たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

汚い格差社会の本質

2008-03-28 04:34:19 | Weblog
 日本の教育制度というものが、最近、とてもキライだ。
 高校まではカリカリ勉強する事が善であると言われ、それを一回、20歳くらいで全部チャラにして、今度はコミュニケーション能力が重要だとか心が大事だと言われる(どっかで、この言葉を聞いた、忘れちゃったけど…(笑))。
 どっちやねんっ!!

 前にも話したかもしれないが、人間というのは頭と心を円滑に働かせることによって成り立っている。頭で考える、心で思う。この2つを結論のツールにしているわけだ。まぁ、殆どユングの考え方だね。
 例えば、心ばかりの判断で行動すると、無謀、乱暴という風になってしまうし、頭ばかりの判断で行動すると、ロボット的、冷酷っという風になってしまう。
 大事なのは、二つのツールを、いつも用意して、問題解決への答えを見出す事。そうすれば、心でA、頭でBと答えがでて、どちらかに進んでしばらくして、間違えだったと判断したときに、すぐに道を変えやすいし、そもそも何も考えずにAと出したのとでは、同じAでも意味が違ってくるはずだ。

 受験とその後の大学生活に話を戻してみよう。受験を終えるまでは、頭で冷酷に判断できることが求められているが、受験を終えてからは、心できちんと答えを出せる事が重要視されている。うーん、これじゃあ混乱するんじゃないかな…。


 人間の頭で行なえる能力というのは、いくつかある。
 基盤となっているのは、暗記力だ。
 その上にあるのが、理解力である。問題文や概念を説明されて、わかる力が必要である。
 さらに、解析力。ただ、わかるだけでなく、自分の力で、その概念が本当にあっているのだろうかと、吟味できる能力が必要である。
 理数的能力に限れば、単純な計算力というものも必要だ。これは、プロセスを覚えるという意味では、暗記力よりは少しだけ高級なわけである。
 そして、多角的に物事をみる力。1つの方向から何かを見ているだけでは、早期問題解決に一歩隔たりがある。例えば、入試の範囲で図形問題を見たら、ベクトルで行くか?、幾何学で行くか?、座標にのせるか?、複素平面にのせるか?、定量的に式を使って示していくか?、くらいの方針がっぱっと思いつき、どれも同時に考える能力のことだ。

 頭を問題解決のツールにした場合、ざっとこれくらいの能力が思いつく。たぶん全部挙げたと思う。あとは、組合せ。計算力と多角的に物事をみる力を使って、解析力を発揮すると、見通しの立っている計算能力になるなど、である。

 受験では、数に差はあるものの、上に挙げたすべての能力を使用しなければならない。じゃあ、受験は最高ジャン。
 いやいや、すべてを使わなきゃいけないのに、一般の公立校では、暗記をしまくって望めば、定期試験などで簡単に高得点がとれてしまうのだ。これじゃー、まったくもって、暗記力以外の養成をしていない。
 普通にまっぴらで考えて、学校の成績がとてもイイ奴が、難関校に入るというのは、当たり前じゃないか?だが、現実ではそーではないのだ。(推薦などというものもあるが。)
 暗記力以外の能力を養成している場所は、予備校である(まぁ、暗記力だけで金とっているとこもあるだろうけど…)。予備校は、ある程度、お金がある家庭でないと、通えない。
 ここに、格差があるのだ。

 まだ、勉強するという意欲があるなら、格差は生まれない。だが、単に勉強するということに意欲のあるヤツというのは、俺自身とたった数名を除いて、殆どみた事がない。

 勉強する意欲が涌かないのは、当たり前だ。大人があまりに楽しそうじゃないからだ。
 どーせ、一生懸命、勉強したって、年功序列で、上司に頭下げながら、飲みに行き、つまらないルーティンワークを毎日毎日しているように、少なくとも見える。
 それは、本当は、カッコ良いことなのだ。だって、自分がしたいことを諦めて、家族のためにひたむきに毎日を生きるのだから。だが、子供にとっては、ミュージシャンや野球選手がヒーローであり、本当のヒーローである自分の父親には、気付けない。

 日本の汚い世襲制は、このように生じていると思う。医者の子供は医者になり、政治家の子供は政治家になる。お金やお金によって予備校に通えるだけじゃなく、何より「自分は他の人より優れている」と長い羅列の中で感じることにより、意欲や背負いが違うのだ。
 その意欲が、頑張りのエネルギー源が、「努力によって超えられない壁はない」などという思想ではなく、「自分は血統上、他のアホとは違うんだ」というところを拠り所にしているため、税金をムダ使いし、金に汚い医者でいても、何も感じないのだ。

 根本は、集団主義(collectivism)であると思う。横並びでいること、自分と違うモノは廃除する傾向にあること、これがスベテの原因だ。つまり、頭のツールである能力の低下、というよりは、腐った自分勝手な心が日本のダメさを引き起こしているのだ。
 なんとか打破しなければならない。
 きちんと、自分の頭で、勉強するということが必要であると、将来は自分で明るく切り開くものだと、思えることが必要。
 年功序列がウザ過ぎる。能力のある人が、一番上。こっちのほうが、わかりやすい。能力だけでなく、経験が大事なんだと反論されそうだが、現状を見ると、年さえとれば良いという風になっている事のが多いと思う。これでは、若い側の、意欲が損なわれてしまう。
 国際化というのであるなら、自分と違うモノを認め、本当の意味で他者を大切に考えなければならない。
 
 まぁ、俺が、壁を打破して、輝かしい将来を手にするのが、1番手っ取り早く、意欲を涌かせる結果になるのだろうけど。
 
 うむ、頭も心も、さらに進化していってほしいと思う。そして両方を円滑に、ものごとの本質を見極めて欲しいと思う。
コメント
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