ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

黙走ランナーの孤独

2017-09-20 10:39:26 | ランニング

 マラソンって、孤独だよなぁ、って当たり前だ。ハーフなら2時間、フルなら5時間近く、一人黙々と走り続けるわけだから。沿道で声援送ってくれる人の掛け声も力にはなる。でも、それは叱咤激励ってやつで、孤独を癒す会話ってわけじゃない。話し込んでなんかいたら、どんどん時間が経って行って、タイムは落ちる、気力は萎えるでとんでもないことになる。

 大会の一般ランナー見てると、二つに分けられて、一つは走友会とか、何とかランナーズ、みたいな仲間で参加してる人たち。一つテント張って和気あいあいと準備したりしている。一方には、とことん孤独な黙走ランナーたちがいる。個人で申し込み、一人でやってきて、自分だけでアップを済ませ、修行僧のようにレースを耐え忍んでゴールする。終われば、出店やら屋台に寄ることなく、家路を急ぐ。その間、だれとも口をきくこともない。終始黙行!孤独だなぁ!

 言うまでもなく僕もこの部類なんだが、最近はちよこっと話しかけたり、話しかけられたりするようになってきた。大会参加も4年目、20回近いレースをこなしてきて、突っ張っていた肩ひじも少しほぐれてきたのかもしれない。

 更衣室で着替えや準備をしながら、スタートを待つ人込みの中で、あるいは走り終わったくつろぎの時に、ほんの軽く言葉を交わすことが多くなった。いくら黙走ランナーとは言っても、これから走るコースの情報は得ておきたいし、走り切れば、レースの苦労話をだれかに投げかけてみたくなる。走る者にしか通じない話題てのも多いし、一日、または半日の濃密な時間と肉体体験がぎゅっと詰まって口元までせりあがっているんだ。走らぬ人には所詮、もの好きの独りよがりに過ぎなくても、話してみたいじゃないか、聞いて欲しいじゃないか、レース後半競り合ったこととか、ラストスパートで2時間切れたこととか。家に帰って、あるいは劇団の稽古に出て、完走の熱い思いを伝えたところで、返ってくるのは、おざなりの相打ちだったり、軽いスルーだったりだ。 

 だったら、思いを同じくする人と、片時の会話でもいい、楽しんだ方が気持ちも安らぐ。まっ、理屈をつければ、そんなところなんだろう。今回の高畠ロードレースでは、スタート前に、福島の人から声を掛けられた。前回走った二本松東和町の地獄坂ハーフのど派手なTシャツ着てたからね、同じレース出てたってことで親近感を持ったのだろう。発走前のひと時、情報交換。これから走るこコースのポイント、地獄坂の感想、次回走るレースのことなんか、まっ、たわいない話題だ。でも、この二言三言でも、同士愛のような親近感が生まれるから不思議なものだ。コースの折り返し、先に戻ってきた相手に、精一杯手を振ってしまったもの。

 レース後には山形から参加の独走ランナーから話しかけられた。走り終えたコースの辛かったこと、こじんまりとした大会運営、さらにお定まりの、この先参加する大会のこと、着替えやストレッチなんかしながら、話しをした。さて、終わった、なに食うか?これが楽しみ。そうだ。コースのラストで前を通過した龍上海高畠店、しばらく寄ってないなぁ、よしっ、決まり、と車を止め、店内に入ったら、なんと、先ほど別れた山形の人がいた。思いは同じか。

 辛みそラーメン食いながら、山形から走って来て、たかたはワイナリーの収穫祭を楽しんた旅ランのこととか、5回申し込んで未だに当たらぬ東京マラソンのこととか、楽しく聞いた。孤独なランナーもいろいろ工夫して楽しんだり、苦労してレースに出たりしてるってことなんだなぁ。この先いつ会えるか、それはわからない。大きなレースなら、走ったとしても会える見込みの方が少ない。でも、ああ、彼も今、同じ坂道喘ぎつつ走ってんだなぁって思えるだろう。そんな、さらっとしたつながりをレースごとに作っていくってのも、悪かないなぁ。

 大会の写真ね撮ったけど、なんか雰囲気伝わらないものだったから、大会記念Tシャツの写真上げて、今回お終い。

コメント
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