昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(91)女と男(22)

2010-12-04 05:13:58 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>

 毛沢東も80歳を越えるあたりから健康状態は年ごとに衰えていった。
 
 特に毛主席みずから後継者に指名した林彪が主席に反旗をひるがえし、陰謀を企み、計画が露見したとみるや航空機で妻子ともどもソ連に脱出しようとして外モンゴルのウンドル・ハン近くに墜落し全員が死亡した事件で彼はふさぎこむようになって不眠症となり、そのあげく病人になった。

 1972年2月、ニクソン大統領が歴史的訪中をはたす数週間前から、毛沢東はいぜんとして病状があらたまらず、医師団に反抗したり、あらゆる治療を拒否したりしていた。・・・
 いざニクソンが到着したときも、毛沢東は弱りきっていて、ろくに口がきけなかった。


 1974年に彼は筋萎縮性側索硬化症─ルー・ゲーリッグ病─にかかっていると診断される。治る見込みも、有効な治療法もなかった。

 毛沢東の病状はちょうど専門医が断定したとおりに進行した。ところがいまや、主席の息の根をとめようとしていたのは、筋萎縮性側索硬化症ばかりではなかった。 心臓もそうだった。・・・
 毛は1976年5月中旬、張玉鳳と口論している最中に一回目の心筋梗塞、6月26日二回目、そして9月2日に3回目の心筋梗塞にみまわれた。
 医師団はひとりとして口に出さなかったが、死期はせまっていると知っていた。


 華国鋒、張春橋、王洪文、汪東興らが無言で毛の枕頭にあつまる。
 4人の政治局員を背にして毛沢東の脈をみていると、江青が突如、荒々しく踏み込んできて金切り声をあげた。
「何がどうなってるのかだれか話してくれない?」


 江青は毛沢東の4人目の妻だった。
 1936年延安で結婚したが、延安時代の江青は他の幹部とうまくやっていると私は聞かされていた。

 だが、中華人民共和国が成立した1949年以降は、活動の場がなくなった人生に飽きてしまい、かくて最高指導者の妻も日ましに怒りっぽく、無理難題を口にするようになった。 
 <文化大革命>にたちいたってようやく江青は自分をとりもどし、しまいには党中枢の政治局員に任ぜられると、私怨を晴らせる機会をつかんだのだった。


 ─続く─