昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(104)経営・ビジネス(6)

2010-12-21 05:36:18 | 昭和のマロの考察
 山口昭氏は<債権者会議>の中で述べているのだが、副社長として入社した時の給料は150万円だったのだが、社長の青山は月給10万円だったという。
 どんなからくりがあったのだろうか。

もっと驚いたのは、青山の交際費枠が200万円であったことだ。つまるところ、高額の給与を貰うと税金をたっぷり取られるからそれを避けたのであろう。
 さらに、青山に対しては月額45万円の社宅が提供されていた。これは私の推測になるのだが、グループ企業から青山に一定の給与や交際枠が用意されていただろうから、実質的な彼の所得は大変な額になると思う。
 しかし、納税額からすると、最低給与所得者ということになる。
 それが彼の流儀なのだろう。それを発想し実行できてしまう人なのである。


 
 <仕手の金づる”蛇口”は銀行・蛇の目、巨額恐喝>
 こんな事件を覚えているだろうか。この銀行を操った小谷光浩という男はどのようにして銀行に取り入ったのだろうか。
 佐藤章<金融破綻>から引用してみる。

 住友銀行の本部役員のひとりが口を滑らせて、小谷(仕手集団<光進>代表)に対して不用意なことを喋ってしまった。
「問題を起こした不動産業者と小谷と、どちらに引っかかるのも同じことだ」というようなことを西(住友銀行副頭取)が言ったと、小谷に漏らしてしまったのだ。
 このころ、1981年1月、銀座支店の副支店長に栄転していた山下の机の上の談話が鳴った。相手は小谷だった。
「この言葉は本当か。・・・もしこの言葉が事実だとしたら、俺はどんな手段を使ってでも、西副頭取と磯田会長を一緒に串刺しにしてやるつもりだ」
 耳に入ってくる小谷の語調はかなり強いものだった。・・・
 小谷は、大阪時代にさかのぼりかなり前から取引関係のあった住友銀行に愛着を持っており、訴訟を起こされた今回の取引にしても、小谷側が泥をかぶった部分が少なからずあった。
 さらに、小谷と同等とされた不動産業者は経営危機に陥っている上に、世間的な信用も芳しいものではなかった。

 このため、西の発言として不用意に伝えられてしまった「どちらに引っかかるのも・・・」という言葉は、小谷の<誇り>を著しく傷つけるものと言えた。
 


 ─続く─

昭和のマロの考察(103)経営・ビジネス(5)

2010-12-20 07:12:10 | 昭和のマロの考察
 <アリの話>
 高樹のぶ子さんのブログから引用させていただきます。

 今、目の前の窓際に、ありが室内に入ってこないための小さなプラスティックの箱があるんですね。夏からそこに在るんです。この中にアリが入ると、箱の中のエサを自分の巣に持って帰る本能が起動します。で、持って帰った物質は、巣の中を全滅させるわけです。アリの本能を知ったうえでの、毒餌なんです。

 おかげで、毎夏ベランダから入ってきたアリが、今年は大丈夫だった、効いたんですね。
 アリから見れば、なんと悪質な人類。


 人類はビジネスという<生きる術>を生み出しましたが、このまともに見える世界にも裏があって、悪質な一面が横行している事実に愕然とするというより、なるほど!と思ってしまうのはどうしてでしょうか。

 藤倉(信孝、野村證券取締役総務部長)は1994年12月中旬、本社に押しかけた小池(隆一、総会屋)にじっと見つめられた。
「相場の中だけでのんびりやっている場合ではないでしょう。いい商品がなくてもいろいろやりようがあるんじゃないですか。損失があればお宅できちんと埋めてくださいとお願いしてありますが、おわかりでしょうな」

 付け替えやアンコで補填するしかない。
 報告を受けた酒巻(英雄、野村證券社長)はそう決断した。
 付け替えは、証券会社が自己取引で買い付けた株が値上がりしている時に、伝票を改竄して取引名義を顧客に付け替えて儲けさせる手法である。一方アンコは、証券会社の自己売買益を顧客の口座に移し変えるものだ。
 (読売新聞社社会部<会長はなぜ自殺したか>より)


 バブル景気期における証券会社の大規模な損失補償・損失補填が明らかとなり、暴力団との不適切な取引、相場操縦の疑惑などとともにいわゆる<証券不祥事>として社会問題となった。

 金持ちになるには、単に汗水流して頑張るだけでは不可能で、世の中の税金とか法律とかのルールを知り尽くして、その裏を駆使することで可能になるとも言われる。
 こんな例もある。

 私が副社長として入社した時の給料は150万円だったが、青山社長は月給10万円であった。

 ─続く─

 
 


昭和のマロの考察(102)経営・ビジネス(4)

2010-12-19 06:12:42 | 昭和のマロの考察
 <パッと散る会社>、これはイタリアが起源だという。

 「人材が資本のソフト会社は一人一人にもうけを還元すべきで、つきつめたら今の方法に行き着いた」・・・
 岩井克人東大教授によれば、会社(カンパニー)の語源は地中海貿易で栄えた中世イタリアの<コンパーニャ>。
 パン(パーニャ)をともにする<コン>という意味だ。
 航海の度に会社は解散し、もうけは構成員で山分けした。

 欧米ではこの意識が残る。というより21世紀をにらんでむしろ強まっており、「事業を売却し、会社を解体してでも、株主は蓄積された富を分配して取り戻そうとする」米国のM&A(合併・買収)金額は過去最高の6590億ドルに達した。
 解体しないまでも、株主は成熟企業の株は容赦なく売り浴びせ、将来性のある企業に再投資する。そこでは「資本は富をより多く生む会社へ」という市場の資源再分配昨日が、いかんなく発揮される。・・・
 <コンパーニャ(山分け)資本主義>が2020年に向けて、工業社会から知識社会へと経済を若返らせていく。
(日経2020年からの警鐘。1997年3月)
 


 <閑話休題>

 最近すごく衝撃を受けたテレビ番組がある。
 NHK熱中スタジアム<世にもおそろしい女王アリの話>だ。
 妊娠したトゲアリの女王が単独でムネアカオオアリの巣に潜入、そこの女王アリを殺し巣を乗っ取って、そこで自分の子を産み、そこの働きアリに育てさせるという驚くべき話だ。
 他にも自然界に同じような例があるが、トゲアリの人間顔負けの狡猾なやり口には唖然とした。

 アリは目が見えないのでにおいで仲間を識別する。それでトゲアリの女王は作戦の第一歩としてムネアカオオアリの働きアリに接触、手練手管で仲良くなり相手のからだを触りまくって相手のからだの表面のワックスを自分に付着させ、まんまとムネアカオオアリに成りすます。 

 そして相手の巣に入り込み、自分より大きい女王アリを探しあてると闘いを挑む。
 アリはからだのジョイント部分が見るからに弱い。トゲアリの頭は細長いので巧みに相手の弱点に喰らいつき食いちぎる。自分の方はジョイント部分がとげで保護されている強みがあるので勝利を収める。

 いやあ、ぼくも70年以上生きていますが、これは初めて目にしました。
 へえっ!と驚きでした。
 これを高樹のぶ子さんのブログで紹介したら、トゲアリはアタマで考えたというよりDNAのなせる技なんだろうと。そして恐ろしきは人間のDNAの悪質さを指摘されました。

 次回にはその話を。ビジネスにかかわる話も含めて紹介しましょう。

 ─続く─

昭和のマロの考察(101)経営・ビジネス(3)

2010-12-18 05:35:55 | 昭和のマロの考察
 ネット証券の雄、松井証券社長松井道夫氏は続ける。

競争市場で生き抜くためには、虚業コストを排除することがポイントです。これをリストラと言うのです。
 これは情報革命が起きたことによります。この本質は何かと言えば、すべては<個>が中心になったという点に尽きる。
 自ら判断して行動する<個>のネットワークが中心となる。
 もうこの流れを無視してビジネスは考えられなくなりました。
 私は<天動説から地動説へ>と言っていますが、今まで供給側の企業主導で<個>を囲い込んでいた宇宙観が、通用しなくなった。

 何百万、何千万という需要側の<個>が中心となり、逆に企業を取り込むという宇宙観。まさにコペルニクス的転回なくして商売ができなくなったと理解しています。
 となれば、組織の構成員たる個々の商人の発想も変えねばならないのは当然です。すなわち、<個>を囲い込むという発想を脱し、<個>から選ばれるという発想をしなければならないわけです。
 企業に勤めていても、あなたは商人です。自分のお客様を思い浮かべ、その人は何を求めているのか、自分が消費者なら何がほしいのか。そうした商品やサービスを考え出して始めて商人としての義務が果たせるのです。


 一時<ドッグイヤー>という言葉が流行った。

 情報やソフトが富を生む知識社会では、かって1年かかった変化が2ヶ月足らずで起きる。人間の7倍の速さで生き、寿命を終える犬と時間の進み方が同じだというのだ。
 そんな時代には新しい形態の企業経営が生まれる。

 パッと散る会社。
 東京調布でソフト開発を手がける(有)パステル。
 経営者の松本英一氏はいつも社員に「10年後の会社はないよ」と言っている。
 4年前の創立以来、毎年2億円前後ある売上げは税金と経費を除いてすべて11人の社員に分配してきた。
 会社にたまる余剰金はない。
 本社オフィスもなく、いつでも解散できる身軽さだ。


 ─続く─

昭和のマロの考察(100)経営・ビジネス(2)

2010-12-17 05:19:28 | 昭和のマロの考察
 サラリーマンでも結果を出せない人はやめてもらいたいと言って内館牧子さんをのけぞらした中内功氏は続ける。

「私は、プロ野球の球団を経営してから、契約というものがよくわかりました。・・・サラリーマンもいわゆるビジネスがきちっとできる、そういうプロの時代になるでしょうね」
 私はこの対談で、中内さんが大好きになった。すごい気迫と、プロとしての明快極まる言葉に、目からウロコがドカッと落ちた。
 中内さんはわざと極論を吐かれたところもあると思う。
 そして絶対誤解して頂きたくないのは、<弱者はどうなってもいい>という論ではないことである。つまり、これは<ビジネス界でプロになろうとする人たち>というレベルに限定して話されている。・・・
 ビジネスというのは能率、効率、利潤が基本になっていることは当然である。
 そこを否定してかかると、それは文化団体になり、全然別のジャンルになる。 
 (内館牧子<男は謀略・女は知略>より)


 時代を引っ張る、より若い世代の経営者も同じようなことを別な言葉で述べている。

 株式のネットトレーディングに先駆的な取り組みをした松井証券の松井道夫氏の言葉を聞いてみよう。

 スーツを着てネクタイを締め空調のきいたオフィスで仕事を続けていると、自分が商人であることを忘れていく人が多い。
 給料をもらっているから働いていると勘違いするのです。しかし、それは違う。働いているから、それに対して報酬が支払われているのです。
 今日自分がする仕事で、どれだけお客様を満足させ、自分の給料を稼ぎ出せるか考えるべきでしょう。

 商人としての自覚を忘れると、工夫するための頭も心も働かなくなり、気づかないうちに権威主義、形式主義に陥っていく。やがて変化が怖くなり、挑戦することが恐ろしくなっていくのです。人も企業も同じです。
 


 よく、利益は出ていないけれども価値の高いことをやっているんだと言う人がいる。しかし価値のあることなら利益がついてくる。それが競争市場というものです。
 もし手がけている商売の業績がふるわないなら、お客様から価値がないよと言われているだけ。・・・商人の目的は利益を上げること。利益の多寡はお客様が決める。 消費者には多くの選択肢があるし、お金を払う立場ですから、好きなときに好きな商品を自由に選びます。・・・


 ともすれば、社会に役立つ事業を実業、役立たない事業を虚業と区別しがちです。それでは誰がそれを判断するのでしょう。
 私は私なりの別の定義を持っています。
 実業・・・顧客が必要と認めるコストで成り立っている業。
 虚業・・・顧客が必要と認めないコストで成り立っている業。
 供給側の企業が実業か虚業かを、需要側の顧客が消費というフィルターを通して区分けするわけです。
 非競争社会ではこの区分けは出来ません。


 さらに、松井氏は続けます。

 ─続く─

昭和のマロの考察(99)経営・ビジネス(1)

2010-12-16 06:30:24 | 昭和のマロの考察
 元横綱審議委員で辛口で有名なあの内館牧子さんが絶句したというダイエー創設者中内功氏のビジネス感について、彼女の著作<男は謀略、女は知略>から引用してみる。

 私は今でも忘れられないとこがあって、これはもう激辛を通り越して絶句したのだが、ダイエー会長兼社長である中内功さんとの対談である。・・・
 

 中内さんはニコリともせず、席に座られると、対談スタートと同時にもうビシバシ、ビシバシと辛いの何の。
「白い猫でも黒い猫でも、ネズミをとる猫がいい猫だ、と言っておるんです」
 つまり、結果をきちんと出す人がいいということである。私としては当然、つっこんだ。
「でも、一生懸命に努力をする人間のことはどう評価されるんでしょうか。死ぬほど努力をしても結果の出せない人間はいます」
 この問いに対し、中内さんの答えがすごかった。スパッと斬った。
「成果のない人は努力したら困るね」思わずのけぞった私に、中内さんは平然と続けられた。
「そんな人に会社で残業されては困ります。だから早く帰ってくださいということですね。会社におったら空調代とか電気代がかかるわけですから」
 中内さんのおっしゃることは<強者の論理>であり、これでは弱者は生きていられない。私は必死に体勢を立て直し、くってかかった。
「しかし、持って生まれた能力というのは、みんな平等というわけではありません、いい資質を与えられずに生まれてきた人たちはどうすればいいんですか」
 中内さんはスラッと答えられた。
「経済効率と福利厚生というのは違う。通産省と厚生省は違いますからね。だからそれを混同しないようにせんとね」

 私はのけぞるのも忘れて茫然。中内さんは麦茶など飲んで、平然。
 私はここで土俵を割ってはならじと、再び申し上げた。
「それでもやっぱり、結果は出せない人はいる。そういう方たちのことは、どう処遇されるんですか」
「早くやめてもらいたい」これである。まだ、続きがある。


 ─続く─

エッセイ(35)明日の記憶(2)経営・ビジネスとは

2010-12-15 06:21:22 | エッセイ
 「こんなオレにでも付いてきてくれるのか」
 アルツハイマーと診断されて落ち込む主人公(渡辺謙)。
「わたしがいるから大丈夫。家族じゃないの」と励ます妻(樋口可南子)。

 しかし、現実は厳しい。今まで自分の寄って立つ場であった会社も冷たい。これまでの実績なんて関係ない。冷たく追われることになる。
「お疲れさまでした」と労ってくれる部下たちの心情を表すシーンが唯一の救いだ。
 

 そして、家計を支えるために外へ働きに出る妻との間にも亀裂が生じる。家の中に居続ける生活と進行する症状は、そこからも彼の居場所を奪う。
 彼は家を出る。山里の自然のなかにある看護施設へ向けて。

 同じようにボケてしまった老人が、それでも生に執着する姿勢に彼は刺激を受ける。
 迎えに来た妻と燃えるような新緑の山間を歩く。
 唐突なファンタジーのようなラストシーンだが、夢のような希望の世界に見るものを引き込む。

 最終的に人間を救えるのは、やはり自然の恵みなのだろうか。
 (・・・今書きながら、ふと年賀状のアイデアが浮かんだ・・・)

 ぼくは現実の自分から、会社人間だった頃の自分に思いを馳せた。
 小さいながらも会社経営の一角を担って希望に燃えていたあの頃、目指す方向は間違っていなかったと思うが、いま振り返ればこの主人公のように、死に物狂いで一生懸命やっていたとはお世辞にも言えない。内心忸怩たるものがある。

 GMのリストラで有名なジャック・ウエルチによれば、経営に必要な3Eがある。
 

 *Energy (エネルギー)
 *Energize (社員にやる気を起こさす。接するだけで嬉しくなる、明るくなる)
 *Edge (断崖絶壁に直面しているような緊張感が必要)

 ぼくの場合、エネルギーも不完全燃焼。部下をやる気にさせるより自分でやってしまう。緊張感もそれほどあったとも思えない。

 自らに反省して、明日から<経営・ビジネス>について勉強してみたい。
 

エッセイ(34)映画・明日の記憶(1)

2010-12-14 04:46:08 | エッセイ
 映画<武士の家計簿>を見て身につまされたと書いたが、身に置き換えて胸に深く沁みこむ映画がある。
 大分前になるが、家内に引きづられてどういう内容か知らないまま見に行った招待試写会<明日の記憶>を思い出す。

 開演1時間前、有楽町読売ホールのエレベーターに乗る。開場までまだ30分もある。7階のはずが4階で係員が待ち受けていて降ろされ、そこで階段の列に並ぶ。
 7階からここまですでに並んでいるのだ。
「タダだといっぱい出てくるのよ」家内が言った。
 それでも前から三分の一の真ん中近くに席を占める。

 期待していなかったが、パンフレットを読むうち関心が高まってきた。
 出演者が、渡辺謙、樋口可南子、坂口憲二、水川あさみ、渡辺えり子、香川照之、大滝秀治とそうそうたる芸達者をそろえている。

 いい加減な映画ではないことは確かそうだ。アルツハイマーに侵される主人公というのが暗そうで気が乗らないが・・・。

 冒頭は看護施設での生気のない主人公と、看護する奥さんの姿。
 アメリカ映画<黄昏>のヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーンを思い出す。
 
 ・・・ぼくもこういう歳になったのだ・・・

 シーンは一転。都会の雑踏、喧騒の渦の中、ビジネス戦場最前線で指揮を執り、動き回り、怒鳴りまくる主人公の姿。

 そんな彼がいつの間にか<物忘れ>を発症、トラブルを一つ、また一つと巻き起こしていく。そしてついに奥さんに伴われて病院へ。

 一度目の前に見せられた何個かの物の絵が隠されて当てるテストが繰り返される。
 そんな子どもだましみたいな単純なテストにつまずく主人公。
 それを見ているぼくも同じじゃないかとちょっと不安になる。
 そしてアルツハイマーという診断が下る。

 現在治療する手段はない、改善することも不可能と宣告される。

「この若造の医者め!」
 怒りまくるが不安のどん底に突き落とされる主人公。

 ─続く─
 

金沢便り(20)武士の家計簿

2010-12-13 06:15:07 | 金沢便り
 <金沢便り>と言っても、いつものように金沢の山ちゃんから送られてきたものではない。
 金沢を舞台にした映画<武士の家計簿>が上映中という新聞記事を見て、こちらから懐かしんで見に出かけた。
 中学の同窓生から毎月送られてくる地方月刊雑誌<アクタス>に、金沢でロケ中と載っていたので記憶にとどめておいたのだ。
 (その経緯は<金沢便り>15に書いている)

 朝、武家屋敷の門前、主人公直之(堺雅人)は、父親信之(中村雅俊)とともに、母親お常(松坂慶子)と嫁お駒(仲間由紀恵)からお弁当を手渡され登城するシーン。
 ああ、懐かしい長土塀の武家屋敷だ。

 ぼくが、中学生まで過ごした家のすぐ近くだ。静かな佇まいでどんな人が住んでいるのだろうと覗いてみたりしたことを思い出す。

 城内の大きな部屋で多数の武士たちが机の前に正座して、帳簿を見ながらそろばんを繰っている。

 直之はそのうちの一人で、父親に幼い時からそろばんを仕込まれ、猪山家代々の御算用者として加賀藩の財政処理に携わっている。
 彼は<そろばん侍>と言われたほどのずぬけた数学感覚を持ち、御蔵米の勘定役として任命されたとき、飢餓で苦しむ農民たちが受けた<お救い米>の量と、出荷した量との数字が合わないことを見抜き独自で調査、城の役人たちの不正事実を知る。

 米の横流し、経理の不正を知った直之は上司から疎まれ、能登への左遷を言い渡される。
 しかし、不正に気づいた農民たちの「ひもじいよ!米よこせ!」という騒動が発端となり、悪事は露見、信之は一転して殿から異例の昇進を言い渡される。

 ところが身分が高くなるにつれて出費が増える。そんな折、4歳の嫡男を内外にお披露目する<着袴の祝い>を前に、直之は家計が窮地に追い込まれていることを知る。すでに父信之が江戸詰めでかさねたぼう大な借金があったのだ。

「そろばんしか生きる術なく、不器用で出世も期待できない・・・それでもいいか」と問いかけ、「生きる術の中に私も加えてください」
 と嫁になってくれたお駒とともに知恵をしぼり、祝膳に欠かせない鯛の代わりに<絵鯛>を使う。
  

 恥さらしだと責める父母の前で、直之は<家計見直し計画>を宣言。
 世間の目を気にする父、愛用品を手放したくない母を「お家を潰すほうが恥じである」と説得、



家財道具一式の処分を決定、質素倹約し膨大な借金の返済に充てる。

 塗りの弁当箱は竹皮に、安く買い求めた1尾の鱈は、鱈汁、白子の酢醤油、昆布じめにと幾種ものおかずに。
 そんな猪山家の奮闘振りを見ていると、何かわが身につまされる思いがした。
 多分ぼくは、借金先送りの、のんきなとうさん信之役かなと・・・。

 直之役の堺雅人さんはインタビューに答えている。

 先の見えない時代に、侍として、家族の長として自らができることを考え、行動に責任を持つ姿はかっこいい。・・・
 金沢は、謙虚さと華やかさがバランスよく同居している街だと思う。
 その雰囲気が猪山家の面々の生き様からもにじみ出ている。
 今回の映画は、金沢を舞台としたからこそ、味わい深く仕上がったと感じている。



昭和のマロの考察(98)女と男(29)

2010-12-12 06:25:15 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>⑫

 ニクソンとの歴史的な会談が行われてから4年後、毛沢東は1976年5月張玉鳳と口論をしている最中に1回目の心筋梗塞、6月26日に2回目、そして9月2日に3回目の心筋梗塞にみまわれた。

 9月7日、毛沢東が重態におちいり、死期はちかいと医師団が判断したとき、江青はやっと私たちに会いにきた。

 部屋のなかを歩き回って医師や看護婦をひとりずつ握手をかわし、めいめいに同じ挨拶を繰り返した。「これであなたもご満悦でしょう、これであなたもご満悦でしょう」
 江青は夫の死後に権力をにぎり、その指揮下に入ることを私たちが喜ぶだろう、と信じきっているかのように見えた。


 江青は毛が死ぬのを待っていたのである。権力闘争は主席が死の床にあったときから弾みがつき、からだが冷たくならないうちから激化していったのだ。

 1976年9月9日午前零時十分、毛沢東は亡くなった。

 もの思いにふけっている場合ではなかった。私はたちまち恐怖につつまれた。この先、わが身の上に一体どんな運命がみまうのだろうか。毛主席の主治医として長年、私はたえまない不安に脅かされてきたのだった。・・・

 私たちのおおかたが病室を出ていこうとしたとき、張玉鳳が不意に泣きじゃくりはじめた。
「主席が亡くなられた」と彼女は叫んだ。「このわたしはどうなるんでしょう」すると江青が近づいて、いかにも気づかうように片腕を彼女の肩にまわし、もう泣かないでね、と強く言ってほほえんだ。「これからはわたくしのために働いてね」と、江青は言った。たちまち張の流れる涙はとまり、破顔一笑した。「江青同志、ほんとうにありがとうございます」


 ところが、華国鋒を頂点とする<男たち>政治局の大勢は早々に江青とその一派への反対にまわった。

 毛沢東の存命中、夫人の江青には最大の敬意がはらわれていた。彼女が会議室に入ってくると全員が起立し、室内が静まりかえったものであった。最高の席があたえられ、列席者はその一言一句に聞き入った。議論を吹っかける者とてなかった。
 ところが毛の死後、政治局がいざ会議をひらいてみると、そうした敬意はぴたりとやんでいた。
 会議室に入ってきても注意をはらう者はひとりとしていなかった。出席者は雑談をつづけるか書類に読みふけり、わざわざ立ち上がって席をすすめさえしなかった。
 彼女が発言すると、だれひとり耳をかたむける者もなく、江青がせっかく一同の注意をひこうとしているのに、ほかの幹部たちはたがいに話し合っていることが多かった。
 政治局の雰囲気は一変したのであった。


 その後間もなく、江青をはじめとする<四人組>は逮捕された。