たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

先生フィルター

2009-09-26 00:04:36 | Weblog
 授業にちょいちょい出て、やっぱ、俺は、生徒側のほうが、向いているのかもしれないと感じている。
 
 教育実習で、学んだ事は、大きかった。実習ノートには決して書けない、「ある程度、本当のキレイ事」じゃない、勉強になったことを、少しづつ、このページに記していこうと思う。

 …ねぇ、大好きな君へ、笑わないで聞いてくれ、愛してるだなんてクサイけどね…
 …ただ、泣いて、笑って、過ごす日々に、となりに立っていれることで、僕が生きる意味になって、君に捧ぐこの愛の唄…

 【愛唄とか、懐かしー】
 【だよなー、マジ、なついな。】
 『(っけ、懐かしいって(笑)。カワイイなー。この曲聴いて懐かしいって、ついこないだちゃうの??)』
 【あー、ホントに、懐かしいね。】
 『俺は、GReeeeNだったら、「またね。」が好きかな。』
 【「またね。」ね。確か、入ってる入ってる。】

 GReeeeNの「愛唄」は、確か、2007年の6月頃発売だったと思う。そうか、そういう意味では、俺は、少し若さを失っていた気がした。
 たった2年、っと思ったが、この子たちにしたら、中学生になっちゃうんだもんね。そりゃ、ナツいわ。

 俺は、特に好きな曲であればあるほど、曲に対して懐かしいという感覚はあまり持たない。例えば、宇多田ヒカルの「time will tell」という曲は、俺が小学生の時に発表された曲だが、俺はこの曲がとても好きで、定期的に聞いてしまうので、この曲をどっかから不意に聴いたからって、中学受験時代を思い出して懐かしいっとか思うことは、まったくない。
 だから、そこまで好きじゃなくって、でも、その時期はまぁまぁ聞いてた、って曲のが、懐かしむことができる。好きだと、弾いちゃったりするしね。

 そして、愛唄は、その時期はまぁまぁ聞いてた、ってカンジ。それなのに、2年くらいじゃ、懐かしいーとは思わなくなっている。確かに、高校の頃は、思ってたかも。テキトーな2年前くらいの曲で。

 いや、んで、何が勉強になったのですか?っと思われている方々がいらっしゃると思います。お答えしましょう。

 10年くらい経ったら、今懐かしんでいることも、統一化されてしまうんだろうなって思うのです。
 高校時代を思い出して、今、懐かしいっとか思うけど、もっと経ったら、

 『っけ、同じ、学生時代だろ??あのとき、俺、何、懐かしんでんだよ??』

 って、なるんちゃうのーん?

 《20代の時は、生徒と近いですから、若いままでいけるんですけど、30代、40代になると、、、気持ちは、若いままでいようと思ってるんですよ、でも、どっかで、違う部分がたくさんでてくる。》

 の言葉の、違う部分の前兆のひとつだな。

 こっちは、そっちサイド(高校生)と対等になってるつもりでも、本音を出して、こっちのことも言ってるつもりでも、時間因子によって、そうじゃないケースがあるんだろうな。
 だとしたら、俺が多少ムカつく、変に先生フィルターをかける、教員達やそのタマゴ達のが、よっぽど、よかったりして。なんで、ムカつくかって、自分も、薄いフィルターを罪悪感を持って、かけてるからですけど(笑)。それを、あからさまに恥ずかしげもなくやられると、多少イライラするわけで。って、この論理は「嫌い」とか「ムカつく」に関する一般化ができますけどね。
 
 はぁ、もう、トシなのか。。まだ、22なんだけど。

 でも、こないだ、

 「えーっ!東大と○○○○しか、受けなかったのーー??」
 『はい、まぁ。だって、分野変えるから仕方なかったんですよー。。』
 「受かったから良かったものの、落ちたらどーするつもりだったの??」
 『…さぁ?あんま、考えなかったです。』
 「そりゃ、若気の至りだな。」
 『すいません。』

 って、言われたから、っま、いっか。若気はあるんでしょ。うむうむ。ってか、落ちた時のこと、考えないわけないでしょ。。

 うーん、もっともっと、生徒サイドに行ってみてもイイですが、こっちの、教員サイドとしての役割(授業をしたり、という当たり前のことだけでなく、ね)を果たすことも、非常に大切な気がしました。
 でも、生徒にタメ語でしゃべられるほうが多いし、フィルターはちょいかけちゃうけど、タメ語とか友達感覚とか、嬉しいからね。いや、そんな教員だけじゃダメなのはわかるけど、一人くらい、そんなんがいても、いいじゃん。俺にとって、自然体がそっちなんだよね。

 え??ってか、教員になる気あるのかって??

 ないよ。(笑)
 なんで、こんな本気なのかって言われたら、わからんけど、、

 「この不安定な世の中、教職を担保として考えようというのは、わかりますし、大いに結構です。
 ですが、皆さんも、学校教育を12年くらい経験されたなかで、どーしようもなくダメな先生ってのは、いたはずです。そして、実際に、本当に被害を受けている生徒、生徒のその後にまでも悪い影響を与えてしまう、なかなか見つけにくい、ダメな先生というのはいたはずです。そんな先生、その被害にあってしまう生徒を作らないためにも、教職をとるからには、担保として考えている人も、教員になりたい人と同様に、教職、そして学業に対して、本気であってください。
 1%でも教員になる可能性があるなら、本気であってください。
 特に、皆さんが、教採を受ける年は、団塊の世代が、一斉に辞めて、受かりやすい年のはずですから。」

 っという、おそらく本音で伝えようとした、この言葉は、3年経っても、俺を、良い意味で、縛りつけた。

 少なくともここまで、そして3週間は、約束通り、本気でやってるっしょ??残念ながら、フルパワーじゃなかったけど、教員志望の平均値よりはスゲー考えてる自信があるんだけどなーー。
 
 だって、そもそも、俺は、教育に対して、憎しみと感謝の気持ちを、入り混じって、持っているから。
 憎しみの部分は、間違いなく、先生フィルターのせいだったことは、言うまでもない。
コメント
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