ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

あて書きだからって、楽じゃない!

2008-09-21 21:31:29 | 演劇

 僕が台本書くときは、あて書きだ。置農演劇部にしても、菜の花座にしても、その公演に出られる役者の声と顔と姿と力と見極めながら登場人物を設定していく。全国大会に行った『どんがら山奇譚』なんて、ミドリに何をさせたら生きるか、ってところから思いついた芝居だもの。役者の持ち味は、実に大きい。

 というか、今ある持ち駒を無視して書いたって、いいもの書けっこないって思う。アマチュア演劇の役者の力量には限りがある。どんな役にも対応出来るなんて引き出しの多い人は、まあいない。陰影に富む表現力を持った役者だとしても、その人が存分に輝く役というものは、そうは多くないものだ。だからあて書きする。

 でも、あて書きの純度には幅があるものだ。その役者の地そのもので行けるってものから、ちょっと努力がいるってもの、大いに頑張りが必要ってもの、さらには、これあて書きって言えるか?と役者が悩むものまで、その差は大きい。そのものズバリで行ければ、演技指導は簡単だ。でも、面白くない。書く方だって、そうそう役者に合わせて書けはしない。高校生ものを書けば、役者と役との差は極度に縮まる。でも、これ、書く気ないから。だから、いつも、どの程度役者に冒険させるのか、悩みつつ書いている。

 で、今回の『Let's Dance 1946』だ。年齢から言えば、それほど隔たりはない。登場人物の中心は20歳代前半だから。でもね、生きた時代背景がやたら違い過ぎるんだ。出てくるのは、一年前まで、どう死ぬかってことばかり考えてた若者たちだから。今時の高校生には到底、理解不能、共感拒絶の役柄なんだ。中には、アメリカで育って戦中に日本に戻ってきた日系2世の青年なんてのも出てくるから、これはもう、やたら不可解だ。見かけは日本人でも考え方も身ごなしもアメリカ人でなくちゃならないわけだから。だから、今回はあて書きとは言うものの、要努力!要勉強!!ってことなんだ。しかも、芝居がリアルな演技を求めてるから、なおのこと難しい。

 今日は、3時間半かけてわずか10ページしか直せなかった。ともかく、発声から、せりふ回しから、足の運び、体の傾き、視線の方向、・・・もうなにもか一つ一つ直して行かなくちゃならない。結局、時間切れで、とりあえず通しを行ったが、・・・・当然ながら、ひどい!ああ、どうするよ?あと、稽古できる日数は正味4日間だっていうのに。しかも、一番難問のダンス練習シーンは全くの手つかずなんだ。

 でも、やるっきゃない!乗り越えるきゃない!ここで踏ん張れば、ぐんといいものになる。一気にレベルが上がる。舞台が本物になる!!そして、役者も、つまり部員たちも、確実に力を付けることができるんだ。これまでもそうしてきた。今回だって、きっとできる!って、やたら自己暗示掛けてねえか?いやいや、僕は結構楽観してるんだけどね。

コメント
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