たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

諸行無常

2019-06-10 23:12:16 | Weblog
 高い視点から多角的であることは、あらゆる事柄を掌握し、過去の失敗を確かな糧に変えてくれる。たった一つの事象に対してだって、最も高いところから最も深いところまであらゆる道筋から考究し、自分の直観に当てはまるようにロジックを組んでいけば、かなり有意義な結論を導き出すことができる。
 その圧倒的なメリットを自分自身へと吸収させる一方で、デメリットを与え続けてしまっていることにも思考の一端を捧げてみる。

 多角的に肯定化できる能力があるということは、多角的に否定もできるということだ。
 純粋な直観と狡猾な論理の両刃は、容赦無く、現在と過去を切り刻む。何をもって瞞着させ合ってしまったのか、何が渇望させたのか、そして、どんな調和だったのであろうか、考え尽くすことそのものに価値があるのであって、それをもって幸福を得たいわけでもなければ、それをもって同じ失敗を繰り返したくないわけでもなければ、それをもって何かを正当化したいわけでもない。ただただ、清く正しくありたいだけ。それこそが、この人生の目的であると直観しているからだ。

 もし、それで苦しめているのだとしたら、、いや、謝らない。
 だから、言ったよね?『見るな』って。

 生まれながらの圧倒的な直観と鍛え上げられてしまった論理によって放出される価値観とストーリーは、すっかり俺の手元を離れ、逆に俺らをコントロールしてくる。疎外を受けてしまった我々は、見切りをつけたはずの苦しい過去を直視せざるを得なくなる。「きっと変わる」と思っていた幼い自分と、「カワレナイ」と思ってしまった少年だった自分と、「カワラナイ」と悟ってしまった大人になった自分と、「変わってほしい」と願ってしまっている今の自分が、それぞれに泣き出して、残酷な自然現象に圧倒されそうになる。それなのに、すべては、ただただ諸行無常だと教えてくれる。

 「ワタシ、笑っちゃったよ。最初にLINEで聞いた時」
 『ひど!人が真剣に悲しんでる時に笑』
 「だって、一致するような要素、最初から無かったじゃん。わかってたでしょ?」

 ・・・ああ、わかってるよ。会った瞬間から、、そして、10年前からね。

 不幸で普遍的な事実を直視したくなくて、問題を転嫁させ続けた。だって、原理的に解決できないように思えてしまうほどの難問・奇問は、解決できそうな問いに帰着させてみるのが、定石でしょ?って、何も気がついていない、勉強ができるだけのバカなフリをしてみたりして。

 一つだけ確かなことは、感情の一端を転嫁させられてしまったのだとしても、事実における正論そのものは揺るがないし、正しいければ正しいほどに、その正論を発現させた人間に責任が向くなんてことはあるはずがなく、享受されるべき人間にのみ向く、ってことだ。だから、俺には、もともと俺だけに与えられた問題の責任のみ、発生している。

 だからね、どーせなら、ぜひ上手に使って。その覚悟こそが、貴女達にとって、まったく新しい、より善い一歩となるはずだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする