たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

素直なことは美徳なこと

2017-02-23 01:31:13 | Weblog
 もし笑ったとしたら、「あの程度のことで笑えるの?」と思われるかもしれない。
 もし泣いたとしたら、「こんなことで泣いちゃうの?」と思われるかもしれない。

 内向的な性格の起源は、環境に応答する敏感さだ。何かを繊細に感じ取る力があるからこそ、最悪のケースである自分が傷ついてしまう予測を、どうしても先に立ててしまう。この点で、外向的な性格よりも能力が高くなる可能性が高いのである。
 でも、だからこそ、リスクを軽減させるために、嫌悪感を示してみたり、ちょっとしたことで怒ってみたり、嘘をついてしまったり、、そして、その人がクズであれば、誰かを異常者扱いしながら、自分はまともで正当性があるのだと主張し始める。
 そう、世の中には、これをパフォーマンスとして利用して集金している人すらいるわけで、、自己防衛の範疇で(まぁこれがファジーなんだけどさ)、嘘をつくくらい、意地を張るくらい、たわいもないことだ。愛しいことである。

 世間的に嘘にはならない範囲で嘘をついたり、単なる意地の張り合いだけで、世界が成り立っているところも、あるにはある。しかもそれが圧倒的大多数の「弱者を糧にするのは仕方ない」と信じている人たちが構築していたりするわけで、確かに最悪の世かもしれない。
 でも、善意の総量というのは、悪意の総量よりも多いということも忘れないで欲しい。"悪の凡庸さ"と"善意の強さ"というのは、単純な「勝てば官軍、負ければ賊軍」の基本ロジックを超える。ここをきちんと理解できれば、そんなに強がらなくても、そんなにみんなからの決めつけに脅えなくても、素直なまま、イノベーションとしても、心の豊かさとしても、進捗してゆける。

 そんなに素直であることが大事なの?と訊かれれば、「そうだ」と俺は答える。素直なことは美徳なことです。
 ただでさえ、これから一気に変わっていく環境下、、数少ないまともな人たちにとって、同類と心をきちんと通わせておくことが重要である。

 だから、貴女の「普通」が、世間的な意味での「普通」と同一であるかどうか?、と思い悩むのではなく、自分はこうなのだ、と自信を持って欲しいと思う。
 だって、その「普通」を適応させることで誰かを傷つけて、それで自分の地位を向上させたり保身になるように仕向けるような最低なことをしているわけじゃないんだからさ。顔を上げて、堂々と前を向き、一歩でイイから歩き出してみろよ。

 っま、素直じゃないところを好きになったりするから、本当のところ、ややこしいこともあるけどね笑
 「こんな程度で?」と思われるかもしれないから、あえて怒ってみたり、嘘ついてみたり、強がってみたり、意地を張ったりすることは、、熟練者から観れば、単なる素直だからなぁ。
コメント
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