昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(98)女と男(29)

2010-12-12 06:25:15 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>⑫

 ニクソンとの歴史的な会談が行われてから4年後、毛沢東は1976年5月張玉鳳と口論をしている最中に1回目の心筋梗塞、6月26日に2回目、そして9月2日に3回目の心筋梗塞にみまわれた。

 9月7日、毛沢東が重態におちいり、死期はちかいと医師団が判断したとき、江青はやっと私たちに会いにきた。

 部屋のなかを歩き回って医師や看護婦をひとりずつ握手をかわし、めいめいに同じ挨拶を繰り返した。「これであなたもご満悦でしょう、これであなたもご満悦でしょう」
 江青は夫の死後に権力をにぎり、その指揮下に入ることを私たちが喜ぶだろう、と信じきっているかのように見えた。


 江青は毛が死ぬのを待っていたのである。権力闘争は主席が死の床にあったときから弾みがつき、からだが冷たくならないうちから激化していったのだ。

 1976年9月9日午前零時十分、毛沢東は亡くなった。

 もの思いにふけっている場合ではなかった。私はたちまち恐怖につつまれた。この先、わが身の上に一体どんな運命がみまうのだろうか。毛主席の主治医として長年、私はたえまない不安に脅かされてきたのだった。・・・

 私たちのおおかたが病室を出ていこうとしたとき、張玉鳳が不意に泣きじゃくりはじめた。
「主席が亡くなられた」と彼女は叫んだ。「このわたしはどうなるんでしょう」すると江青が近づいて、いかにも気づかうように片腕を彼女の肩にまわし、もう泣かないでね、と強く言ってほほえんだ。「これからはわたくしのために働いてね」と、江青は言った。たちまち張の流れる涙はとまり、破顔一笑した。「江青同志、ほんとうにありがとうございます」


 ところが、華国鋒を頂点とする<男たち>政治局の大勢は早々に江青とその一派への反対にまわった。

 毛沢東の存命中、夫人の江青には最大の敬意がはらわれていた。彼女が会議室に入ってくると全員が起立し、室内が静まりかえったものであった。最高の席があたえられ、列席者はその一言一句に聞き入った。議論を吹っかける者とてなかった。
 ところが毛の死後、政治局がいざ会議をひらいてみると、そうした敬意はぴたりとやんでいた。
 会議室に入ってきても注意をはらう者はひとりとしていなかった。出席者は雑談をつづけるか書類に読みふけり、わざわざ立ち上がって席をすすめさえしなかった。
 彼女が発言すると、だれひとり耳をかたむける者もなく、江青がせっかく一同の注意をひこうとしているのに、ほかの幹部たちはたがいに話し合っていることが多かった。
 政治局の雰囲気は一変したのであった。


 その後間もなく、江青をはじめとする<四人組>は逮捕された。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿