2回目押してから、ぴったり2週間。ここらじゃないか、3度目押すなら。根の傷みも回復したろうし、雑草たちも満を持して伸び出しているだろうからな。ここを逃せば草に覆われたちまち作業が辛くなる。梅雨とは言っても、ここ数日、なんとか曇り空で勘弁してもらえそうだしな。
田の外から見渡す限り、イネ列の畝間はきれいなもんだが、見かけに騙されちゃいかんのだぜ。入ってみりゃ、なかなか大変なのがわかる。退治し残りや除草後に芽生えた雑草たちが逞しく立派に生がってやがるのさ。徹底的に押て土がらみひっくり返したはずなのに、まったく!この残党たち、危機を生き延びただけに根の張りもがっしりだ。油断すると除草機も草の上をつーっと空滑りしちまう。そうはさせじと、足腰、腕肩、ぐっと力を入れて押通す。なんか、2回目より大変だぜ。ただ、ここで楽すりゃ後々とんでもない災厄が待っている。声かけ、気力を振り絞って一押し、また一押し。
さらに厄介なのは、イネ株に身を隠すように育った株間の雑草たちだ。ここは除草機の盲点だ。手で取るか、Qホーという長柄の鎌で刈り取るしかない。コナギが主だが、こいつは、お日様が大好きなので、イネ株が分げつ増やして広がれば、日陰になって生育は衰える。が、オモダカとホタルイはどんどん上に伸びて行くので、イネに負けるなんてことはまったくない。それどころか、生命力はイネより強いから、放っておけば、でかい顔してイネを子分に従えちまうんだ。
だから、除草機押し3度目ともなれば、えっさやっさと除草機押しながら、このオモダカ、ホタルイを引っこ抜くという地味ぃぃぃな作業が欠かせない。またあった。ほれ、そこにも隠れてやがる。抜き取った草は、畔の近くなら、放って捨て、それも叶わぬ中心部だと、茎から根っこをちぎり取りその場に置き去りにする。なんたって雑草の生命力だ、根つきのまま放置すれば、おお九死に一生感謝!とばかりに根を張るから、厄介なのだ。茎の繊維が柔らかいオモダカなどは、両手を使わずとも親指に力を入れて両断できるが、ホタルイって奴は、茎といい発根力といい雑草の負けじ魂に満ちているから、見つければしばし手を止めて両手を使って引きちぎらねばならぬ。これが実に面倒くさい。
見つければ歩みを止めて、ホタルイ処理、この連続でほとんど進めない。初めのうちこそ、こまめに立ち止まり根切り作業に精出していたが、疲れてくると、もう、いい加減嫌になってくる。が、見つかれば、抜かないわけにはいかない。またか、またあったか。二歩、三歩進めば、さらに顔を覗かせる。もうとことんうんざりしてきて、農業高校教員時代先輩から教わった生徒指導の極意を思い出した。
教科指導でも生徒指導でも決して力を抜かぬその教師の中の教師が言っていた。教師は、時に見ざる聞かざる!が大事、ってね。生意気盛りの生徒たち、無礼で許しがたい暴言もちょくちょくだ。テレビならモザイクかかる言葉とかね。厳しい指導をする教師に対しては特にそんな反撃が多い。その小癪な言葉をいちいち聞きとがめてたら、とても生徒との関係は築けない。聞こえても聞こえふり、見てても知らんぷりも時には必要なんだって。まぁ、たしかにそうでもしなくちゃ精神的平穏を保てないのが、教師の仕事でもあったなぁ。
ほれ、このホタルイの図々しさも小憎らしい生徒の暴言や無法な行為と同じだぜ。時には見逃したっていいんだ。見えても、そこにいるのなんて知らないよぉ!って素通りしてもいいんだ。そう思い直したらずっと気が楽になって歩みも進んだ。まずは、終わらせることたぜ。一日中田んぼで屈みこんじゃいられないんだからさ。
だからって、全無視!ってのは逆に苦労を先延ばしするだけなのは、生徒指導と同じ、時にはこっぴどく手を加えてやりながら、小ぶりな奴は見逃す。これだよ。この難しい判断を繰り返しながら、3度目の除草機、押し終えた。
あっ、この時に見ざる聞かざるの極意って、神さんの小言をやり過ごすのにも効果的だよな。