マル鉄・鉄道写真館

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485系:特急「やまばと」(貫通型・非貫通型編)

2011-07-11 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系:特急「やまばと」(貫通型・非貫通型編)


「やまばと」は、上野~山形間を結んでいた特急列車です。
登場当初はキハ82系が使用され、上野~会津若松間を結ぶ編成を併結していました、電化の進捗とともに会津編成は独立して特急「あいづ」となり、上野~山形間が「やまばと」として存続しています。

電化後、しばらくは仙台運転所持ちの485系が使用されており、クロ481を含む12連でしたが、昭和50年頃からクロ481の撤退が始まり、サロの組み込みとともに貫通型や非貫通型が使用されるようになっています。また、一部には青森運転所持ちの編成も運用に入っています。

また、53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番代による運用となりました。



昭和51年頃 上野駅にて クハ481-300代

53・10改正以前の字幕時代です。
上野駅15・16番線で並ぶ「やまびこ」と「やまばと」。上野駅黄金時代と言える頃ですね。昼頃から夕方までは、上野発と着の列車が各ホームで交錯し、どこのホームに行っても特急列車が停まっているような状況でした。



昭和52年 宇都宮駅にて

宇都宮駅を通過中の非貫通型「やまばと」。



昭和52年1月 大宮駅にて

こちらも青森持ちでしょうかね。貫通型の「やまばと」です。新幹線高架橋のない大宮駅は、今では想像できないほどスッキリしています。



昭和53年9月 蕨駅にて 

イラストマークが使用されている貫通型の「やまばと」です。
53・10ダイヤ改正からは「やまばと」の運用が全面的に秋田運転所へ移管となり、一方、ヘッドマークのイラスト化も同時であったため、本来「やまばと」のイラストマークは1000番台車にしか存在しない筈です。しかし、改正1ヶ月くらい前にはヘッドマーク交換の準備が始まっていたため、わずかな期間ではありましたが、200番台貫通型の「やまばと」にイラストマーク掲示列車が存在しました。
画像は悪いですが、そんな貴重な1コマです。





昭和56年頃 蕨~西川口間にて

53・10改正以降の写真です。
秋田運転所持ちとなり、1000番代のみの変化のない編成になってしまいました。それでも食堂車を含む12連は、今から見れば堂々とした特急列車らしい編成ですね。
秋田持ちの485系は、初めからグリーン車が6号車に組成されていました。



昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて

本数が少なかったこともあり、地方での撮影記録は余りありません。雪景色を行く「やまばと」はこの1枚だけで、私的には貴重な記録です。



昭和57年1月4日 東北本線 ???

東北の撮影に行った際、どこかの駅で通過待ちの際に撮影したものですが、どこの駅か全く記憶がありません。パンタが2丁とも上がっていますが、延伸された部分以外ホームが低くなっていますので、交流区間の可能性が高いようです。



昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて 

東北新幹線が開業してからも、大宮暫定開業に伴う乗換え不便対応として、上野発の「やまばと」「つばさ」が各1.5往復づつ残されました。
東北新幹線の開業直前から食堂車ははずされ、さらに9連へと編成が短縮されています。

そして、この写真を撮影してまもなくの昭和60年3月、東北新幹線上野開業時に福島接続の特急はすべて愛称を「つばさ」とされてしまい、長らく奥羽特急コンビで活躍した「やまばと」の愛称は一足先に消滅することとなりました。

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