キハ82系:特急「まつかぜ」
「まつかぜ」は、関西~山陰を結ぶ特急列車として誕生しました。
2往復設定され、新大阪~鳥取間が1往復と、山陰本線経由で長躯博多を往復しているものが1往復ありました。鳥取往復には食堂車無しの短い6両編成(「はまかぜ」と共通)と、博多編成はグリーン車を2両に食堂車を連結した長大編成を組みました。特に博多行きの「まつかぜ」は山陰の女王とまで呼ばれていたようです。
運転初日からキハ82が車両故障を起こして大幅遅延、折り返しまでに修理が間に合わなくなり、変わりにキハ58を連結して急場を凌いだという有名なエピソードがあります。
昭和55年8月 山陰本線 荒島~揖屋間にて
運転本数が少ないだけに、捉える機会のなかった「まつかぜ」です。
フィルム交換直後に背後から襲われたらしく、後部だけを撮っており、しかも、フィルム面の一部が感光しています。
ご紹介するほどの写真ではありませんが、私にとっては他に撮影したものが無いため、大切な資料となっています。
その後、キハ82系の引退により「やくも」から捻出されたキハ181系と交代。さらには編成の短縮、廃止、キハ187系による区間運転の復活と、めまぐるしく歴史を繰り返しています。
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「まつかぜ」は、関西~山陰を結ぶ特急列車として誕生しました。
2往復設定され、新大阪~鳥取間が1往復と、山陰本線経由で長躯博多を往復しているものが1往復ありました。鳥取往復には食堂車無しの短い6両編成(「はまかぜ」と共通)と、博多編成はグリーン車を2両に食堂車を連結した長大編成を組みました。特に博多行きの「まつかぜ」は山陰の女王とまで呼ばれていたようです。
運転初日からキハ82が車両故障を起こして大幅遅延、折り返しまでに修理が間に合わなくなり、変わりにキハ58を連結して急場を凌いだという有名なエピソードがあります。
昭和55年8月 山陰本線 荒島~揖屋間にて
運転本数が少ないだけに、捉える機会のなかった「まつかぜ」です。
フィルム交換直後に背後から襲われたらしく、後部だけを撮っており、しかも、フィルム面の一部が感光しています。
ご紹介するほどの写真ではありませんが、私にとっては他に撮影したものが無いため、大切な資料となっています。
その後、キハ82系の引退により「やくも」から捻出されたキハ181系と交代。さらには編成の短縮、廃止、キハ187系による区間運転の復活と、めまぐるしく歴史を繰り返しています。
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