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国鉄 可部線:72系旧型国電

2012-02-03 00:30:00 | 旧型国電
国鉄 可部線:72系旧型国電


可部線は、広島駅の1つとなりにある横川(よこがわ)駅から分岐して蛇行しながら山陰の山奥へと向かうローカル線です。三段峡駅まで60.2kmに及ぶ比較的長い距離を結んでいました。
同線の特徴は、途中の14km地点にある可部駅までは都市近郊型の直流電化路線、その先は非電化のローカル線と2つの顔を持つ路線で、関東や東北ではあまり見ることの出来ない形態をしていました。※福塩線辺りは類似していると言えるかもしれません。

電化区間である可部線には、古くは17mの戦前型国電が走り、それらを淘汰した際に72系の20m車が配置されています。
塗装は広島地区独特の塗装で、仙石線同様のウグイス色(山手線と同じ。)が用いられていましたが、仙石線とは違い、面積の広いオレンジ色の警戒色が塗られているという特徴がありました。ある意味、この塗装が可部線の72系を不人気にしていた感も否めません。
ちなみに、この塗装は同じ広島地区の呉線の普通列車に端を発するデザインで、車両も共通のようです。







昭和57年10月4日 上八木~中島間にて



昭和57年10月4日 横川駅にて

初めて可部線を訪れた時に撮った写真です。
撮影地も良く分からないので、取り敢えず乗車してロケハンを実施。降りたのがこの区間でした。
車両は72系で、クモハ73+クハ79の2連のみ。乗客の多い時間帯は2×2の4連で運行され、朝夕の通勤・通学時間帯は広島駅まで乗り入れを行っていました。※一部で海田市駅までの乗り入れあり。
こうした運行形態は、当時やはり72系で運転されていた富山港線と酷似していました。
ただ、車両形態のバリエーションで言うと、可部線のほうがやや面白みはあったかもしれません。




可部線にはクモハ730001のトップナンバー車も居たんです。普通、旧型国電は000番から番号が始まるのですが、72系は001から付番されたようです。
しかもレアな海田市行きのサボ。可部線が主体なのか山陽本線が主体なのか意味不明の表示です。





昭和59年2月10日 可部線 横川駅にて

これは2度目に同線を訪れた時に撮った写真。
宮島へ行く途中、広島で寝台列車を降り、早朝なので1駅寄り道をして撮りました。
テツじゃない職場の同僚との旅行だったので、深入りせずに記念撮影的に。
なぜわざわざ寄ったかというと、57年の撮影のときに、便所付きクハ79の写真を撮り損なっていたので、どうしても撮りたかったんです。そしたら、幸運にも1発目に来た4両編成の最後部に便所付きクハ79が連結されていました。

この可部線の72系は、最後に撮影した昭和59年に105系に置き換えられてしまい、この時点で極特殊な線区を除き旧型国電は全国的に淘汰されてしまいました。
ウグイス色の旧型国電も、この可部線が最後の運行線区となっています。

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