たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

大津市の事件について思うこと

2012-07-11 02:43:17 | Weblog
 今回はいつもの感じを変えて、大津市の事件について、私が思うことを書きます。

 もう少し考えがまとまってから書こうと思ったんですが、あまりにも反響を呼んでいる事件ですし、とにかく今思うことを書いたほうが良いかと思いました。
 特に事件の詳細については書きません。ある程度の知識がある前提で書きますので、全く知らない方はwikiやニュースを御覧になってから読んでいただけたらと思います。

 まず、学校、警察、教育委員会、市の代表者が、薄っぺらいことを言って自分たち自身だけをディフェンスしようとしているのが滑稽に感じますね。
 「いじめと自殺の因果関係は不明である」
 「自殺の練習などの記述はアンケートの中に確かにあったと思うが、そういう事実があったとは確認しきれない」

 私は、普段、このブログでも日常生活の中でも、言葉を心の中に飲み込みながら喋れ、っと言っていますが、まさに、そうしないことによって、いかに本質が浮き彫りにならないかがわかると思います。
 さらに言うと、死亡するまでの間に、もしももっと、勇気を持って、心に言葉を飲み込んで、発言し続け、被害にあってる子のために今できることをすべてする人間が一人でもいたなら、このような悲しい結末にはならなかったんじゃないでしょうか。

 「そこまでのことですか?まだ中学生の子供がやってることじゃないですか。」
 「事実関係をはっきりさせて、今現在、主に、どの時間、どこで、誰と誰が、いじめをしているのか、明確にしてください。」
 「ついこの間まで仲良かったんじゃないですか?大人だって、いじられキャラみたいなこともあるじゃないですか。」

 などと、被害者男子生徒が死亡する前にも、多くの大人たちが、自分たち自身をディフェンスするための教科書通りの「正論」を言い放ってきたのだと簡単に想像できます。

 ダメだな、まったく、っという心を、そのまま、あなたの日常生活に落としてみましょう。それが大切で、それこそが、あなたに今できることです。
 私自身、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院と、さらに、学会、就職活動の場、各研究室、サークル活動、バイト先など様々な場所で、薄っぺらい言葉を毎日よく聴いてきました。あなたもそうだと思います。

 今大学院生という立場なので、研究生活にフォーカスを当てますが、この「いじめ」と同等の系を成すことは沢山あります。
 特にアカデミックハラスメントはちょっと見渡せば多く存在しています。指導教員の添削時間が長いため原著論文がいつまでも出なくて卒業できないようにしたり、研究に支障をきたすほどのTAを強要し時間外労働の給与を支払わなかったり、常識的には考えられないほどの拘束時間と重労働を強制し学習させないようにさせたり。
 こういうことに対して、本人もしくは誰かが精神的苦痛を生じていたとしても、研究室主催者、研究室スタッフ、大学院生、卒研生などが、正式な方向に、言葉を心に飲み込んで、声をあげることは、ほとんどありません。くだらないディフェンスをしますし、それを受け止め、表面的に自分が悪いのだと我慢して、後輩に押し付けていき、酒を飲んで忘れようとすることがほとんどです。

 「大学院とは、研究室とは、そもそも、そういう場であって、仕方が無いことですし、皆さん、それをクリアしていっています。どこの研究室でもそうですし、よくある話です。」
 「これほどのこともこなせないようでは、将来、研究者として、やっていけるはずがありません。最近の学生は、こんなこともできない、する気が無い、甘えが多いんですよ。」
 「そんなにイヤだったら、所詮学校です、やめればいいじゃないですか。」

 これらのような、自分のことしか考えていない、ただ自分自身のためのディフェンスを当たり前のように語り、振りかざしているような人間は、大津市の事件を批判する資格は無いと思います。
 私は研究者としても教育者としても未熟者ですが、これだけははっきり言えます。誰かの心を殺して、住みにくい社会の一部になることをリスクにおいてまで、学問を発展・普及させる必要は無い。学校と呼ばれる場所は、世界で一番安心できるところじゃないといけない。

 人のふり見て我がふり直せ。私自身も反省するところもありますし、今一度、自分の言動をチェックしなければいけないですよね。

 ちゃんと自分の心の中に飲み込みながら喋っているか、自分よりも立場の弱い者にばかり我慢させていないか、もしくは「上の人にこういう風に扱われたら、お前はこういう風に我慢すれば良いんだよ。こう納得すれば良いんだよ。」ということばかりしかアドバイスできない先輩になっていないか。

 そこまでのことですか?そこまでのことです。人が死んでからでは遅いのです。それがわからないなら、この事件からまったく何も学習出来ていません。

 この大津市の事件の実態は、恐らく、マスコミやインターネットで伝えられている情報よりも、もっと多くの闇が潜み、深刻なインタラクションや問題が数多く埋まっていると思います。
 普段の言葉で言うなら、この事件は、いわば、Aグループの優位性によって殺人事件をもみ消そうとしている事件、だと推察できます。

 人間として一番卑劣な行為をする、ヒトではないかのような振る舞いをする人間は、きちんと罰せられる社会を創らないといけないし、加害者が一番悪いのは事実です。
 ただ、それを見て見ぬフリをしている、していた、周りのすべての人間と我々は、なんら違いのない人間である可能性は、残念ながら、高い。

 だからこそ、我々が今できることは、この事件からきちんと学びとって、自分のなかの、いじめ促進になってしまっているかもしれない部分を、ちゃんと正そうとすることだと思います。
 その第一歩は、言葉を自分の心の中に飲み込みながら、勇気を持って、主張すること。

 そのこととは別に、、この事件の本当の真相が、きちんとしたカタチで明かされ、加害者が罰せられるよう願っています。
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