ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

茎立ち頼りの端境期!

2019-04-19 09:11:33 | 食べ物

 大根も人参も食べ尽くした。キャベツ、白菜もついに終わった。最後のカボチャもカボチャパイに変わった。手に入る野菜と言ったら、茎立ちだけ。おい、頼むぜ、お前さんだけが頼りなんだからさぁ。

 董立ちした茎を摘んで食べるんだが、もう待ちきれない。伸びきる前、どうやら花芽?ってころから摘み続けている。朝、畑に出て若菜摘み、おっ、古の娘子か?って、全然、そんな雅も趣きも縁遠い。ただただ、ぶちぶちとちぎり取って、はい、これで朝昼晩の緑黄色野菜の補給完了、とても豊かな自給暮らしとは言えんなぁ。

 味噌汁の具になり、昼は炒め物、夜は煮物と、一人3役の大活躍、には違いないが、はて、そのほかに何ができる?あぁ、サラダも行けるか。それから、・・・と、まぁ、茎立ちってのは、初々しさだけが持ち味の新人女優みたいなもんだ。使い勝手がはなたはだ悪い。

 だからだぜ、きっと。このところ料理への意欲が急速に減退している。もういいや、どうせ茎立ちだ、菜っ葉食ったら後は、適当に肉とか炒めりゃ、なんて究極の手抜きに走っている。素材に恵まれるってことが、創造の出発点なんだよな。茎立ちにゃ悪いが。

 だったら、キャベツでもなんでも買って来て料理したらいいだろ、って、そうはいかんのさ。別に突っ張るわけじゃないんだが、野菜に関する限り、ないから買っちゃえ、って気持ちにはどうしてもならんのだな、これが。もう何十年もそうやって自給野菜だけで生きてきてると、習い性てのかなぁ、無きゃないでいいや、ふんだんに溢れかえる時期もあれば、乏しく切ない季節もある。それが自然ってもんだ。

 大げさに見栄切れば、いつでも、何でも、望みのままにって欲望全開の生き方が、世界を袋小路に追いやってるってことが分からんのかぁぁぁ。なんて、こと、いつでも考えてるわけじゃないが、まっ、今の暮らしの出発点には違いないから、今さら、市場優先の買い食い暮らしに戻る気にはなれぬってことではある。

 と、菜っ葉を摘みつつ、横を見れば、おおっ!ネギがぁぁぁ、なんと見事に復活しておるではないか!

 雪に埋もれて完全に枯れ果てたのに、鬨の声上げるように、緑の剣先をすっくと立ちあげている。掘り上げてみれば、地中に隠れ忍んだぶっとい茎も健在だ。素晴らしい生命力!よしよし、その冬を耐えきった勢いを頂くことにしようか。さて、なんにする?すき焼きか?うん、焼き鳥なんてのもいいぞ!

コメント
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