昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(100)経営・ビジネス(2)

2010-12-17 05:19:28 | 昭和のマロの考察
 サラリーマンでも結果を出せない人はやめてもらいたいと言って内館牧子さんをのけぞらした中内功氏は続ける。

「私は、プロ野球の球団を経営してから、契約というものがよくわかりました。・・・サラリーマンもいわゆるビジネスがきちっとできる、そういうプロの時代になるでしょうね」
 私はこの対談で、中内さんが大好きになった。すごい気迫と、プロとしての明快極まる言葉に、目からウロコがドカッと落ちた。
 中内さんはわざと極論を吐かれたところもあると思う。
 そして絶対誤解して頂きたくないのは、<弱者はどうなってもいい>という論ではないことである。つまり、これは<ビジネス界でプロになろうとする人たち>というレベルに限定して話されている。・・・
 ビジネスというのは能率、効率、利潤が基本になっていることは当然である。
 そこを否定してかかると、それは文化団体になり、全然別のジャンルになる。 
 (内館牧子<男は謀略・女は知略>より)


 時代を引っ張る、より若い世代の経営者も同じようなことを別な言葉で述べている。

 株式のネットトレーディングに先駆的な取り組みをした松井証券の松井道夫氏の言葉を聞いてみよう。

 スーツを着てネクタイを締め空調のきいたオフィスで仕事を続けていると、自分が商人であることを忘れていく人が多い。
 給料をもらっているから働いていると勘違いするのです。しかし、それは違う。働いているから、それに対して報酬が支払われているのです。
 今日自分がする仕事で、どれだけお客様を満足させ、自分の給料を稼ぎ出せるか考えるべきでしょう。

 商人としての自覚を忘れると、工夫するための頭も心も働かなくなり、気づかないうちに権威主義、形式主義に陥っていく。やがて変化が怖くなり、挑戦することが恐ろしくなっていくのです。人も企業も同じです。
 


 よく、利益は出ていないけれども価値の高いことをやっているんだと言う人がいる。しかし価値のあることなら利益がついてくる。それが競争市場というものです。
 もし手がけている商売の業績がふるわないなら、お客様から価値がないよと言われているだけ。・・・商人の目的は利益を上げること。利益の多寡はお客様が決める。 消費者には多くの選択肢があるし、お金を払う立場ですから、好きなときに好きな商品を自由に選びます。・・・


 ともすれば、社会に役立つ事業を実業、役立たない事業を虚業と区別しがちです。それでは誰がそれを判断するのでしょう。
 私は私なりの別の定義を持っています。
 実業・・・顧客が必要と認めるコストで成り立っている業。
 虚業・・・顧客が必要と認めないコストで成り立っている業。
 供給側の企業が実業か虚業かを、需要側の顧客が消費というフィルターを通して区分けするわけです。
 非競争社会ではこの区分けは出来ません。


 さらに、松井氏は続けます。

 ─続く─


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