Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

おおやけのよろこび

2022年04月30日 | 映画など
フレデリック・ワイズマン監督
「ボストン市庁舎」を見る。
これぞ行政。これぞ公僕。これぞ民主主義。
ワイズマン監督いつもの淡々とした演出なのに、
高揚感と正義感、
さらには勇気と希望まで与えてくれる272分。


市民のために何ができるかを考え、
そして実行する。それこそが行政に携わる者の義務だ。
当たり前と言えば当たり前のことを
本作は4時間以上の上映時間をかけて淡々と写し出す。

警察や消防、保健衛生や
高齢者や障害者への支援など、
多種多様な市民のニーズに、
これまた多種多様なサポートをおこなう人たち。

彼ら彼女らは「人々のために」というよりは、
あくまで「これが仕事だから」という態度であり、
使命感に燃えて行動するのではなく、
業務として市民のサポートをしているに過ぎない。
確かに、市民が受ける公的サービスは
情熱があろうとなかろうと、それが適切であればいいのだから。

映画は撮る対象に近寄るわけでもなく、
だからといって突き放すわけでもない。
絶妙というか独特の距離感はこの監督ならでは。
唯一エモーショナルなのは、
映画に何度も登場するマーティン・ウォルシュ市長だ。
労働者階級出身で、精神疾患の病歴を持つ彼が
市民のために語るいくつかの場面は、どれも感情を揺さぶられる。

前作の「ニューヨーク公共図書館エクス・リプリス」同様、
近作のワイズマンは、人間と社会システムの良い部分に
さりげなく光を当てるものが多くて、ずいぶん見やすくなったと思う。
世評が高いのも頷けるし、
彼の映画はシネフィルだけのものではなく、
広く多くの人たちに見られるようになってきているのは
とても喜ばしいことだと思う。

「ふんふん。ワイズマンはね〜うんぬんかんぬん」
と、偉そうに話すシネフィル(自分、だ)の出番はありません。
役に立たない蘊蓄をひけらかすのはやめて、
私利私欲ではなく、人々のために働こうと思った次第。

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たどり着けないもの

2022年04月29日 | 読んでいろいろ思うところが
今週の週刊文春。
「いつも心にナンシー関」と題した特集が。
そうか、没後20年か。早いもんだな、と。
清水ミチコ、テリー伊藤、えのきどいちろうなど、
ナンシーさんと縁の深かった人たちのコメントと、
担当編集者の座談会。そして当誌で連載されていた
「テレビ消灯時間」の傑作選とかなりの充実ぶり。



ナンシーさんのコラムは
その切れ味にしろ、言葉選びの巧みさにしろ、
批判精神と諧謔に富み、
笑わせどころ、オチの付け方に至るまで素晴らしい。
読んだことがあるコラムなのに、何度も笑ってしまいました。
こんな文章をいつか書きたいと思いつつ、
身も心も汚れちまった自分には
とうてい叶わない夢なのです。

清水ミチコさんの文章(談話かも)が
まるでナンシーさんが
乗り移ったかのような語り口で、これまた絶品。


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しゅわしゅわ小市民

2022年04月28日 | 日々、徒然に
うう。夕べのアレが残っている。
アレとはつまり、麦を発酵させてしゅわしゅわするアレです。
リモート呑みで、ついベロベロになってしまい
醜態をさらしたりしてませんよ。してないったら、してません。

ともあれ。連休前の平日というのは、
事務仕事に追われてしまう不思議。
経費の精算をしたり、原稿依頼の手紙を書いたり、
メールや郵便で届いた写真やイラストを
関係各位に送ったり、見本誌をお世話になった人に郵送したり。

求められるのは速さより正確さと丁寧さ。
いや、速いほうがいいんだけど、
脳味噌がしゅわしゅわしているので、
とにかく地道に小市民に生きるに限る連休前。

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やるせなきおの夜

2022年04月27日 | 日々、徒然に
園子温監督とか河瀬直美監督とか。
監督の威光を借りた暴力やハラスメントが明るみになっている。
事の真相はわからないのだけれど、
コロナ禍以降、アップリンクやユジク阿佐ヶ谷などの
映画館スタッフへのパワハラ問題などもあった。
なんだか本当に日本の映画界の印象が悪くなっているというか。

上に挙げた監督たちの映画は
よく見ていたし、賞賛した記憶もある。
作品と人物は別物だということは重々承知のうえで、
彼ら彼女らの映画について語りづらくなるのが
なんともやるせない。シネフィルの皆さん、
どう思ってますか? だんまりですか。
それともここぞとばかりに大批判ですか。

河瀬監督のことを
昨年の東京五輪にからめて批判する声も聞こえてきた。
それに同調する気持ちはどうしても起こらないし、
だからといって河瀬監督を擁護する気にもならない。
ハラスメントは駄目、暴力をふるうなんて論外。
そんな正論をぼそぼそと呟きながら、
もやもやして宙ぶらりんな気持ちが続くのでした。

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一回休みのあいだに

2022年04月26日 | 映画など
ジャック・リヴェット監督「北の橋」を見る。
パリの街を双六に見立て、
ムショ帰りの女とカンフー使いの少女が
ゴールに向かって進んだり、振り出しに戻ったり。
と、書いていて訳がわからないけれど、
そんな映画なんです。奇天烈かつ摩訶不思議。
遊戯性に満ちたラブストーリーでもあり、冒険譚でもあるという。


かつての恋人から謎のミッションを与えられ、
愛ゆえに危険を冒しながら、
パリの街を徘徊、あるいは冒険するビュル・オジエ。
そんな彼女の前にバイクに乗って現れ、
守護神のような振る舞いをするパスカル・オジエ。
ストーリーを追うとわからなくなってくるので、
映画を楽しむには、このふたりの行動を見つめるしかない。
ビュル・オジエは愛のせいで命を落とし、
パスカル・オジエは、結局守護神であり続けることができず、
遊戯性と虚飾性のなかに埋没していく。
これは喜劇なのか悲劇なのか。そのあたりの落としどころは
観客に委ねられているような作り。

本作が撮られたのは1981年。
ゴダールはこの年の前後に
「勝手に逃げろ/人生」と「パッション」を撮り、
政治的な映画から劇映画に帰還したと言われ
シネフィルのあいだで話題を呼んでいた。
トリュフォーは前年に「終電車」、
そしてこの年に「隣の女」とまさに円熟期。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの中で
最年長ですでに還暦を過ぎていたロメールは
この2年後に「海辺のポーリーヌ」を撮るなど、
驚異的な勢いで傑作を量産していく。

そんな時期にリヴェットは
いかにもヌーヴェル・ヴァーグ的というか、
良く言えば哲学的な、悪く言えば青臭いアートな映画で
独自の路線を進んでいたんだなと思う。




とかなんとか
シネフィル的なことを書いてますが、
パスカル・オジエが出ていたから見たんです。
逃げも隠れもいたしません!

享年25という、若くして亡くなったこの女優さん。
本作とロメールの「満月の夜」で
映画史に永遠に残るぐらいの存在感を示してくれているのです。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちはみんな、
女優をとても魅力的に撮るなあ。と。

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死滅の一歩手前

2022年04月25日 | やさぐれ男のつぶやき
原稿書きで悩み中。
悩むということは、
頭も手も動いていない、ということだ。
脳味噌が思うように働かないのはいつものことなので、
だったら体を動かさねば。
と、手と指でMacのキーボードを叩きながら
文字を、言葉を、文を少しずつ画面に打ち込んでいく。
指を動かせば、そのうち脳味噌も活性化するだろう。

だが、しかし。
焼きそばのことなら何も考えずに書ける。
今日もペヤングで「野菜MIX」とかいう代物を見かけたが、
いつから健康志向になったんじゃ、あん?
不健康路線でぶっ飛ばすんじゃなかったんか、あん?
小市民じゃのお、それでええんか、あん?

と延々、罵倒できるのだが、原稿が書けないのは
いよいよ脳味噌が死滅しているのではないかと
不健康な小市民は戦々恐々なのです。

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愛についての長いプロセス

2022年04月24日 | 読んでいろいろ思うところが
濱野ちひろ「聖なるズー」(集英社文庫)を読む。
動物を性愛の対象とする人を
ズーファイルと呼ぶらしい。
本書はそうしたセクシュアリティの
人たちに迫るノンフィクション。
読み進めていくうちに、そうか、これは
「愛」についての物語だと思い至るのでした。


著者がアプローチしたのは、
ドイツの動物性愛擁護団体「ゼータ」の人たちだ。
彼ら彼女らは、動物との性愛は
決して病理的なものや加虐的なものではなく、
あくまで動物たちとの対等なパートナーシップのもとに
行われていると主張する。

とはいえ、動物は言葉を発することができないので、
本当にそんな対等な関係が成立するのだろうか。
著者ならずとも読者の多くは
そのような疑問を抱きつつ読み進めていくことだろう。

そして、どう見ても彼ら彼女らは
動物を虐待しているのではないのがわかってくる。
いわゆる誘いの仕草や行動は
その動物を愛していればわかるという。
言い換えれば、それは相手のパーソナリティを
発見することであり、それこそが「愛」であることに
思い至る著者は、自身の性被害体験を絡めながら、
セクシュアリティについての考察を深めていく。

「衝撃」とか「タブー」とか「禁忌」といった言葉を
頭に浮かべないで読み進めることをお勧めします。

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精霊の呼び声

2022年04月23日 | 日々、徒然に

引き続き沖縄にて。
ガジュマルの木、らしい。
植物は怖い。というか、
ほんとに生き物だなあと思うのは
こういう木を見たときだ。
じっと見つめていたら、
懐かしいけど、恐ろしい
目の赤い毛むくじゃらの人物が出てきそうな。
なんともブンミおじさんな
気分になるのはシネフィルの悪癖です。

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流れのおもむくままに

2022年04月22日 | 日々、徒然に
取材は午後からということで、
ホテルをチェックアウトしたあと、
あてどない徘徊を余儀なくされる。


空は曇天。ホテル近くを流れている河を下る。
よどんだ河の流れをしばし見つめる。


疲労困憊したところにこんなベンチが。
自分のためにあるようなやさぐれて朽ちたそれが
おいでおいでと言っているような。
そこまで言うのなら、
ということでしばしこのベンチで息抜き。


お前は本当に沖縄に行ったのか。
という突っ込みにお応えして、えらく立派なシーサーをば。
その偉容を見つめていたら、
いつのまにか、取材の時間が迫ってきたという。

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哀愁のゴーイングサウス

2022年04月21日 | ストレイキャットブルース
羽田から飛行機で那覇に着いたのが午後遅く。
空港からバスで2時間ほど走る。
けっこう過酷な道のりのあと、名護に着く。すでに日没とな。
そこから2キロほど歩き、今夜泊まるビジネスホテルに向かう。


疲労困憊ながら、夜の名護を少し歩く。
商店街からあやしげな灯りがいくつか。


おや。こんなところにいましたか。
南の島でも相変わらずやさぐれているんですね。
「ちむどんどん」の地元じゃないですか。
もっと晴れやかでもいいと思うんですけどね。

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