たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

結局は続いてることの重要性

2011-11-13 02:28:28 | Weblog
 重要シーンに上手く行かないとヘコむ。
 その瞬間にかけてたのに、台無しにされたり、それ自体無しにされたりすると、うわーぁ、ってなるのを遥かに通り越して、やる気そのものを失う。もーいっか、ってね。

 それも、物理現象だったりすると、ガチ、縁が無いんじゃないか、とか、そういう運命なんじゃないかとか、そっち側で考えだすんだけど、それを超えて、もう一歩、また次を考えられた時に、かなり大きく、信頼関係が築ける。
 まぁ、だからって、もう終わったわ、って思うほど悩むことは必須なんだけど、それを超えたらそれなりにイイ事はある。

 どんなにダメダメでも、どんなに無理って決まりきってるのかも?って思っても、そこに信頼関係のロバストネスがある限りは、動的にいくら変化しても大丈夫なのだ。

 ホンモノは、レッドカード以外には、恐ろしく強い。だから、苦しくて、リアルに吐きそうになるときもあるし、声を出して泣くことだってあるかもしれないけど、そっち側を選んできてるんだから、これからも、どの系でも、カワラナイんだと思う。

 ほんのちょこっとしたことや言葉の端端に、真実が隠れていて、それを信じている。
 もう、多くのことについて、あらわにしてしまいたいけどね。
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一字一句

2011-11-12 03:27:33 | Weblog
 絶対的な視点でその系を考えても、次にとるべき行動はみえてこない。
 重要なのは、習慣や流れの中で、どれほどの変化が可能で、これまで自分に依った変化がどんなもんか?、さらにここからどれほど変化させることが出来るか、と時系列に対する相対的な視点でみることだと思う。

 早い話が、いつもと違うことに敏感になれ!、ってこった。そうすれば、重要なシーンで、間違った方向に倒れ込む確率が低くなる。
 いつもと違う瞬間、それに合わせて、こちらも、もう一歩、自分が持っていきたい方向へ詰め寄る。やりすぎて反発してしまわないようにしながらも、変化の時ほど強引さが必要だと思う。それはもちろん、気持ちが自分以外の誰かに向いているときには、強引にすべきだ、ってことで、自分勝手になり過ぎるのは当然良くない。

 こういうときに、きちんと考えるべきことは、その行動をしないことのデメリットと、その行動をすることのメリットについてだと思う。
 いつもと違うから、しない!、は一切介在させちゃダメだ。だって、すでに環境下がいつもと違う、変化の時なんだから。

 すると、案外、行動しないことのメリットが何も無く、行動することのデメリットがまったくない、という結論に達する。そこから、行動できるようになると思う。
 というか、これは完全に『俺は、』だけど、デメリットゼロじゃない限り、行動しないんだよね。行動するメリットがどれほどあるか、ではなく、行動するデメリットがゼロかどうか、の視点が大事だと思います。

 実質的に嫌な方向に行ったとしても、『その相対的な負けは絶対的な勝ちかもしれないことを忘れないで!』。
 最後だけ、その場所を去ることになってしまう最悪の事態になってしまったときだけ、絶対性をだしていけばいいんだと思う。

 俺はこの手法を用いるから、一字一句忘れない。忘れるわけがないじゃん。怖いんだから。それに加えて、大切なとき、つまり、いつもと違うときは、お互いにゆっくり言葉を選ぶから、一字一句、記憶してしまう。
 相手の言葉も自分の言葉も。声色の音程と一緒に。
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『能力さえあれば!』を超えて

2011-11-10 00:21:37 | Weblog
 もっとこうして欲しいとか、もっと違う言葉を使って欲しいとか、そういう要求はどこまでいっても絶えない。

 想いが、ファジーな部分ではなく、きちんと存在していたとしても、能力が要求に達していなければ、どうしたらよいかわからないで何も対応出来ないんだから、やっぱり能力も大切な要素なのかなぁと諦め半分に思うことも多い。
 自分の能力が相手の要求量にとどかない時に、俺はやっぱり何も出来なくなってしまうし、ただ、どうすればいいんだろう?って表情をするだけだ。

 特に、解析側に余裕が無い時は、気持ちを推し量ることは難しい。ヤバい状況、追い詰められてる時、余裕が極端に無い時に、能力が無いだけで、気持ちはあるから、嬉しい、って思うほど、人間はよくはできていないのだ。

 だから、、能力さえあればっ!
 過去の自分に対してそう思うことがあるし、未来になるべくそれを避けたいから、若いうちに、今出来ないことの限界を知りたいし、それが出来るようになっていきたい。今日ここまで、能力を上げようとし続けている理由は、ホントにその一心であると言える。

 ここまで静的に話を進めてきたが、動的にモノゴトを捉えられるなら、かなりの希望がみえてきうる。

 その瞬間の表情、その瞬間の声色をきちんと詳しく解析すれば、時間発展させた時に、どのように期待できうるか、価値があるものなのか、ある程度の精度で認知することは可能だ。まるで、任意の1点のn回微分係数さえわかれば、その足し合わせをすることによって、グラフの概形が正確に把握できてしまう、テイラー展開のように。

 空間的に同一になっていくその時に、ほら、やっぱり、俺はそこまで相手に対して考えられ、ふたつとない素晴らしい価値を見出せる!、あの頃のお前とは違うんだぜ?、っと勝ちほこれるのは、とっくの昔に終わったことだから。

 そのテイラー展開の素晴らしい結果が、完全に間違っているかもしれないけれど、俺が「勝手に」そうだと思っていることが、重要だと思っている。
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頭を心でうるおして!

2011-11-09 01:35:26 | Weblog
 どんなに考究したって、先回りしても、賢さだけじゃ、本当の意味での解析ができないと思う。
 やっぱり、そこに、感情が乗ってこないと、何も面白味が無いよね、たとえ自然科学でも。

 静的か動的かで、きちんと分けて考えることが出来る人は、理系でもかなり少ない。自然科学以外だと、ほとんど誰も出来ないと言っても過言ではないと思う。みんな静的な視点でばかり物事を解析してしまって、それで出来てるって思っちゃってるんだよね。

 賢さだけ、単純に頭だけでの思考力というのは、静的には正しく観えることが多い。確かに、その場で、その瞬間で、相手に隠したいことを読みとられないために、とか、自分を客観視するために、とか、そういうことをしたいなら、まずは静的に捉えて、正しいかどうかを査定すべきだと俺も思う。その「正しい」は、頭脳に依ってのみ査定されるようになることがほとんどだと思う。
 だけど、動的に捉えたい時、つまり、系がどのように変化していくかを考えたかったら、感情を排除すべきだという浅はかな結論には達しないと思う。感情を付加していく、どころか、感情に着眼点を置き、そこから、賢さを付加するような手法をとるべきなケースが、圧倒的に増えてくる。

 何故かというと、時間発展させたときの系の変化に大きく寄与しているのが、ヒトの感情だからだ。ホントに先々のことを思うんだったら、心が優先されるべきでしょ?
 ここに気がつくことこそが、行動によって規制され過ぎてしまっている現象である、習慣から逃れられない、ということから脱する唯一の方法だと思う。

 冷徹になり過ぎちゃいけないのだと思う。
 いつまでも、カワラナイ結果だけど。

 よーするに、先回りして、決まりきってる、って思いこんで、わざわざ自分から歳をとりにいくなよ、ってこったっ。
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心を頭でなぐさめて!

2011-11-07 01:56:43 | Weblog
 心。心での結末。

 具体的に結果が出ない日々が続くと、慢性的に疲れてくる。たいしたことしてなくても、疲れちゃって。
 やらなきゃいけないことは多いのに、多い気がするのに、それだけの結果がついてこないから、ついてこない気がするから、直前までやる気が起きなくて、満足のいく結果が得られない。満足のいく結果?どこからが満足って言えるか決定できるだけの気持ちはあるくせに、行動がともなってない自分にイライラしちゃって。

 かといって、すべてを捨てて、全然違うことをやってみるほど若くも無いだろうし、タイムリミット。ダメだなーって思って、最低ラインだけはクリアしていくから、また即物的になっていく。
 最低ラインを超えていきさえすればイイような頃は、まだラクだったな。あの頃は輝かしい未来があるような気がして、諦めていなくて。じゃなくて、やっぱりあの頃も、先延ばしにしてただけなのかも?

 誰かが成功してるのを観ると、自分と違う部分を探しちゃう。
 年齢が違うし、性別が違うし、あの人はああいう感じでとりつくから運が良いんだ、自分には、これが無いし、あれが無いし、そもそもこうだし、だから、ほら、仕方ないじゃん?って。

 こうやって、誰かに言われる前に常に先回りして自己嫌悪しておけば、毎日生活していられる。何か言われても、自分だって、自分に対してそう思ってるし、そんなこと言われなくても、わかってるもん!、って逃げられるから。
 でも、それで生活できちゃうから問題なのかも?


 頭。頭での規制。

 具体的に結果が出ないと疲れてきちゃうから、簡単な事を残しておくべきだ。慢性的に疲れないために、小さい結果が出続けるように多角的に視野を広げておく。常に色んな事をやってりゃイイ。
 やらなきゃいけないことが本当に多くなってくるけど、反省できないから、心配にならない。直前になっちゃうのは、色んな事沢山やってるからってせーにできるし、周りにもそういう風にアピールする。満足のでる結果がでることは少ないけど、総体的にみると、上手くいってるっぽいからイイでしょ??

 すべてを捨てる必要はない。やらなきゃいけないことの中にやりたいことを追加していけばイイ。もうすぐ死ぬわけじゃないし、この感じで最低ラインさえクリアしてれば、結構イイ線いけるんじゃない?
 最低ラインを超えていきさえすればイイ時代は案外辛かったのかも。あの頃は、結果ばかりが求められて、こういうことが続くのかと思ってたけど、そういうわけじゃなくて、良かった。

 誰かが成功してるのを観たら、自分はそれ以上なんじゃないかって勘違いしちゃえよ。
 年齢が高い人には、あの人が若い頃よりも、自分はこんなにできてるし、こんなに状況がイイって思うし、年齢が低い人には、若いんだから自分の頃よりも進歩してて当然、って割り切れる。

 こうやって、自己肯定感を出していけば、周りにそういうヤツだって思わせておけば、成功した時にすげーって思われるから、またプラスになっていく。失敗した時は、みんな自分のことしか考えて無いんだから、どーせ忘れてくれてるはず。


 だから、ね?、全然、大丈夫。いつからでも変われる。変わり続けられる。ありのままの自分で。
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「ハズレ」の行き先

2011-11-05 01:53:01 | Weblog
 ほとんどのことは思い通りにならない。
 だから、ちょっとでも、思い通りにいったときは超喜んでイイし、調子にのってイイと思う。

 ただ、頑張ったことが思い通りに行かないことが続きまくったとしても、何もかも諦めないでいたほうがイイよね。頑張るって、どんなことでも、やっぱり無駄じゃない。完全に無意味でも、結果が出なかった時に、自分はそれでも、それをし続けられるかどうかの指標になるんだから。
 まぁ、その指標がイイ方向を呈して、復活しかけのとき、力が全然出ないのは仕方ないよね?完全に止めてしまおうかどうかから復帰してるんだから、いつもと少し違うくらい、みんな許してくれると思う。

 泣きそうになりながら自分の手で破り捨てた魔法を少しずつ拾い集めて、同様の系に対して、次の、出来ることを探していきたいと思う。
 ハズレに見えていたモノが、そうではなかったと思える物理現象がやってくる、きっと。

 やっぱり、曖昧で不確実な方向に努力することは、無駄じゃない。現段階で、そう思える。
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ロバスト性の存在を信じて

2011-11-04 02:42:41 | Weblog
 リーダーシップをとるなら、どんな状況でもブレてはいけないと思っている。
 たとえ、自分がすごくつらい状況でも、何かで気まずいんだとしても、病であったとしても、集団の空気のなかでは、それらを隠さないといけないし、不安に思わせてはいけない。

 だから、みんなでどこを目指したいのかの世界観を、明確に記述しておく必要があって、その理想へ引っ張っていくだけの力が必要になる。

 その、どこを目指すかの世界観が、最近、ちょっと、揺らいでる気がするなぁと思う。。ダメダメ。

 俺は、意外と、能力ありきで、ものごとをスタートさせる。その世界にやってくるなら、最低ライン、本当にギリの最低ラインは持ってないと、あるひとつの例外を除いて、一緒にやろうなんて思わないし、協力なんてしたりしない。能力のthresholdは、低いけれども、残酷に設定してある。

 そして、能力はあるけどモチベーションが極端に低いか全く無い人達に対して、モチベーションを持たそうとしたり、もう少しインタラクションを持たせようとすることに一生懸命になるけど、そういうことって、あまりにも結果が出ないし、ちょっと理論的に無理があるかな、って悩んでいたりする。
 自分よりも立場が低い人達にはまだ結果が出ることもあるけれど、自分と同等かそれ以上の結果が求められる人達に対して、精神的な向上を期待するように俺が頑張る、なんて、難しいことは最初からわかってるし納得しているけど、こうもどうにもならないことかと思うと、ホント、なにもできないな、って思う。

 【歩くことがゆっくりな人に対して足を速めることは出来ても、完全に止まっている人に対して、歩かせるようとすることは出来ないと思うよ?】

 即物的に歩くことは歩くことに含まれない、なんて当たり前のことは、言うまでも無い。

 偶然とかでもダメ。ちゃんと、出来るって思って出来ない限り、それも自分のスタイルで出来ない限り、ダメなんだと思う。だって、喩えるんなら、コーラスでハモってて、危うい箇所の音が、偶然、自分の口から出て結果的に正解だからオッケーなんてダメで、ちゃんとグルーヴを感じて、その中で、自分が出す音を認知しながら出さなきゃ意味無いのと、同じだと思う。

 そういう意味で、あまりにも、本当の意味で、生きてる、人は、少ないなって思っている。

 最初っから、あの時から、わかりきってることだ。
 『もう今後一切、心の底で助けを求めてもいない人を助けようとする、なんてくだらないこと、やめる!』って、はっきりそう決めたはずなのに、どこかでその例外を探してみたいのかな。

 『でも、ドロップアウトすることの、実質的な損害を考慮に入れなさすぎです。その実質的な損害がmodulateして、深く傷つくことがほとんどじゃないですか。』
 【そんなところでドロップアウトするようじゃ絶対ムリや。ドロップアウトするなら、早いほーがええと思うしな。】
 『違いますよ。そこじゃないです。僕らが出来ることを言ってるんです。そういう考慮をして、さらに、自分が大好きな事だから、相手もそうであって欲しいって伝えるのは、大事じゃないですか?』
 【それは確かにそうやけど、必ずしもドロップアウトが悪いこととは違うやろ?だって、今まで、ずっとエリートで来てんねん。それが、ここまで来て、こんなイイ歳こいて、初めて、本当に人生で初めて、挫折を経験するんや。今まで何も本気で考えてこなかったエリートさん達が。そいつらが、ドロップアウトする、って決めたってことは、本気で考えたってことで、一歩、進歩してるって言えるんやないか?】

 やっぱ、まだ、その結論に至るには、はえーんだよ。

 ホンモノはロバストネス(外部からの環境変化に対してカワラナイ)であることは、ここでも何度も述べてきた。絶対的な信頼の前に、その論理は覆される。

 人間は、進歩することを目的としているわけじゃない。信頼しているみんなで、楽しいことをし続けることが目的なんだ、と思っている。
 強くなる必要なんて無いし、勉強する必要もない。こっちでそういう環境を作ってしまえば、ひとりきりで落ち込むことも無く、誰1人恨まず、楽しく笑ってられる。たとえ、能力も、信念も、持っていない人間であっても、そんなコミュニティに出会えることが、い続けられることが、何よりも尊いんだと思う。

 その瞬間に思っている気持ちが一番正しい。例えば20年後くらいにきっとわかるはずだ、って託すような言葉に、何の意味も無い。
 一瞬でも、残酷な目に合わせてはいけない。

 本当に、ホンモノはロバスト性が現れる。表面的なことを切り取っていく作業を間違えるな!
 即物的なことは変わり続けたとしても、たとえ、本当は違ったとしても、相対的な座標からみている事そのものは、確かだし、そこから得られることの方が大きい。

 俺は、まだまだ、ロバスト性があることを信じてみたいと思う。無難の中で。
 絶対に無理でも、意味が無くても、出来ることはいくらでもあるさ。

 いつでも、諦めて、気持ちを切り替えて、冷血の側に徹することは、簡単なんだから。
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