ポピュリズムだっ、って言ったら、批判完了?
未だにそんなレベルかよ!
ちょいましかな?って思って見てた動画サイト、れいわ新選組もルーマニアの二の舞の可能性あり、だってぇ?
SNSでバズって一躍大統領最有力に躍り出た極右候補と同類だってよ。
いつになったら、この低レベルの決めつけから抜け出すんだろうね。
まず、SNSで人気上昇って認識そのものが間違ってるよな。
山本太郎も明確に否定してるように、直に人々に接して話すってこと、言って見りゃ旧態然たるどぶ板を大切にしてること、ちょっとれいわ新選組の活動注視してりゃわかることだ。
毎週末のデモにおしゃべり会、全国各地でボランティアのスタンディングや街宣、地道な活動がようやく世間の目に触れて、見直され始めてるってことだぜ。候補者の辻立ちてのはよく見る光景だが、直近に選挙なしでも、立ち続けてるって、しかも、候補者以外のボランティアがって、まぁ、他の政党にゃないんじゃないか。

でも、問題はそこじゃない!
そうやって人々に支えられてるってことをポピュリズムって見下すことが、見当違いだぜ、ってこと。
政治って有権者の願い、要望を聞いて動いて当たり前なんじゃね?切羽詰まった暮らしから、消費税廃止!とか、税金返せ!あっ、昨日のデモじゃもっぱら、米だせ、米寄こせ!っだったけど、とか叫ぶって、真っ当なことじゃね?まずそこな、政党は、国民の大多数が望んでいることを吸い上げるのが一番の役割だってこと。
自民党はその点偉いよ、しっかり財界と富裕層の要望を組み入れ続けてるもの、そう、小泉進次郎が言ったように、企業献金をもらって国民の意見を聞いてますって、つまり、自民党は企業・財界・富裕層ポピュリズムの姿勢を一貫して貫いているってことだ。
話しを戻す。人々の切実で素朴な欲求ばかりに振り回されると、これはまずいことになる。
けっこう性悪の部分を持ち合わせてるのが庶民てもんだからさ。
差別意識根深いものあるだろ、貧富も学歴も男女も非正規も、差別する意識なんとなく当たり前に身に着けてるのが庶民だ。
排外主義とも仲良しだ。在日差別攻撃は根強く続くし、今じゃクルド人をやり玉に上げて、溜飲下げてる。
人権意識も低いしな。
領土を守れ!にゃ諸手を上げるし。中国、北朝鮮、怖いぞって煽りにゃほぼ乗せられてるもの、ほら、台湾有事。
家父長制の残渣も沁みついてて、未だにパワハラ、セクハラの激発が止まらない。
多かれ少なかれ、こんな卑しく危うい感覚を、意識的にせよ、無意識にせよ、装着してるのが国民、庶民ってことなんだな、俺も含めて。上から目線、気を付けよう。
もちろん、こういった、ある意味、人間の本能的な劣情に寄り添って行ってしまえば、そのポピュリズムは徹底的に批判されにゃならん。その先にあるのは、強烈な差別社会だったり、戦争だったりするわけだから。
そんな残念な事例を過去にたくさん持ち合わせている。植民地争奪、帝国主義戦争、究極の軍国主義、そしてナチズム。暴力と差別と人間性の否定の荒れ狂った過去を。
いいや、今だって、ウクライナのブチャの残酷、ガザやヨルダン川西岸で住民抹殺、壊滅。
人々の人気に支えられていることが問題じゃない。出発点としてのワンイシュー、人々の切望を、どこに導いて行くのか?そこが評価の分かれ道になるんだ。
苦しい生活を何とかしろ!その願いに向けて運動しつつ、
目指すのは、誰もが救われる社会だよね、
差別やヘイトのない社会だよね、
戦争のない国、世界だよね、
持続可能な未来だよね、
と、道しるべを示しつつある歩めるかどうか?
ポピュリズムの評価は、そこまで見て判断を下せよってことだぜ。
それでも今のところ、れいわと山本太郎氏を私はまだ全面的に信頼しきれていなかったりします。大衆の力というものは本当はそれほど強大で、しかも制御するのが難しいものだと思っているからです。もしやり損ねたら、簡単に全体主義の暗黒面に落ちると思います。
もしかすると山本氏やれいわではなくて、今の日本の庶民というものに対する不信感があまりに強いだけなのかもしれません。
でも庶民の力を掬い上げ、危険でない方向へと向ける「可能性がある」政党ということでは、れいわがいちばん期待の持てる政党でもありますね。