たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

自尊心を傷つけ過ぎないで

2012-07-09 03:56:57 | Weblog
 ある程度の信頼関係があると、相手の自尊心を傷つけることに喜びを感じるようになる。

 それは支配欲から来るものもあるし、相手の反応を観て楽しむこともあるだろうし、根源的に持っている感情であったりもする。相手の方が能力があったり、相手に何かの優位性があったりすると、なおさら自尊心を傷つけたくなる気持ちが湧いてくる。
 だって、安心したいんだもん。ってね。

 普通の人間らしい人間であると確認したい、ほら、こういうダメな(ダサい)部分があるから、自分くらいとじゃないと一緒にいてくれないよ?、所詮こんなもんだろ?、さっさと白状しろよ、そうしたら安心できるじゃん!、みたいに、なればなるほど、本当はもしかしたら、信頼関係を深めることができるのかもしれない。

 「高橋さん、絶対、肝試しとか苦手そうなタイプ。」
 『えー、俺がっすか?』
 「そう。絶対みんなから、高橋君苦手そうだから企画しようよー、みたいになってるはずだよ。」
 『なんでー??確かに、苦手ですけどー。笑』
 「でしょ?笑」

 余裕があるときは、相手に対する解析力や系を見抜く慧眼さを保っていられるから、自尊心を傷つけられても、カワイイとさえ思える。そういう風に普通にコミュニケーションがとれていければ、仕事もやりやすいし、そこからもっと、一緒に楽しむことができると俺は思う。

 でも、どんなに相手のことを信頼していても、好きでも、傷つけられ過ぎると、やり返したい感情も芽生える。そして、喧嘩になる。
 そんな時、最後、我慢しなきゃいけないのは、能力がある側、Aグループに近い側の仕事なのだ。グループ理論はかなり強い固定概念を幼い頃から植えつけているから、Aグループ側の人が下に降りていかない限りは、Cグループ側の人は、そっかぁ、やっぱ自分じゃダメだよね、じゃあ、そのノリがイイ同士で楽しんでろよ、って思ってしまうんだと思う。

 それに加えて、相手と同等になろうとして自分を大きく見せたり、ヤバい時に繋ぎとめようとしてAグループ的なノリを出し過ぎてしまうこともある。
 Aグループ側であればあるほど反応性が高いから、そういう点でも、Aグループ側が歩みよるべきだと思う。

 それが出来なくなるのは、突然一気に押し寄せる。想いの容量が溢れていく。
 本音3歩手前くらいのトークが普通だったのが、一気に本音10歩手前まで下がってしまう。

 それはそれで、、うん、グループが高ければ、他の反応性を上げればイイだけだし、今グループが低いなら、グループを向上させるキッカケでもあるわけだから、、終わりをちゃんと受け止め、前に進まなきゃダメなときもある♪

 ≪本当にそう思ってます?≫
 『うーん。微妙(笑)。って言った方が、正直だろ?』
コメント
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