たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

思考力と直観力の使い方

2017-06-21 23:40:17 | Weblog
 どんなに賢くても、とにかく誰かを否定したいだけになっちゃっている状態だと、平気で論理展開のやり方そのものを間違える。
 これは、思考と直観と感情の区別ができていないために起こることだが、ツイッターを見ているとこういう(無駄に頭良いぶっている)人はやたらに多い。

 あまりに受験でのイメージをいつまでも引きずっていると、思考力というのは正解を導くための道具だと勘違いしてしまうが(これは受験が制限された、いわば「盤上でのロジック」を使っているために、思考力を正しく用いれば確実に正解を導けることから、現実や研究でもそうだと思い込んでしまうことから起こる)、思考力は本来、客観性を齎し、人と分かち合うために存在するものであって、一般的な社会性を含んだ正解は常に直観から導かれる(個人的な正解は感情から導かれる)。

 学生時代、かなり長い間塾講師のバイトをしていたけど、「受験では、まず、受験に必須な暗記事項と思考力以外のすべての要素を取り除くこと。感情や直観などは世間では役に立つが、受験では役に立たない」ということを理解してもらうことから、スタートしていた。
 思考の展開や段差の大きさについては、慣れがある。それに慣れるためには問題数を大量にこなせばどうにかなるが、それは明らかにコスパが悪い。最初から慣れようとするのではなく、思考力の絶対量を大きくすること。思考力の絶対量を大きくするためには、一度で理解できる器の容量を広くすること。理解の器を広くするためには、自分の理解の器の容量をまずは認識すること。器を認識すれば、自分の理解の器の限界まで新たなやり方・手法・概念を導入できる。常に限界まで新しさを導入していれば、勝手に器は広がる。器が広がれば、新たな手法をどんどん頭に詰め込めるから思考力の絶対量が増えていく。
 さらに、思考力の絶対量があっても、一度に継続して思考力を使えるだけの思考の体力が無いと、段差の連続で躓いてしまう。段差のレベルと精緻さが同等なのに、それを繰り返すと思考がついていかなくなってしまうのは、体力が無いから。これは、1〜2週間程度、自分にとっての最上位に難しい問題を常に頭の中で飼い続けることによって形成される。
 ここまでを自分1人で完璧にできるようになれば、俺から「賢くなるための手法」として学ぶことは何もない。あとは、ずっと実行していけるか?だ。そんなのは俺の仕事ではない(と思っていた)。だから、1年以上継続して生徒を持ったことは殆どない。1年以上一緒にいる意味がないからだ。

 慣れてでも、とにかく受かりたいのか?それとも受かろうとすることを通じて、賢くなりたいのか?

 コレは受験だけのことだが、日常生活にも同じことが言える。多くの人は、単純な慣れと専門性の違いがついていない。プロと言うのは仕事を原理から理解していなくてはいけないのだが、自分の思考力を構築しようとするよりも先に慣れてしまおうとして立場を得てしまったから、他人である新人や学生に対しても、無意味なこととわかっていても1から鍛えなくてはならないと思ってしまう。
 思考力がある程度のレベルまで十分に形成されていれば、直観で答えを出してそこにロジックを組み立てることも容易になるのだが、大抵の場合は思考力が不十分なため、これも訓練が必要である。つまり、ロジックを組み立てていって正解を出すというやり方をずっとしていると、常に自分が間違った方法で間違った解答を出しているにも拘らず、日常生活はロジックが効かないこともあるからなぁ、といった言葉に落ち込んでしまう。ロジックは後で使え。まずは、自分の経験のなかから直観することに注力すること。その上で、その直観で求めた解答へとロジックを組もうとすること。
 さらに、直観に直観を重ねてはいけない。さらに、(一般性を含む社会的でありたい正解を求める場合は)感情を介在させてはいけない。とにかく、直観でロジックを組み続けてみること。すると、いかに自分には思考力がないか?と気がつくだろう。思考力だけに注力する必要があることがわかるはずだ。そういう意味で、最低限、高校数学と高校物理を完璧にしてみるというのは、大切なことなのだと思う。

 もちろん、自分の気持ちを誰かに伝えるために、感情をロジック化することもできる。しかし、これはやらないほうが良いだろう。
 やればやるほど、切なくなって、苦しくなるだけだからだ。それは、俺がここで10年かけて実証済みだから笑。

 生半可な思考力と単純な慣れで成り上がってきてしまうと、感情をベースにして思考と直観とを本当に上手く使えている相手に巡り会うと、クズほど勝手に苛立を覚えてしまうだろう。自分のレゾンデートルが危ういことを、(慣れていない)直観(力で直観)するからだ。
 そして、他人を蹴落としてまで自分を成り立たせようとしない非クズであれば、仲間になりたがる。

 だから、俺は、思考力も直観力も、どっちもバランスよく高めたい。目立てば目立つほど、自分の本当の味方や本当の敵が認識しにくくなるが、思考と直観の使い方と絶対量さえ優れていれば、敵味方の明確なリトマス試験紙になるからだ。
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