あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー2001その1

2005-08-31 | ダイアリー
21世紀が始った。
佐渡での骨折もようやく癒え、新世紀を新たな気持ちで迎えた。
元旦の20km走から始動する、気合は十分であった、、、、

1月 不本意ではあったが、宮古島ツアーを仕切ることになる、
もういい加減、嫌気が差していたが、この年はJOY以外の参加者も多数いて
しかたなく引き受ける。友人の相鉄観光のM田氏も3月で退職するとのことで
4日には打ち合わせに入り、名簿の作成日程調整などあらかた決めてしまった。
あとはドタキャンがないことを祈るのみだが、ドタキャンどころか
宮古島初トライの人や友人の知り合いとかが駆け込み参加で、総勢16名と
過去最高の人員、私も最後のツアーコンダクターである、正直な所、父の入院、
手術が中旬に控えていたので、訳を話して誰かに引き継いでもらいたかったが
初出場の人がいたり、宿だけのお願いとかけっこうめんどくさくて、もう開き直っ
てやることにした。

2月 修行は全開といいたいところだが、寒さには勝てずランニングとスイムの
距離が伸びない、毎週天候に恵まれてバイクの距離はそこそこ行くが、いまいち
詰めがあまい。実走600km、エアロバイク300km、ランニング220km
スイム17kmと距離と時間は75%の出来だが、体のベースはできた。

3月 三浦マラソンにてH木事務局長(当時)を伴走、時間内完走は
ならなかったが、いつも応援していただいていることに感謝の気持ちで
伴走させていただいた。春分の日にロングライド中、熱海でタンクローリ
車に巻き込まれ激突!転倒!ヘルメットが割れた、病院でなぜか肇君
から電話が入り、事情を説明すると、H田君に転送してくれて、H田君
とN美ちゃんがワザワザ熱海まで迎えに来てくれた。ものすごく嬉しかった
今でも感謝しています。怪我はたいしたことは無く、では無く右手の甲を
骨折していた。宮古島に黄色信号が点灯、あと1ヶ月を切っていた、、、、

4月 幸いなことにランニングは出来たので、スローランとエアロバイク
スイムは右手があまり使えないがレースまでには何とかなりそうであった。
調整と言うと聞こえが良いが、怪我して出来ないわけで、本番の前に
もう反省の日々である、、、、

4月13日 宮古島へ、なりすけ君、T岡君と彼女の裕子さん
現在日本チャンピオンのM丸君のワコーズ、T橋シェルパ和君と小助さんの
初宮古組、A井さん、直Pの金沢区組 K村さん、肇君、私と
常連組、KB田君、T見沢君と肇君のAV仲間(アドベンチャーです)と
早朝羽田に集合、朝からハイテンションで先行き不安、、那覇経由で昼過ぎ
宮古島到着、ジロー村で大阪在住のN津さんも合流、久しぶりの再会
宿だけ一緒で厚木のI原夫妻(前年結婚しました、なりすけ君の友人)
宿は違うがO上女王様もカーボパーティーで合流して大いに盛り上がる。
が、背筋に悪寒が走る、、羽田でも感じていたがどうやらこちらに来る前に
風邪を引いたようであった。この時点で宿に戻り、薬を飲んで寝れば
まだどうにかなったにかもしれない、、、、、暗雲が立ち込めてきた、、

パーティーを切り上げられなかったのはなぜなのか?
今、思い出してみると、いろんなことを思い出した。
O上女王様が色気(毒気?)ムンムンで香川の「O宏樹君」にせまり、彼は
毒気に当てられこの年は前年より順位を下げた、、(皆生3位の実力者です)
すーさんの後輩の東北大学TA部のOB「S藤マラソンマン和也」とトントラ
部員たちの乱入、T中Kさんご一行様(ご家族総出で大変だったと思います)
との歓談、旧友との再会。21世紀初の宮古島なので例年より盛大であった。

毎年のことではあるが、宮古島TA イコール同窓会みたいな所があって
毎年ここでしか会えない人たちも居て、途中切り上げて帰れなかったのだ
ジロー村に戻ると、もう速攻で熱が出てきた。同室だった、K村さん、N津さん
M丸君はTシャツと短パンで寝てるのに、私はジャージの上下で布団に包まり
がたがたと寒気に震えていた、もう完全に風邪引き状態、この時点で
私の21世紀初トライアスロンは終わっていたのだろう、、、

翌朝、喉が痛い、扁桃腺もはれていた。熱は下がらず、「もう医者に行っても
遅いだろうな」、と思い和君に平良市内の薬局へ車で連れて行ってもらい
怪しげなドリンク剤と解熱剤を購入する、「アンデスマカ王」とか言うこの怪しい
ドリンク剤はけっこうな値段で、1本¥1800で1日3本、2日分で6本購入
薬局のおばさんが言うには「これ飲めば、だいじょぶさ~あしたでられるよ~」
本気にはしなかったが、少し望みがでた、「あぱら樹」で皆と昼食後東急へ
自転車の預託に、例年だと自走だが、この年はレンタカー組に同乗する。

早々に預託して早めに宿に帰る、例年どうり夕食は「えびす」でバイキング
元気なら「楽しく美味しくいただきます」だがこの年は食欲無し、元気なM丸君
の食欲には恐れ入った。やはり日本チャンピオンになる人の器は色んな
面でデカイ!!!(胃袋もデカイ!!!)が少し残して怖い「なりすけ先輩」
に「食えねー物を盛るんじゃねー」としかられていた。そこには縦社会の
厳しい?現実が、、、、、そんなことはどうでも良いが、熱が少し下がったので
出る方向で支度をする。ゼッケン、補給食、トラバック確認、と支度はするが
やはり本調子ではなく、いまいち集中力に欠ける、グウなどボトルにいれ
過ぎてしまった。こんなに入れてどうするんだ?

小助さんと和君は寝る前に日焼け止めを塗って寝たらしい(あとで肇君
に聴いた話)AV仲間のT見沢君とKB田君が笑うに笑えず困ったそうだ
初宮古島コンビも中々やらかしてくれます。怪しげな「アンデスマカ王」は
独特な風味で正直な所、美味しく無いが効き目はありそう?解熱剤が効いたか
マカ王が効いたかは解らないが、熱は少し下がった、しかし喉の痛みと体の
だるさが解消されない、出るか出ないか迷う所である。

4時起床、喉が痛く体もだるい、熱はさがったが、どう考えても200kmは
持ちそうにない、出走しないと完全に来年はない!!途中リタイヤなら来年
の望みはある、マカ王を2本飲んで大会バスに乗り込む、バイクセット、ナンバー
リング、最終チェック、と坦々とこなすが気分も体も重い、リタイヤすると解って
出るのも辛いものである。バイクトラジッションで鶴見のS瓶さんと会い記念撮影

顔面蒼白のO上女王様と遭遇、かなりナーバスになっていた。無理もない
初ロングである、励ましにはならなかったろうが、一言二言、声をかけた、
手首のセンサーベルトの長さが気になるとのこと、余分なところを噛み切って
あげた、シズオ兄の入れてくれた義歯はすこぶる調子が良い。女王様に
ようやく笑顔が、私はまた熱が、、、雨も振ってきた。

7時半、ゴールではなくリタイヤに向けてスイムスタート、当初は最初の
ターンのテーブル船でリタイヤの予定であったが、なんとなく3000m泳ぎ
切ってしまった、タイムを見ると1:01分、いつもより10分遅い、とりあえず
バイクジャージに着替えて、医療テントへ、寒い、毛布を掛けてもらいリタイヤ
する旨を伝え、センサーチップとゼッケンを返す。2001年、私の宮古島TAは
医療テントで終わった、30分ほど休み自走で宿に戻る、途中選手と間違われ
応援された、哀しかった。
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