たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

理想

2014-11-21 00:15:17 | Weblog
君の家に着くまでずっと走ってゆく / GARNET CROW



 自分の理想は何なのか?それを見失っている時間帯が一番ツライのかもしれない。
 理想を迷いながら、人々をコントロールだけはしなくてはならないという無意味な使命感に燃えた統制は、暴力へと繋がってしまうだろう。そして、それは誤魔化しに繋がってしまうだろう。

 理想への迷いこそが、物事をめんどくさくすることで自分の権威を主張する無能なキングを創発してしまう。人はとかく暴力の恐怖に弱く、その統制下ではただただ生きる事だけが目的となり、その生きていくことさえ意味もなくなって、終には誇りも尊厳も失う。
 そして、キングがいなければお前らは何もできないという幻影を見せ続けることこそがキング自身の安全に繋がる。それは、組織として最もfragileであり、どんなにその中で無難に過ごしたとしても、本当の荒波に飲まれたら一溜まりも無い。

 俺は、そういう意味では、多くの人に比べて、ものすごく無難に過ごしてるだけなのかもしれない。
 確かに、この小さな国の中の小さな集団の中の、そのまたさらに小さなセクションのなかでは何も無難ではなく靭い人間にみえるかもしれないし、その小さな小さな集団にアジャストすることこそが無難であると定義したい政治力学的な人間が多いのは百も承知の上であるが、もっと大きい舞台に立った時に、おそらく、俺は、その中の政治力学的な人間の誰よりも、ただの無難で、本質的には脆い存在だと思う。

 「その大きな舞台に上がる権利を有するのは、お前がバカにしている、そのちっぽけな集団のなかで政治的に登りつめた人間だけなのだ!」

 バカが。それこそが、キング無しでは何もできない、という錯覚に惑わされてしまっているではないか。そんなことは決してない。舞台がなければ作ればいいし、人に連れていってもらわなくても、自分の足で舞台に上がればいいじゃないか。

 勘違いしている人が周囲に多いが、学問はCグループ(ノリが悪い集団の総称)のものではないし、恋愛はAグループ(ノリがイイ集団の総称)のものではないし、無難さはBグループ(そのあいだくらいの集団)のものではない。
 個人の尊厳を、自分の所属しているグループや集団に置き換えることで、集団のレゾンデートルに落とし込んでいこうとするなら最低サイアクだ。

 理想を追い求めて、場所を変わるとき、せめて、前の場所で、私はこれをやってました!と胸をはって正々堂々と自信を持って他人に言えるような仕事をしてから、その場所を離れるべきではある。ただ、それは、俺が俺自身に課しているってだけだし、どんな場所でも勉強できると仮定してしまった方が頑張れるからだ。
 何も、わざわざ、それも、すべての人が、暴力的な環境に身を置いて、無意味な作業を繰り返すことはあるまい。そんな環境からは、走って逃げる、に限る。

 俺は、いま、自分の明確な理想が何かが、やっとわかった。それは、曖昧な遠い先における未来予想図ではなく、明確で具体的な、すぐ先の未来として、理想はこれである、と、はっきりと宣言することができる。

 今は、この理想を見出してくれることに寄与した人に、最低限の感謝を忘れないでいよう。
 そして、俺らの理想を、、いや、俺の理想に向かって、俺が引っ張っていく。卑怯な手を使わずに、同調するかどうか決めるだけの余地を相手にきちんと与えることが、理想に迷いが無いことの俺の自信に繋がる。その理想が現実にならなくても、別に時間は無限にある、また0からちょっとずつ始めればいいのだ。

 目覚めるまでのしばらくを、、とりあえずは、そんな混じりっけのない真っ直ぐな理想ではなく、今、目にしているありきたりの珍しくもない風景のなかの、ちょっとしたドキドキ感に心を揺らされていたい気持ちでいる。


X'mas Acoustic Live 2003 しあわせの風景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする