Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

どんな気がする?と聞かれたら

2008年05月10日 | 映画など
トッド・ヘインズ監督『アイム・ノット・ゼア』を見る。
ボブ・ディランの半生を複数の俳優が演じるという、風変わりな作品だが、
ディランのファンである僕はまったく違和感なく、
この人ってこういう感じなんだよな、と納得しながら見る。

 I'm not there(2007)

ディランの映画はこれまでに何作かあったのだけど、
それらに共通するのは、この人は何を考えているのかわからない、ということだ。
まったく予想がつかない人であり、
これほど変化し続けるミュージシャンも珍しいのではないだろうか。
あるときはフォークシンガーで、またあるときはロックンローラー。
ゴスペルシンガーにもなり、役者としても存在感を示す。
私生活でも恋人との蜜月期間があり、別れがあり、
ひとりの男として、カッコ良くも情けない面も見せる。

そんな人の自伝映画なのだから、
俳優が入れ替わり立ち替わり変わっても違和感がない。
中でも、フォークからロックに転身した頃のディランを演じた
ケイト・ブランシェットが出色。
スコセッシが監督した
ディランのドキュメント『ノー・ディレクション・ホーム』。
あの中に出てくるディランそのまま、である。
ブランシェットは相当研究したとおぼしい。

ディランマニアのために作られたかのような映画である。
だが、ケネディ暗殺、ヴェトナム戦争、ブラックパンサー団といった、
アメリカの歴史と密接に繋がっているのが、
ディランを始めとするポピュラーミュージックだということがよくわかる。

先頃亡くなったヒース・レジャーも出演。惜しい人を亡くした。
その妻を演じたシャルロット・ゲンズブールが素晴らしい。
余談だが、この映画のサントラで
ゲンズブールが歌う「Just Like a Woman」が絶品である。
本編で流れないのが残念。

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酩酊ウィークエンド

2008年05月10日 | 日々、徒然に
連休中は仕事をしていたので、
そのノリで平日のこの3日間をやり切れるかと思ったら、
次から次へと押し寄せる仕事。
それを次から次へとこなしていく、
というか、こなさないとやっていけないほどの混み具合。
充実しているかもしれないが、
過密で極まりない3日間だった。
来週もきっと詰まってくる予感がひしひしと。

それでもT酒場に寄る。
どんなに忙しくても、なぜかココに寄ることはできるのだ。
珍しくおつまみに「エシャレット」があり、
それをつまみながら、ビールをぐびぐびと。
酒場にあるテレビを見ながら、飲んだくれるのだった。

この酒場は以前、酩酊して前後不覚になり、
ちょっと迷惑をかけたことがある。
あ、いやちょっとじゃない。かなり、である。
それ以来ここでは「酒なんか呑んですみません」的な態度で、呑んでいる。

いつになったら、酒を嗜むことができるのだろう。
蘊蓄を垂れながら、日本酒やワインをかたむける。
そんな大人にはなりたくない、とずっと思ってきたけれど。




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貯金か友達か

2008年05月07日 | 読んでいろいろ思うところが
『反貧困』のつづき。
著者は貧困に至らないためのセーフティネットは
「溜め」だと書く。少々長いが引用する。

──溜め、の機能はさまざまなものに備わっている。
  たとえば、お金だ。充分なお金(貯金)を持っている人は、
  たとえ失業しても、その日から食べることに困ることはない。
  当面の間、そのお金を使って生活できるし、
  同時に求職活動費用ともなる。
  落ち着いて積極的に次の仕事を探すことができる。
  このとき貯金は「溜め」の機能を持っている、と言える。
  しかし、わざわざ抽象的な概念を使うのは、
  それが金銭に限定されないからだ。
  有形・無形のさまざまなものが「溜め」の機能を有している。
  頼れる家族・親族・友人がいるというのは、
  人間関係の「溜め」である。
  また、自分に自信がある、何かをできると思える、
  自分を大切にできるというのは、精神的な「溜め」である。
  (中略)逆に言えば、貧困とは、
  このようなもろもろの「溜め」が総合的に失われ、
  奪われている状態である。(湯浅誠著『反貧困』より引用)

一概にお金がないから「貧困」になるのではない。
自分を助けてくれるものが、どのくらいあるのか。
言葉を変えると、それが「豊かさ」というものだろう。

頼れる家族や友人がいない人は「貯金」をするべきだろう。
お金のない人は、誰か頼れる人が必要だ。
うまくバランスを取っていけば、この世の中、
なんとか渡っていけるのではないだろうか。
と、書くのは簡単だが、
これはすごく難しいことのような気がする。














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ビンボーと言っているうちが花

2008年05月06日 | 読んでいろいろ思うところが
湯浅誠『反貧困─すべり台社会からの脱出』(岩波新書)を読む。
負け組とか、持たざる者とか、ワーキングプアとか、
貧乏な人たちのことがいろいろと言われているけど、
「貧困」の意味が説得力のある言葉で書かれており、
そうした「貧困」がこの国に存在しているという事実。
背筋が寒くなる思いで、一気に読まされる本だ。


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GW、およそ3割のアベレージ

2008年05月05日 | 日々、徒然に
5月5日だし、柏餅を食す。
最近は鯉のぼりを上げる家もあまり見なくなった。
今日は午後から雨で、どうも爽やかさとはほど遠い日である。
そんな日でも仕事、である。
遅々として進まなかった仕事も、
徐々に前に向かっているような感じがしてきた。

このGWは映画をたくさん見て、本もいっぱい読んで、
古本市をひやかしたり、落語を聞きにいったり、
銭湯につかったり、ビールを呑んだりするつもりだった。

結局、見た映画は2本。
読んだ本は1冊。
銭湯は今夜行くことができた。菖蒲湯だった。
帰りに缶ビールを買って呑んだ。
あとの時間はほぼ仕事、であった。
あ、今日食した柏餅、なかなかの味だった。

まあまあかな、今年のGW。


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あの肉の日をもう一度

2008年05月04日 | 呑んだり喰ったり
一昨日のお祝いのときの写真が送られてきた。



勝ち誇ったかのように、並ぶ肉。肉。肉。
おーっほっほっほ。と、どこかのアニメキャラのように、
あるいはどこかの女流作家のように、
高笑いしたくなる夜であった。

ま、自腹なんですけどね。
お祝いだし、たまにはいいのではないかと。
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清濁併せ持つとはいうけれど

2008年05月04日 | 映画など
チャールズ・ロートン監督『狩人の夜』を見る。
カルト映画として名高い本作だが、
1950年代のアメリカ映画に、ひとつの流れとしてあった
独特の暗さというか、屈折したものを抱えた作品のひとつだろう。
ヒッチコックの『見知らぬ乗客』とか、
アルドリッチの『キッスで殺せ』といった作品と通じるものがある。
チャールズ・ロートンというと、
ビリー・ワイルダーの『情婦』の好々爺な弁護士を思い出すが、
あのでっぷりとした、人の良さそうな俳優が、
こんな変な映画(褒め言葉です)を撮っていたとは驚き。



強盗殺人で逮捕された男が、
刑務所で一緒になった牧師(ロバート・ミッチャム)に
盗んだ1万ドルのことを話したのが、物語の発端。
男が絞首刑に処せられたあと、出所した牧師が、
その男の妻につけいり、強引に結婚。
金のありかを探しているうちに、ついに男の息子と娘が
隠し持っていることが判明。
牧師は妻を殺し、幼い兄姉を執拗に追いかける。

賛美歌を歌いながら、
一歩一歩子供たちを追いつめていくサスペンス。
コントラストの効いた白黒画面の中、
帽子をかぶった牧師のシルエットが浮かぶショット。
兄姉が逃げるボートが川を下っていくときの
手前に映し出される小動物。
クルマに乗ったまま、水死体で発見される妻。
まるで生きているような、人形のような美しさ。

これはまるっきりデビット・リンチである。
というか、リンチがこの映画を真似したかのような
シュールで不気味なファクターで彩られている。

牧師は片方の指に「HATE(憎しみ)」。
そしてもう片方の指には「LOVE(愛)」と刺青をし、
口では神への忠誠を誓いながら、
悪魔のような所業を繰り返すこの牧師。
人間のアンビバレントな部分を象徴しているかのような人物造詣。



映画の後半、兄姉をかくまう老婦人(リリアン・ギッシュ)が登場。
牧師の魔の手から守るために、ライフルを構える。
アンビバレントな怪物に照準を合わせる老婦人。
この老婦人のいきなりな登場と共に、
悪夢のようなクライマックスが待ち受ける。
いやあ、変な映画(褒め言葉)である。

ロバート・ミッチャムは名優だが、
この怪演ぶりにあらためて感服。
そしてリリアン・ギッシュの逞しさというか、
神々しさに目を見張る。

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しゃぶしゃぶと女優談義

2008年05月03日 | 呑んだり喰ったり
昨日は秋葉原で、先輩T氏のお祝い。
大宅賞というビッグな賞を取ったということは、
ただごとではないので、
ともかく、おめでとうということで乾杯。
しゃぶしゃぶを喰いながら、
集まった先輩たちや同輩たちといろんな話に花が咲く。

この集まりが面白いのは、
先輩たちも同輩の連中も「現在進行形」の話が大半で、
昔話はさほどしない感じがある。
それだけみんな「現役感」バリバリで、
頼もしいというか、自分も負けられないなという気持ちになる。

また、最近の女優の話になり、
蒼井優や上野樹里の話題で盛り上がる。
谷村美月や成海凛子、多部未華子の映画の話をしたら、
みんな食いつきのいいこと。
今の若手女優は上手いなあ、と言いながら、
ビールや焼酎をあおる我々であった。
きっとあと10年経っても、
(僕を含めて)若手女優談義ができる人たちだ。
みんないいオトナなのだが。




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Beyond myself

2008年05月02日 | 読んでいろいろ思うところが
城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局)を読む。
今年の大宅賞受賞作である。
中国残留孤児、という人たちがいるということは
新聞やテレビのニュースで見て知っていた
中国から帰還した子供と対面する両親がテレビのニュースに
よく映し出されていたのを思い出す。
対面した親子は手を握り、涙を流していた。
あの握られた手と手の力。そして、流された涙の意味が、
このノンフィクションを読むとおぼろげながらわかってくる。



このノンフィクションは二部構成だ。

第1部は、終戦直後、満州から引き揚げる際に
両親とはぐれてしまった5歳の男の子が、
中国人の女性に引き取られ、成長していく過程を追いかけたもの。

第2部は、その男の子がほぼ30年ぶりに帰国を果たし、結婚。
その娘である著者の目から見た父と、
第二の故国である中国という国を描写する。

この二部構成が効いている。客観的な描写に徹する第1部。
思い切り著者の主観が混ざった第2部。
ごくごく個人的なセルフドキュメントでありながら、
その視点は日本と中国の関係といった
社会的な視点にまで到達する。
そこには戦争があり、家族の繋がりがあり、国家間の問題がある。
このスケールの大きさは、ただごとではない。

著者は10年以上かけてこのノンフィクションをものにしたという。
日本に帰還した父親のまっすぐな生き方と、
その姿に情愛を持って見つめる娘。
大変な労作だと思う。


※と、ここまで書いてきてアレなのだが、
実はこの本、大学時代の先輩T氏が編集したものだ。
大宅賞だし、本当にすごいなあと。
今夜、大学の仲間と先輩を囲んで大宅賞のお祝いをするので、
この本の面白さを整理しておこうと思った次第。
というわけで、これは備忘録です。すみません。

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