DD13型ディーゼル機関車:地元編
DD13型ディーゼル機関車は、国鉄が導入した入換用液体式ディーゼル機関車です。
それまでは構内入換と言えば蒸気機関車が行っていましたが、輸送量・入換量の増加に伴う煤煙やコストの問題もあったため、一部存在したディーゼル機関車を補完すべく、昭和33年から導入が始まりました。
昭和42年まで長きにわたって製造が行われたため、性能、外観的にも年次による違いが大きくあります。
撮影枚数が多くはないため、ある程度の地域ごとにご紹介したいと思います。
今回は、特に馴染みのあった地元編でご紹介いたします。
昭和52年頃 DD1320牽引 貨物列車
昭和53年頃 DD1330牽引 貨物列車
昭和54年頃 DD13133牽引 貨物列車
昭和55年頃 DD13116牽引 貨物列車
昭和55年7月 DD1325 単機回送
昭和56年頃 DD1325牽引 貨物列車
昭和57年5月 折り返し待機中のDD1336
DD13は、写真を撮り始めた頃から常に身近にいましたので、特に注目するわけではなく、何となく撮ったものが残っていた感じです。田端機関区配置の車両は第2陣で、20番代以降でした。それでも、写真の116や133などの2つ目車はかなり珍しかったので、狙っていたわけではなかったにしても、取り敢えず押えていたという感じでしょうね。
貨物の輸送システムの見直しから中間駅の貨物扱いがことごとく廃止され、川口駅も然り、折り返しの拠点であった蕨駅もあっさりと廃止されてしまいました。
ちなみに、蕨駅では日本車両蕨工場と住友セメントがあり、貨物扱い駅としてはそれなりに規模があったのですが、日本車両は物心ついた頃には既に愛知県豊川に移転し、住友セメントもいつ頃か定かな記憶がありませんが、昭和55年頃には移転していたかもしれません。
貨物の度重なる合理化で次々と姿を消していったDD13型機関車。昭和59年2月のダイヤ改正で最終打撃を受けました。
その直後の分割民営化に際しては、稼動経歴の浅いDE10やDE11でさえ大量に廃車されてしまったくらいですから、旧型で非力なDD13型が残る余地も無かったと言えましょう。
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DD13型ディーゼル機関車は、国鉄が導入した入換用液体式ディーゼル機関車です。
それまでは構内入換と言えば蒸気機関車が行っていましたが、輸送量・入換量の増加に伴う煤煙やコストの問題もあったため、一部存在したディーゼル機関車を補完すべく、昭和33年から導入が始まりました。
昭和42年まで長きにわたって製造が行われたため、性能、外観的にも年次による違いが大きくあります。
撮影枚数が多くはないため、ある程度の地域ごとにご紹介したいと思います。
今回は、特に馴染みのあった地元編でご紹介いたします。
昭和52年頃 DD1320牽引 貨物列車
昭和53年頃 DD1330牽引 貨物列車
昭和54年頃 DD13133牽引 貨物列車
昭和55年頃 DD13116牽引 貨物列車
昭和55年7月 DD1325 単機回送
昭和56年頃 DD1325牽引 貨物列車
昭和57年5月 折り返し待機中のDD1336
DD13は、写真を撮り始めた頃から常に身近にいましたので、特に注目するわけではなく、何となく撮ったものが残っていた感じです。田端機関区配置の車両は第2陣で、20番代以降でした。それでも、写真の116や133などの2つ目車はかなり珍しかったので、狙っていたわけではなかったにしても、取り敢えず押えていたという感じでしょうね。
貨物の輸送システムの見直しから中間駅の貨物扱いがことごとく廃止され、川口駅も然り、折り返しの拠点であった蕨駅もあっさりと廃止されてしまいました。
ちなみに、蕨駅では日本車両蕨工場と住友セメントがあり、貨物扱い駅としてはそれなりに規模があったのですが、日本車両は物心ついた頃には既に愛知県豊川に移転し、住友セメントもいつ頃か定かな記憶がありませんが、昭和55年頃には移転していたかもしれません。
貨物の度重なる合理化で次々と姿を消していったDD13型機関車。昭和59年2月のダイヤ改正で最終打撃を受けました。
その直後の分割民営化に際しては、稼動経歴の浅いDE10やDE11でさえ大量に廃車されてしまったくらいですから、旧型で非力なDD13型が残る余地も無かったと言えましょう。
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