「言葉を選べ」と誰かに言われたら、もっと丁寧な言葉で喋った方がいいのかしら、と思うのが普通であろう。たいていの場合においてそれで正解だし、受け手がそう思って行動したとしても問題は生じない。
しかし本来、「言葉を選べ」というのは、そんなくだらない意味ではなく、イコール「思いついた順に言葉を使うな」という意味だ。
会話をしているときに、スピード重視になろうとすると、選択肢が出てくる前に思いついた先から言葉を発するようになる。本当にスピードだけが重要になっているシーンでは仕方ないこともあるのだが、たいていの場合では、この方法は最悪である。自分の本来の賢さの10%も出せないだろう。
もちろんある程度は鮮度を保ちながら言葉を使う必要はあるのだが、ただただ目の前の問題を対応しまくっているような受け答えになってしまっては、ただの空回りになる。そうじゃなくって、相手の言葉に対する受け答えとして、自分の頭の中にいくつかの解答案が思いついたところで、その中から一番面白くなりそうな、もしくは一番有益になりそうなコメントを投げるようにする。この行為こそが、「言葉を選ぶ」ということなのだ。
言葉を選ばずに、「とりあえず」ということを繰り返し思考することでどうにか成り立たせてしまうと、その「とりあえず」成り立たせていることを隠そうとして、またもっと選択肢の少ない状態での「とりあえず」になる。
この「とりあえず」文化の最たるモノがTwitterだ。このSNSでは、「とりあえず」相手を否定することを目的にしてしまっている様子をよく見かける。「とりあえず」相手への短絡的な決めつけから入り、自分のほうが年齢や学歴や社会的立場が上だと「とりあえず」さも自分のほーが正統派であるかのような雰囲気を醸し出してツイートし、そのツイートを「とりあえず」してしまったために、またその発言にかぶせて「とりあえず」多くの人が誠意あるように感じるであろうツイートをする。
Twitterでは、2,3回深呼吸をしてからツイートをした方が良い、というのは、この辺りの理由だ。このブログで昔から口を酸っぱくして言っているが、相手に論理で勝ちたかったら、相手に勝とうと絶対に思わないこと。そのぶんだけ、ただの揚げ足取りになる可能性が高くなってしまい、真実だけを語ろうとする態度から遠ざかってしまう。
そして、これは会話においてだけではなく、行動を決定する時も同じだし、大事な選択をする時もまったく同じことが言える。
何か世間からの要求にとにかく応えようと努力していると、どんどんどんどん対応になっていく。さらに、選択肢が少ない状態で、パサパサ選ばなくてはいけなくなってくる。
これのせいで辛くなってしまっている人が、今かなり増えているなぁと思っている。
実社会におけるかなり多くの領域で、ゆっくりさが足りない。ゆっくりじっくり言動を外界に提出していくことで、もう少しまともな社会が実現するのに、、仕事にしても、お金にしても、お勉強にしても、恋愛にしても、研究にしても、とにかく早く先に進みたがる。
社会的経済力を身につけようともせず、「とりあえず」上司の言うことをきいてクビにならないようにする。目先のカネが欲しいから、「とりあえず」日銭を稼ぐことに注力してしまう。まだきちんと高校物理を理解してないにも拘らず、「とりあえず」答えが出ることを重視して微積を使う。自分の気持ちを自分で確認する前に、「とりあえず」恋愛として成り立ちうる異性を見つけるや否や"好きだ"と言ってみる。本当に価値のある研究内容とは何か?と考えること無く、「とりあえず」最短で高いIFの雑誌に論文を投稿したがる。
ね?どれも構造は同じなのだ。
「言動を選べ」
これが帰結でありタイトルであるが、とりあえず最後だけ読めば良いやーってんじゃなくて、ここまできちんと読んでくれた読者の方であれば、この言葉の意味が、単に、足並みを揃えて無難な行動をとりましょう、ということではないとわかるだろうと思う。
君らはさ、賢いんだから、ゆっくりやったら、上手く行くんだよ。それを忘れないで。
しかし本来、「言葉を選べ」というのは、そんなくだらない意味ではなく、イコール「思いついた順に言葉を使うな」という意味だ。
会話をしているときに、スピード重視になろうとすると、選択肢が出てくる前に思いついた先から言葉を発するようになる。本当にスピードだけが重要になっているシーンでは仕方ないこともあるのだが、たいていの場合では、この方法は最悪である。自分の本来の賢さの10%も出せないだろう。
もちろんある程度は鮮度を保ちながら言葉を使う必要はあるのだが、ただただ目の前の問題を対応しまくっているような受け答えになってしまっては、ただの空回りになる。そうじゃなくって、相手の言葉に対する受け答えとして、自分の頭の中にいくつかの解答案が思いついたところで、その中から一番面白くなりそうな、もしくは一番有益になりそうなコメントを投げるようにする。この行為こそが、「言葉を選ぶ」ということなのだ。
言葉を選ばずに、「とりあえず」ということを繰り返し思考することでどうにか成り立たせてしまうと、その「とりあえず」成り立たせていることを隠そうとして、またもっと選択肢の少ない状態での「とりあえず」になる。
この「とりあえず」文化の最たるモノがTwitterだ。このSNSでは、「とりあえず」相手を否定することを目的にしてしまっている様子をよく見かける。「とりあえず」相手への短絡的な決めつけから入り、自分のほうが年齢や学歴や社会的立場が上だと「とりあえず」さも自分のほーが正統派であるかのような雰囲気を醸し出してツイートし、そのツイートを「とりあえず」してしまったために、またその発言にかぶせて「とりあえず」多くの人が誠意あるように感じるであろうツイートをする。
Twitterでは、2,3回深呼吸をしてからツイートをした方が良い、というのは、この辺りの理由だ。このブログで昔から口を酸っぱくして言っているが、相手に論理で勝ちたかったら、相手に勝とうと絶対に思わないこと。そのぶんだけ、ただの揚げ足取りになる可能性が高くなってしまい、真実だけを語ろうとする態度から遠ざかってしまう。
そして、これは会話においてだけではなく、行動を決定する時も同じだし、大事な選択をする時もまったく同じことが言える。
何か世間からの要求にとにかく応えようと努力していると、どんどんどんどん対応になっていく。さらに、選択肢が少ない状態で、パサパサ選ばなくてはいけなくなってくる。
これのせいで辛くなってしまっている人が、今かなり増えているなぁと思っている。
実社会におけるかなり多くの領域で、ゆっくりさが足りない。ゆっくりじっくり言動を外界に提出していくことで、もう少しまともな社会が実現するのに、、仕事にしても、お金にしても、お勉強にしても、恋愛にしても、研究にしても、とにかく早く先に進みたがる。
社会的経済力を身につけようともせず、「とりあえず」上司の言うことをきいてクビにならないようにする。目先のカネが欲しいから、「とりあえず」日銭を稼ぐことに注力してしまう。まだきちんと高校物理を理解してないにも拘らず、「とりあえず」答えが出ることを重視して微積を使う。自分の気持ちを自分で確認する前に、「とりあえず」恋愛として成り立ちうる異性を見つけるや否や"好きだ"と言ってみる。本当に価値のある研究内容とは何か?と考えること無く、「とりあえず」最短で高いIFの雑誌に論文を投稿したがる。
ね?どれも構造は同じなのだ。
「言動を選べ」
これが帰結でありタイトルであるが、とりあえず最後だけ読めば良いやーってんじゃなくて、ここまできちんと読んでくれた読者の方であれば、この言葉の意味が、単に、足並みを揃えて無難な行動をとりましょう、ということではないとわかるだろうと思う。
君らはさ、賢いんだから、ゆっくりやったら、上手く行くんだよ。それを忘れないで。