ(汗))

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




おっとっと、前回の内容は肝心の前提の記述が抜け落ちていた。それは「昔の宇多田ヒカルのシングル盤のリリース枚数」だ。

何故オリジナル・フル・アルバム不要論(て言うても出たら買うんやで)を取り出しているかといえば、アルバムが出るまでにシングル盤が大量にリリースされているからだ。作品によっては半分以上がリリース済みというケースもあった。これだと、3000円出して新しくアルバムを買ってもお得感が薄い。今ならまだ持ってないのは配信で済ませよう、となる。6曲買っても1500円。それでも洋楽のフルアルバムと同じだけの値段になっちゃうんだけど3000円からみたら半額で済む。

これが、いきなりフルアルバムをリリースするというんだったら、いい。先行シングルを1曲、多くて2曲リリースしてすぐさまアルバムをリリース、というのならわかるのだ。それならそりゃアルバム買うわさ。しかしヒカルの場合、一年くらいかけてシングル盤を4枚5枚とリリースしてそれを集めてアルバムをリリースする。先述のように既にシングルを購入している人間にとってはお得感が薄く、また私のような人間からすれば、どうせなら1曲ずつ単体でリリースしてくれた方がじっくりと味わえてよいとも思えたりもする。12曲いっぺんにドンとリリースしてくれるなら、それはそういう作品として受け止め易い。

要は、シングルに較べてアルバムというのは感情移入が難しいのだ。歌詞に関しては1曲ずつにストーリーが独立して存在し、曲同士の連関は無い。くだんの"恋愛三部作"のようなケースは滅多に出てこない。

歌詞の上で明示的に繋がってなくても、アルバムとして集める事で「その時期の作詞作曲家宇多田ヒカル」の像が浮かび上がってくる、という捉え方も出来る。ならばその場合「オリジナル・アルバム」という形態でなくてよい。小説家のように「宇多田ヒカル短編集」「宇多田ヒカル全集」としてリリースし、必要ならばサブタイトルをつければいい。即ち歌手ならシングル・コレクションになる。小説家も雑誌掲載の短編を集めた上で書き下ろしを付け足す、というヒカルのアルバムリリースと同様の形態をとっているケースもあるが、バリエーションのひとつという感じがする。

そういう意味で、「Single Collection Vol.2」は過渡期的な作品となるのではないか。既発曲13曲に初収録曲5曲というバランス。ここらへんがあの時期としてはちょうどよかったという事か。ならば例えばVol.3は「宇多田ヒカルの大ヒットシングル8曲を収録!未発表曲4曲追加!」という形態になるかもしれない。これは、もう殆ど従来のオリジナル・フル・アルバムの延長線上にある作品といえる。つまり、既にヒカルのオリジナルアルバムはシングルコレクションの形態に近付いてきているのだ。

ここらへんのフォーマットのバリエーションは多岐に渡る。ひとつひとつのケースについてシミュレーションしたいところだがそれはまた別の機会に譲るとしよう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )