昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(92)女と男(23)

2010-12-05 05:47:32 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>⑥

 1967年1月になると、中国は大混乱の真っただ中にあった。
 

 武闘が突発していたし、党も政府機関も麻痺状態におちいった。
 工場の生産は急落した。交通機関も停止しつつあった。
 林彪と江青が造反派を率いていたのである。
「何もかもぶっ倒せ」「内戦をおこせ」が彼らのスローガンだった。

 毛沢東は造反派の側にたった。保守的な党委員会を追放したかったのである。
 1月下旬、造反の左派を支援すべく解放軍の協力を求める。
 かかる挙に出たのはわれわれが左派を支援しないかぎり成功しえないからだ、と主席は私に語った。
 軍の仕事は左派の人民大衆、産業、農業を支援し、あらゆる行政官庁の軍隊化をはかり、高校や大学の全学生に軍隊訓練を課すことであった。


 リチスイの<毛沢東の私生活>を読んでいると、今の北朝鮮の金正日が三男、正恩に政権を引き継ぐにあたって、いかに人民を統御すべきか、<先軍政治>の考え方が彷彿としてくる。

 1968年の春、江青は毛沢東の主治医リチスイに激しく敵対した。

 リチスイが、彼女の歯の治療を施し抗生物質を注射した時、体じゅうをかゆがってヒステリーを起こし、毒殺しようとしたとわめきたてた。そして、
「この一件を主席に話さなくては」と問題化した。
 しかし、毛主席は「もしこの医者が反革命分子なら、江青じゃなくてなぜ私に危害をくわえないのか。 前にも江青は医者や看護婦たちが自分を害しようとしていると告発した。睡眠薬の一部がにせものだったからだ。私は言ってやったよ、私の睡眠薬のなかにもにせものがまじっておるとな。にせものとしてまぜてあるのだよ。そのおかげで、本物を飲む量が少なくてすむってわけだ」とリチスイを弁護した。

 林彪の死後、毛の衰弱が顕著になっていった。
 そんな時、江青と周恩来首相が毛沢東を見舞った。

 首相はついで私のほうをふりむく。

「ご病状と、いま考えている治療法をもういっぺん主席に説明しなさい」とうながした。 毛は私に説明させてくれなかった。
「君がくれたあの薬は何だったのかね?」とたずねる。
「おかげで食欲がなくなってしまったぞ。おまけにあんまり注射を打つもんだからケツが痛いし、むずがゆい」
 江青はそのチャンスを見逃さなかった。
「1968年リチスイはわたしを毒殺しようとしていました。この男が主席でなくて、わたしを毒殺しようとしたか、主席は不思議がっておられましたね・・・お前よりおれを毒殺するほうが簡単じゃないか、と主席はいわれたのですよ。おぼえていらっしゃいますか。これでやっとはっきりしました。この男は主席に害をおよぼそうとしているんです。
「ほう、じゃあ君は大手柄をたてたってわけだな」
 毛沢東は私の方を向き直りながら皮肉っぽく言った。
 私は胃の腑をなぐられたように感じた。にわかに口の中がからからになった。  
 恐怖で体じゅうがこわばった。・・・
「この部屋を出て行きなさい」と江青は言いはなつ。
「ここでもうこれ以上、へたな手をつかわせないわ」


 ─続く─