マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

DD13型ディーゼル機関車:地元編

2012-02-24 00:30:00 | 国鉄・JRディーゼル機関車
DD13型ディーゼル機関車:地元編


DD13型ディーゼル機関車は、国鉄が導入した入換用液体式ディーゼル機関車です。
それまでは構内入換と言えば蒸気機関車が行っていましたが、輸送量・入換量の増加に伴う煤煙やコストの問題もあったため、一部存在したディーゼル機関車を補完すべく、昭和33年から導入が始まりました。
昭和42年まで長きにわたって製造が行われたため、性能、外観的にも年次による違いが大きくあります。

撮影枚数が多くはないため、ある程度の地域ごとにご紹介したいと思います。
今回は、特に馴染みのあった地元編でご紹介いたします。



昭和52年頃 DD1320牽引 貨物列車



昭和53年頃 DD1330牽引 貨物列車



昭和54年頃 DD13133牽引 貨物列車



昭和55年頃 DD13116牽引 貨物列車



昭和55年7月 DD1325 単機回送



昭和56年頃 DD1325牽引 貨物列車



昭和57年5月 折り返し待機中のDD1336

DD13は、写真を撮り始めた頃から常に身近にいましたので、特に注目するわけではなく、何となく撮ったものが残っていた感じです。田端機関区配置の車両は第2陣で、20番代以降でした。それでも、写真の116や133などの2つ目車はかなり珍しかったので、狙っていたわけではなかったにしても、取り敢えず押えていたという感じでしょうね。

貨物の輸送システムの見直しから中間駅の貨物扱いがことごとく廃止され、川口駅も然り、折り返しの拠点であった蕨駅もあっさりと廃止されてしまいました。
ちなみに、蕨駅では日本車両蕨工場と住友セメントがあり、貨物扱い駅としてはそれなりに規模があったのですが、日本車両は物心ついた頃には既に愛知県豊川に移転し、住友セメントもいつ頃か定かな記憶がありませんが、昭和55年頃には移転していたかもしれません。

貨物の度重なる合理化で次々と姿を消していったDD13型機関車。昭和59年2月のダイヤ改正で最終打撃を受けました。
その直後の分割民営化に際しては、稼動経歴の浅いDE10やDE11でさえ大量に廃車されてしまったくらいですから、旧型で非力なDD13型が残る余地も無かったと言えましょう。

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東葉高速鉄道:1000形

2012-02-23 00:30:00 | 第三セクター
東葉高速鉄道:1000形


東葉高速鉄道は、千葉県・船橋市・八千代市・東京地下鉄・京成電鉄・東武鉄道・新京成電鉄を主要株主として起こされた第三セクターです。
西船橋 ~ 東葉勝田台16.2kmを結ぶ鉄道で、西船橋では東京メトロ東西線と相互乗り入れとなっており、平成8年4月に鉄道線の営業を開始しています。

1000形は、同鉄道が開業する少し前の平成8年3月から東西線内で運用が開始され、同年4月27日の東葉高速鉄道の開業により本格使用となった車両で、10両×10編成が用意されました。すべてが営団地下鉄5000系を種車とする中古車となっていますが、前面の改造や車体色の区別により、元5000系とはかなりイメージが変わっています。



平成15年5月3日 東京メトロ東西線 原木中山駅にて

東葉高速鉄道が開業した際、営団地下鉄東西線の05系導入により余剰となった5000系を改造して導入されたのがこの1000系です。実は、この写真を撮る時まで知らなかったんですよね。そう言われると、側面はそのまんま5000系ですね。

千葉方面に新興住宅地を走るこの東葉高速鉄道や、北総開発鉄道というのは、未だにどこをどう通っているのかすら良く分かりません。強いて言えば、北総開発の柴又付近は、仕事の関係で建設中の同鉄道を訪れたことがあるくらいでした。

そんなことで、どこに向かっているかすら分からない電車でしたが、東西線を利用するとしばしば見掛けた電車でもありましたので、存在はもちろん知っていたんですけどね。
103系と301系の最後を記録する際、偶然にも撮ることが出来た1枚でした。

平成18年12月をもって運転を終了し、廃車になったもの、インドネシアに譲渡され生き残っているものもあります。

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夢空間:臨時特急 「さよなら『夢空間・北斗星』号」

2012-02-22 00:30:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
夢空間:臨時特急 「さよなら『夢空間・北斗星』号」


先般、『EF8180牽引:臨時寝台特急「夢空間北斗星82号」』『展示車:臨時寝台特急「夢空間わくら」』をご紹介いたしましたが、今回は一般客が乗車できた最後の夢空間としてせっていされた夢空間:臨時特急 「さよなら『夢空間・北斗星』号」をご紹介いたします。



平成20年3月1日 西川口~蕨間にて EF8192牽引 「さよなら『夢空間・北斗星』号」

シャッタースピードは1/25を表示しており、仕方なく流し撮り。なんとかナンバーが判読できる程度に写し込むことができました。
「カシオペア」のスジで運転されましたが、この時期に性能が古いコンデジでは限界を超えています。

ヘッドマークは「北斗星」を期待していたのですが、夢空間専用のヘッドマークでした。
もっとも、このマークを付けた動く列車は撮ったことがありませんので、自分的には貴重なシーンとなりました。



この後、団体列車のさよなら列車でラストランを迎えることになります。

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キハ28:貨物列車併結回送

2012-02-21 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
キハ28:貨物列車併結回送


中学生の頃の写真を見返してみると、良くもまあ撮っていたこと・・・と思う写真が結構あります。写りが良くなくてプリントしていなかったり、アルバムにさえ入れてもらえなかった列車たちが、トリミングとカラー補正という再生手段によって次々と息を吹き返しました。

そんな中で、ちょっと珍しい写真をご紹介いたします。
当時は良いカメラを使っていなかったので、ブレたり露出が合っていなかったりで見苦しいものですが、なかなか面白い写真だと思いますのでご覧下さい。



昭和51年頃 西川口~蕨間にて 編成後部に連結回送されるキハ28

写真は大きくなるようにしてあります。
貨物列車の後部に連結されたキハ28。その前位に工場指定のチキが連結されていますので、工場入場車の回送列車かもしれません。
複数の気動車を1度に回送するときは、回送客車列車として機関車が牽引するのですが、稀に1両程度ですと、このような光景を見ることができました。
貨車に乗っていた私としては、最後部のワフ22000もヨダレが落ちそうなくらいレアな貨車(ちなみに、現役時代は乗ったことが無い)ですし、写真では判りづらいですが、キハ28の一番手前のドア部分だけが800番代の修学旅行色に見えるのが非常に興味深いです。一体、何があったのだろうか・・・と考えてしまうような写真です。

このほかにも、写真は撮れませんでしたが、貨物の後部連結でウグイス色103系のモハユニットを回送しているシーンを目撃したこともあります。

現在のJRでは、列車の固定化が進んでしまったので、このようにハンパモノを貨物列車に連結して回送する手段なんていうこと自体がなくなってしまいました。

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国鉄 直流型電気機関車:ED62(その2)

2012-02-20 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 直流型電気機関車:ED62(その2)


昨日のED62からの続きです。





昭和58年7月1日 ED6212

すでに旧型国電も終焉といった時期で、1日に2往復程度しか運用が残っていなかったと思います。定期運行の旧型国電にも、さよなら旧国のヘッドマークが取り付けられていました。
それでも、貨物輸送については大合理化の前なので、定期スジの貨物はちゃんと走っていました。



昭和58年7月1日 ED6217

こちらも同じ場所で、比較的同じ時間に上下列車が交錯していたようです。
写真の17号機は、今でも大宮総合車輌センターで保存されています。



昭和57年8月10日 ED625 大沢信号場にて

時期が前後していますが、初めて大沢信号場を訪れた時の写真です。



昭和57年8月10日 ED627

こちらも同じ行程で撮った写真ですが、場所が特定できません。
飯田線は、全線に渡り駅間距離が短いため、1回の撮影で5駅~10駅近くも歩いてしまうことが多いんです。ですので、細かい区間の特定が非常に困難であり、記録の残っていない今となっては、旧国データ泣かせとなっています。



平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて

現在も同センターで保存されているED6217です。
確か、ED62として最後まで残っていたカマだったと記憶しています。



平成21年8月22日 佐久間レールパークにて

佐久間レールパークにて保存されていた14号機。
詳細な情報は確認できませんが、同園の閉園後に現地で解体されてしまったようです。

マイナーな機関車にもかかわらず、保存車があると言うのは嬉しいことです。
ただ、大宮の17号機も博物館に収蔵された訳ではありませんので、油断はならないところです。

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