袋井市では、田植えの終わった田んぼと並んで
このような風景が目に入ってきます。
小麦が収穫の時期を迎えています。
この地域では、水田を小麦や大豆の栽培にも利用しています。
小麦の生まれ故郷は、中央アジアから中近東の乾燥地帯。
日本に伝わったのは4~5世紀と言われていますが、
次の理由で、なかなか栽培が広まりませんでした。
・小麦の栽培は、日本のようなじめじめした気候よりも乾燥地を好む。
・収穫時期が梅雨時と重なるため敬遠されてきた。
・湿地を好む米の栽培の方が広まりやすい。
しかし、8世紀頃になると、
小麦の栽培を奨励する動きが現れました。
理由は、小麦は盛夏までに収穫ができるので、
稲に比べて、夏の干ばつや台風の影響を受けにくいから
というものでした。
収穫時期は6月頃で変わらないのに、
それが敬遠される理由にもなり、また奨励される理由にもなり…。
小麦が本格的に栽培されるようになるまでには
紆余曲折があったことでしょう。
小麦色の景色を見るたびに、
私は七夕に食べられる素麺のことを考えます。
七夕に素麺をお供えしたという記録は、
延喜式という平安時代の書物に記されています。
もちろん、この時代の素麺というのは手延べ素麺ではなく、
中国から伝来した索餅(さくべい)という
小麦粉と米粉を混ぜて作る麺ですが・・・。
七夕に素麺をお供えする理由として、
・索餅(さくべい)を食べると、1年間無病息災で過ごせるという
中国の伝説にあやかった。
・素麺を天の川や織姫の糸に見立てた。
などの説がありますが、私は、
小麦が無事収穫できたことを神様に報告し、感謝し、
次も豊作であることを願う
その気持ちが込められているように思います。