たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Raison d'etre -存在意義-

2013-11-12 00:25:48 | Weblog
 誰もが集団内での自分の存在価値を考えてしまう。
 俺も、他人との差別化を考えているからこそ、物理学が一番得意なのに生物系や化学系と一緒にいるわけだし、物理が得意で生物をやってる人はもうすでに沢山いると知ったから今は化学を所属として選んでいる。

 その場所に存在していて大丈夫なだけの大義名分を、みんな、常に欲しがっている。そして、よく行きついてしまう結論は、上の指示に忠実に従うスタイルをとることだ。
 能力が無かったり、自分に自信が無ければ、とりあえずは、誰かの言うことを何も考えずにただ訊いていれば、存在理由はある。それは手足としての身体的な存在理由であり、ロボット化が進むであろうこれからを生きる上では適切な対応ではないのは明らかだ。

 ヒトは、論理性が無くても、自らの存在意義を危ぶまれる存在には、本能的に敏感だ。
 あなたなんて必要ない、と何も言わなくてもアピールされてしまうくらい有能な人材から、何かの助言を貰ったり、正しいことを言われることは、絶対に耐えられないし、論理性があっても無くても、今ある権威で無理矢理に押し付けようとするばかりになってしまいがち。
 そんなに必死で自分勝手になっても、その程度の能力じゃ、たった一人じゃ結果なんて出せないのにね。

 存在意義の範囲を超えられることにも敏感だ。
 たとえば、小さな小さな環境下で、必死に存在理由をアピールしている真横で、全然違う価値観を持ってして、そんなのくだらねぇっと言い切られて、もっと大きい世界で自己実現しようとしている人に対してだって、素直にはなれないし、何とかして粗を見つけたくなっちゃうよね。

 手っ取り早い存在意義を掴むために、毎日頑張ってるフリをするのは、疲れるんじゃない??
 無意味だと感じながらも何も発言できないのにも拘らず、忠誠心を示すために毎回くだらない会合には出席するし、少し内容を変えたほーがいいと思っているのにも拘らず、命令に背くことは絶対にできないから意見一つまともに言えない。
 そんなんじゃ、賢いあなたのボスは不満足だと思うよ?そんなんじゃ、デューティーをこなしたとは言えないんじゃない?

 必要な意見を言えたり、より良く変えようとしたり、無意味なモノを意味あるものに変えようと努力して、はじめて、デューティーをこなしていることになるのに、なに従ってりゃイイと、ただそこにいればイイと思ってんだよ?!仕事はきちんとしろや!!

 そんなロボットみたいな振る舞いをしていては、原理的に、物理現象を超えられるわけがない。

 だからこそ、辣腕であることを望むだけじゃなく、自分の気持ちや心の優しいところに絶対的な自信を持って生きていく必要がある。
 俺の周囲には、こういう人しかいないし、即物的な能力なんかよりも、俺はこういう本質的な部分を周囲に対して尊敬していたいと思う。

 絶対的に優しい気持ち、それを持ってして、系をより良くしたい!、という想いこそが、唯一の存在意義に、みんながみんな、なっていけるように、日々、頑張っていこう。
コメント
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