中学の頃、真面目に部活とかやらなかった俺は、通学路線を、友達と1駅分歩いて帰るのが好きだった。
家から小学校まで10分かからない世界から、いきなり電車に乗るようになって、世界が広がった。毎日窓から見える景色を歩いてみたいってのは、当然の発想だった。
通学のすべての駅間を制覇して、慣れてくると、学校から中延へ、中延から大森までを歩いたりしていた。路線では遠いけど、歩くと意外に近いことに気が付いて、実際に歩いてみよう、ってなったんだったと思う。そんで、マックに行ってー、、そんなことが、もちろん今も楽しいけど、もっと本気で楽しかった頃が、懐かしい。
歩きながら、くだらないことを言い合ったり、なんか勝手なゲーム作って遊んだり、ガチでお話をしたり、そんなんが結構、楽しかったし、つまらないと採用されないからサバイバル的で、今の会話のスタイルに活きている気もする。
高校生になると、あんまり、そういうことはしなくなっちゃったけど、でも、1回だけ、学校からノクチまで歩いたことがあったっけ。そうそ、受験の時期で、友達に自分の進路を相談しながら歩いた。
あの時に、理系になって、物理学科に進もうって、ちゃんと決まった気もする。
なにげ、マジで人生を変えてきた、と言っても過言ではない、「1駅、友達と歩く」。
っま、でも、あんま、今、学校周辺を、歩きたくはないけどね、だって、疲れちゃうじゃん。っと言って、大人になっていくのかもっ!?
だから、せめて言葉だけでもと思って、大学に入ってからも、あえて、大学や研究室のことを、なるべく「学校」って言うようにしている。
なんか落ち着くじゃん?例えば、『っじゃ、また明日、学校でねー!』って言うと。
すると自然に、
「っじゃ、ちょっと暇だし、渋谷まで歩くか!」
っと誘われるのだ。
俺らが、中高生時代のイイ部分だけ残していったら、最強っしょ。
家から小学校まで10分かからない世界から、いきなり電車に乗るようになって、世界が広がった。毎日窓から見える景色を歩いてみたいってのは、当然の発想だった。
通学のすべての駅間を制覇して、慣れてくると、学校から中延へ、中延から大森までを歩いたりしていた。路線では遠いけど、歩くと意外に近いことに気が付いて、実際に歩いてみよう、ってなったんだったと思う。そんで、マックに行ってー、、そんなことが、もちろん今も楽しいけど、もっと本気で楽しかった頃が、懐かしい。
歩きながら、くだらないことを言い合ったり、なんか勝手なゲーム作って遊んだり、ガチでお話をしたり、そんなんが結構、楽しかったし、つまらないと採用されないからサバイバル的で、今の会話のスタイルに活きている気もする。
高校生になると、あんまり、そういうことはしなくなっちゃったけど、でも、1回だけ、学校からノクチまで歩いたことがあったっけ。そうそ、受験の時期で、友達に自分の進路を相談しながら歩いた。
あの時に、理系になって、物理学科に進もうって、ちゃんと決まった気もする。
なにげ、マジで人生を変えてきた、と言っても過言ではない、「1駅、友達と歩く」。
っま、でも、あんま、今、学校周辺を、歩きたくはないけどね、だって、疲れちゃうじゃん。っと言って、大人になっていくのかもっ!?
だから、せめて言葉だけでもと思って、大学に入ってからも、あえて、大学や研究室のことを、なるべく「学校」って言うようにしている。
なんか落ち着くじゃん?例えば、『っじゃ、また明日、学校でねー!』って言うと。
すると自然に、
「っじゃ、ちょっと暇だし、渋谷まで歩くか!」
っと誘われるのだ。
俺らが、中高生時代のイイ部分だけ残していったら、最強っしょ。