ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

こだわる心でレベルアップ

2015-07-19 14:06:03 | 演劇

 演劇の場合、客席から見える所にしか世界は存在しない。豪華な応接間であろうと、老舗旅館であろうと、あるいは場末のガード下であろうと、客席からそのように見えればいいのであって、裏側はどんなことになっていようと関係ない。そこで注意を払われるのは、装置の安定性と舞台の安全性くらいのことだ。だから、初めて舞台裏を見た観客は、そのギャップに感心すると同時に、なんだか騙されたような、一種やり所のない感情にとらわれる。芝居に再現された濃密なリアリティが、薄いベニヤ板数枚で支えられているなんて、できれば信じたくはない。

 観客が失望しようと落胆しようと、作る側としては、無駄なところに力を注ぐ必要はない。見える部分にはたっぷりこだわればいい。高校演劇の指導では、見えない面に色を塗ってたり、外に現れない仕事の丁寧さに満足していたりすると、自己満足してんじゃねえ!って怒ったりしたもんだ。菜の花座だって同じ事。今回の装置について言えば、葭簀の裏側は『マダム・アンコ』のパネルそのものだ。透けてみえたら暗幕張ればいい、そういうことだ。

 道具や衣装についても基本は同じこと、それらしく見えればそれでいい。大金持ちだからと言って、本物のブランド品で飾る必要なんかまるでない。それらしく、それっぽく!そこがねらい所だ。同じく『お遍路颪』では、お遍路さんが首から掛けている和袈裟、生地は畳の縁地だ。そう、それでよい。ところが、ここに付けられている組紐、これに担当者がこたわりを見せた。

 淡路結び、別名あわび結びとも言うそうだ。結び直しがきかない結び方ということで、一度きりのお祝い事や仏事用に用いられるものとのこと。この結び方が、和袈裟に使われていることを発見、ネットの画像を参考に、本物そっくり、いや本物に仕上げてくれた。演劇のそれらしく精神からすれば、そこまでこだわらなくても、ってことなんだが、実際に付けて見ると、畳の縁地も一気に本物の様相を呈してくるじゃないか。なるほど、なるほど!相乗効果ってやつだ。偽物だらけ、それらしいまがい物で見せる舞台でも、一点、本物を紛れ込ませると、どこか本物感がアップするってことだろう。役者に与える影響だって馬鹿にはできない。本物を身につけたり、手にしたりすれば、知らず知らず仕草も気品に満ちてこようというものだ。

 こだわりの心、本物を追求する精神、これを失うと、いつしか、適当なところで満足するようになっていくのだろう。まっ、そんなとこでいいんじゃない、いつの間にか、流されていたことに気付かせてくれた、こだわりの淡路結びだった。

 

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