山田太一「冬の蜃気楼」読了
久々の山田太一であります。平成7年発行ということですから、割合新しい方に出た小説ですね。
時代は昭和33年、入社したての22才の助監督が、新人女優の16才の美少女に心を奪われる。そこに絡んでくる演技の下手な俳優。その二人に翻弄されながら、主人公は少しづつ成長していく。そして34年後、54才の主人公と48才の元美少女は再会する…
とまぁ、いかにも山田太一らしいプロットで話は進んでいくわけです。相変わらず面白いですねぇ。印象に残った部分を引用します。
瑠美が私の方にかがみこんだ。「たしか」と思い出すような目をしている。
「ええ」
それから瑠美は英語でなにかいった。よく聞きとれない。
「ガーデン?」
聞きとれた言葉をくりかえすと、
「メイラー」と瑠美がいう。「ノーマン・メイラー」
思いがけない名前が出て来たが、瑠美がいま口にした英語の見当はついた。
「鹿の園?ディア・パーク?」とメイラーの小説の書名を口にすると、瑠美は「ガーデンでなくパークだった?」と私の目を見る。
「たしか」
「ザ・ディア・パーク」
「イエス」
少し妙だが、つられてそんないい方をすると、
「石田さんにすすめられて」という。
「私に?」
「読みました」
「そんなことをいったかなあ」
「いいました」
「忘れているなあ」
「さっきから、その中の言葉が浮んでいます」
「こっちは一行も憶えていない」
「私も一行だけ、本をあまり読まないので、読んだ本が少し長く残るのでしょう」
そんな理屈が、外国人の日本語のような口調のせいで、自然に耳に入る。
「どんな一行です?」
「人がいうほどではないけれど」と身体(からだ)を起しながら瑠美はいった。「時はたつのね」
「そう」
憶えていなかった。
「その言葉が」と瑠美は自分の頭を人さし指でつついた。「頭にとりついて、自分を取り戻せないでいました。」
「ほんとうはそうじゃないでしょう」と私は苦笑した。
「そうじゃない?」
瑠美は分らないという顔をする。
「人がいうよりもっとでしょう。私を見て、人がいうよりもっと時はたつと思った」
瑠美は、声を立てずに笑った。
「かもしれない。ごめんなさい。でも私は、人が、どのくらいに、時が早いといっているかを、知りません」
「光陰矢の如し」
いってから、説明を要するような気がしたがそんなことはなかった。
「それなら」と瑠美は微笑した。「やはり、人がいうほどではないけれど、です」
私は瑠美の視線に耐えて、微笑を維持した。瑠美も、私ほどではないだろうが、やはり私の視線に耐えている。お互い、いまの姿に馴れるまで、いくらか辛いのは仕方がなかった。
34年ぶりの邂逅に際して、この二人の、遠慮しながらしかし、相手の心情をおもんぱかる気遣いが非常に細やかに描かれています。やっぱり会話の描写がうまいですねぇ。
久々の山田太一であります。平成7年発行ということですから、割合新しい方に出た小説ですね。
時代は昭和33年、入社したての22才の助監督が、新人女優の16才の美少女に心を奪われる。そこに絡んでくる演技の下手な俳優。その二人に翻弄されながら、主人公は少しづつ成長していく。そして34年後、54才の主人公と48才の元美少女は再会する…
とまぁ、いかにも山田太一らしいプロットで話は進んでいくわけです。相変わらず面白いですねぇ。印象に残った部分を引用します。
瑠美が私の方にかがみこんだ。「たしか」と思い出すような目をしている。
「ええ」
それから瑠美は英語でなにかいった。よく聞きとれない。
「ガーデン?」
聞きとれた言葉をくりかえすと、
「メイラー」と瑠美がいう。「ノーマン・メイラー」
思いがけない名前が出て来たが、瑠美がいま口にした英語の見当はついた。
「鹿の園?ディア・パーク?」とメイラーの小説の書名を口にすると、瑠美は「ガーデンでなくパークだった?」と私の目を見る。
「たしか」
「ザ・ディア・パーク」
「イエス」
少し妙だが、つられてそんないい方をすると、
「石田さんにすすめられて」という。
「私に?」
「読みました」
「そんなことをいったかなあ」
「いいました」
「忘れているなあ」
「さっきから、その中の言葉が浮んでいます」
「こっちは一行も憶えていない」
「私も一行だけ、本をあまり読まないので、読んだ本が少し長く残るのでしょう」
そんな理屈が、外国人の日本語のような口調のせいで、自然に耳に入る。
「どんな一行です?」
「人がいうほどではないけれど」と身体(からだ)を起しながら瑠美はいった。「時はたつのね」
「そう」
憶えていなかった。
「その言葉が」と瑠美は自分の頭を人さし指でつついた。「頭にとりついて、自分を取り戻せないでいました。」
「ほんとうはそうじゃないでしょう」と私は苦笑した。
「そうじゃない?」
瑠美は分らないという顔をする。
「人がいうよりもっとでしょう。私を見て、人がいうよりもっと時はたつと思った」
瑠美は、声を立てずに笑った。
「かもしれない。ごめんなさい。でも私は、人が、どのくらいに、時が早いといっているかを、知りません」
「光陰矢の如し」
いってから、説明を要するような気がしたがそんなことはなかった。
「それなら」と瑠美は微笑した。「やはり、人がいうほどではないけれど、です」
私は瑠美の視線に耐えて、微笑を維持した。瑠美も、私ほどではないだろうが、やはり私の視線に耐えている。お互い、いまの姿に馴れるまで、いくらか辛いのは仕方がなかった。
34年ぶりの邂逅に際して、この二人の、遠慮しながらしかし、相手の心情をおもんぱかる気遣いが非常に細やかに描かれています。やっぱり会話の描写がうまいですねぇ。