泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

長崎原爆忌

2007-08-09 15:29:52 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜は妙にビールもすすまず。アクアビットにフレッシュ・オレンジ・ジュースと炭酸水を入れて飲んだ。
 尋常でない暑さの中、成田から戻るとき大渋滞に巻き込まれたり、そのまま三浦半島の中華屋に向かい、ついでに祖父母の墓に参ったり。そんなことしてたから暑さ負けしてるのかもしれない。

 今日は長崎原爆忌。長く手を合わせる。長崎には2年住んだ。2年前のお正月には家族で訪問。亡くなった柔道の先生の奥様やジュニアオーケストラの先生と再会。大歓迎を受けた。
 長崎に着いてまず最初に子どもたちを新しい原爆記念館に連れて行った。自分が昔、旧記念館で見てショックを受けた無脳症の子どもの写真はなかった。子どもたちにはどう見えたのだろう。
 
 自分が住んでいたのは1971年から72年にかけて。その頃の小学校の同級生のお父さんやお母さんはほとんどが被爆者。中学校の担任の先生が自分の被爆体験を語ってくれたのを思い出す。
 また親友Kのお父さんの額には大きな傷があった。長崎には傷のある人がたくさんいた。

 原爆の投下は人類に対する犯罪だと思っている。原子力の開発は、科学の発達とともに当然の流れとして「しょうがない」ことだと思う。その技術をどう使い、どう使わないかが人類に問われているのだ。

 戦争ではしばしば戦闘員が非戦闘員を殺戮する。丸腰の相手を武器を持ち訓練を受けたプロが殺すのだから楽なもんだ。原爆はそんな手間もはぶいてしまった。

 アメリカは銃と欺瞞で先住民たちの土地を奪い今の国を築いた。その結果、今自分たちが銃に苦しめられるようになっていると思う。
 アメリカが原爆を最初に人類に対して使用したことと、核実験による多くの被爆者や劣化ウラン弾の被害で苦しんでいる人たちがいること(当初はどちらも「なぞの病気」とされていた)と無縁ではないような気がする。
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