以前紹介したけど、
Colaboのグループが、また能登の被災地を回っている。今回も少女たちの欲しそうなものをさまざま取り揃えて。
そう、俺もアマゾン経由でローファー2足寄付させてもらった、たったそれだけ!ま、まっ、そう言うなって、寄付する先はあちこちあるんだからさ。
そんなこたぁどうでもいい。
代表の仁藤さんの報告、心温まってとてもよい。彼女のツイッターXからぜひ覗いてみて欲しい。
その中で気になったこと。
穴水の被災者の一言、珠洲や輪島の人たちと比べれば私たちは大したことないから、って援助を遠慮するんだって。
いやいや、大変な状況なんだから、遠慮したり、へりくだったりせず、素直な気持ちで善意を受け入れなよ。
こういう謙譲の精神、特に能登の人たちには強いようで、それは、強烈な自助の意識、自負心の現れてもあるんだろけど、無理は無理。家潰れて、避難所の食事は貧しく、トイレもままならない状況で、控えめにじっと我慢、ってそりゃないと思うんだ。
遠慮しなくっていいんだよ、って、プッシュ型でも何でもいいから、手を差し伸べてくれる自治体や政府なら、お互いの譲り合い、それ美しい心の在り方だ。
でも、今や、って言うか、これまでもずっとって言うか、そんな庶民の周囲を慮る優しい心根をいいことに、知らんぷり、あるいはやった振りしてやり過ごして来たのが、日本の指導者たちのありようじゃないかい。
思い出してくれよ、自助、共助があってその先に公助!ってあからさまに宣言してたんだぜ前総理大臣、菅義偉。
お上の言葉を真に受けて、あるいは、ひれ伏して、なんとか自分たちでって、ぼろぼろになっての頑張りで切り抜けようとしているのが、今の能登人たち、とりわけお年寄りたちだ。
ダメだって、そんな精神、美しくもなんともないって。
地震は自分のせいじゃないだろ。津波に責任もてないだろ、個々人じゃ。災害があれば、それを出来る限り力を尽くして助力する。人々の生活再建に手段を講ずる、これが政府の存在理由なんだぜ。
昔の殿様と領民じゃないんだからさぁ、言われるままに平身低頭してるいわれはないんだ。って、言うか、その沁みついた謙譲の精神こそ、この世の中の進歩を妨げてるものなんじゃないか?
謙譲の精神、分を守る心性、忍耐我慢と自助精神でいいようにこき使われてるから、がっぽり掻っ攫われて、最低限の暮らしもままならぬまま、じっと耐え忍ぶ暮らしになっちまったんだ。
なっ、だから、遠慮せず声を上げてくれよ、要求してくれよ、そうでないと、地域も暮らしも人間さえも抹消されちまうぜ。
なんせ、過疎地は無駄、年寄りは邪魔って、大っぴら騒ぎ立てる奴らが持てはやされる世の中になってんだからさ。
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