トシの読書日記

読書備忘録

マナブ、オボエル、サトル

2013-07-10 17:31:45 | あ行の作家
大江健三郎「読む人間」読了



大江読書の最後の一冊として、本書を読むことを忘れておりました。まさしくこの本によって大江フェアを開催しようと思い立ったわけですから。


池袋の「ジュンク堂」での講演を基に、小説を読むとはどういうことか、また、自分が今まで書いてきた小説は、自分の読書生活からどういったかかわりで生まれてきたものか、という話を中心に大江健三郎の小説家としてのスタンスを示したものです。


小説、または評論を読んでいて、わくわくするというか、気持ちが高揚する瞬間について、大江はサイードからの引用で次のように言っています。

〈この文章を書いている人の中で、いまこのような心の動き、精神の働きが現に行われているのだ。私らはそこに立ち会っているのだ、この人が大切なことを発見したと書くとき、自分も書き手のそばで、この人の心が、その人の精神が、かけがえのない物事を発見する瞬間に立ち会っていて、自分もそれに同調する。全体的な精神の働きをしているのだ、(後略)〉


また、ダンテの「神曲」を通じてあの「懐かしい年への手紙」を書いたいきさつも非常に興味深いものがありました。だからといって「神曲」を読もうとは思いませんが…。


この本は全体に世界的なピアニスト、指揮者であり、パレスチナのための活動家でもあるエドワード・W・サイードという、大江がリスペクトしている人物について多く語っています。


また、井上ひさしの遺作となった「父と暮せば」という戯曲にもふれていて、これは大江健三郎の考える「核廃絶」とも底の方でつながっているんだということがよくわかりました。


そして、大江は読んで心に強く残った本を再読することの深い意義をも説いています。これには大いにうなづかされるところがありました。がしかし、それは自分の再読のしかたよりも、もっと深いものがあり、それは学ぶところでありました。


この講演の中で、現在(2011年6月)長編小説を執筆中ということでしたが、東日本大震災ですべてやり直さざるを得なくなったということです。しかし、それから2年、そろそろ長編が発表されるのかも知れません。楽しみです。



近くの書店に立ち寄り、古本コーナーで以下の本を購入


いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」
万城目学「偉大なる、しゅららぼん」

ユーモアとアイロニーの難しさ

2013-07-10 17:25:00 | か行の作家
グレアム・グリーン著 高橋和久・他訳 「見えない日本の紳士たち」読了



この短編集は誰の、どの書評で読む気になったのか、まったく思い出せないんですが、何故かネットで買ってしまいました。


全部で16の短編が収められているんですが、はっきり言って全然面白くなかったですねぇ…。どの作品も狙いどころはわかるんですが、ツボにはまらないというか、とにかく面白くないです。残念でした。


最後の「庭の下」という作品は、奇想天外な発想で、「お!」と思ったんですが、他の作品に比べればまだちょっとましという程度で、とにかく残念至極でありました。