2016年も終わりとな。
大晦日の今日も、版元と電話で長時間打ち合わせたりして、
先方もガチなので、こちらもガチで行かない、と。
冬休みの宿題をたっぷり残したまま、
ギリギリのところで蕎麦をいただく。
こうなったら麦のアレじゃ、米のソレじゃあ、と
意気込もうとしたら、すでにカウントダウン。
今年もいろんなことがありました。
来年もきっと、いろいろあるでしょう。
退屈しなきゃいいなと思うだけです。
みなさん良いお年を。
2016年も終わりとな。
大晦日の今日も、版元と電話で長時間打ち合わせたりして、
先方もガチなので、こちらもガチで行かない、と。
冬休みの宿題をたっぷり残したまま、
ギリギリのところで蕎麦をいただく。
こうなったら麦のアレじゃ、米のソレじゃあ、と
意気込もうとしたら、すでにカウントダウン。
今年もいろんなことがありました。
来年もきっと、いろいろあるでしょう。
退屈しなきゃいいなと思うだけです。
みなさん良いお年を。
ハワード・ホークス監督「教授と美女」を見る。
百科事典を編集する世間知らずの男と、
アバズレ(死語)な踊り子が織りなす恋愛コメディ。
学問に関する知識は豊富だけど、
恋愛にはまったくの奥手という
役どころのクーパーは、まさに適役。
そんな彼をとりまく編集者仲間の爺さんたちが、
いちいちキャラが立っているのだけど、
みんなちっちゃくて、なんか可愛い。
そんな爺さんたちが、
バーバラ・スタンウィックと意気投合して
踊り出す場面の心地良さ。
映画を見る快感ってこういうものかと思ったりする。
きびきびして、堂々として、何のてらいもない演出。
それでいて無類に面白くて、
登場人物、特に女優さんの魅力的なことといったら、ない。
山田宏一さんは、
その著書「ハワード・ホークス映画読本」で、
ハワード・ホークスとは一目瞭然の映画だ。
と書いている。
芸術とか思想。あるいはメッセージとかイデオロギー。
そうしたものから脱却できているのが、
ハワード・ホークスの映画なのだろう。
ただの娯楽。そして快楽。それが映画だと言わんばかりの。
原稿を1本書いたあと、文字起こしの続き。
ライターさんと打ち合わせもあったりして、
ほんとに年の瀬という感じがしない。
あと、3月に出す本の原稿が山ほど溜まっていて、
まさに小さなことからコツコツと(by西川きよし師匠)やっていくしかない。
そうこうしているうちにデザイナーさんから
デザインの仕上がりがメールで届いて、対応に追われるという、
やさぐれるヒマもないとはこのことか。
年末年始は休みがないことが決定。
休めないからといって、過労で死ぬことはないと思うし、
もともとワーカホリックだから、どうでもいいんです、
とやさぐれモードの29日。
自分はたぶんまだ死なないけど、
レイア姫のお母さん、というかキャリー・フィッシャーの母、
デビー・レイノルズの訃報が。
さらに根津甚八さんが亡くなったという。
ニュースサイトを開くたびに、こんな知らせばかり。
「さらば愛しき大地」と「その後の仁義なき戦い」。
この2本で映画史に永遠に名を刻む甚八さん。
ご冥福をお祈りします。
ううっ。どうしたことだ。
なんだか強烈なパクチー臭がしたと思ったら、
しばらくの間、気を失っていたようだ。
気を取り直して、仕事をする。
安倍首相、真珠湾なんかに行っちゃって、
と思っていたら、
キャリー・フィッシャーが亡くなったというニュースが。
なんとも言葉が出ない。だってレイア姫だよ。
「ローグ・ワン」見なきゃと思っていた矢先にこの訃報。
レイア姫役で、その名は永遠に残ると思うけれど、
「ブルース・ブラザーズ」のジョン・ベルーシを追いかける女とか、
「ハンナとその姉妹」のチョイ役とか。出てるだけで嬉しかった。
ポール・サイモンの奥さんだったこともあり、
薬物中毒などで波乱万丈の人生だったと聞くけど、
それを経ての「フォースの覚醒」出演は、それはそれは感動するわけで。
なんとも残念で無念。
まずは「ローグ・ワン」を見に行きます。
仕事なぞしている場合ではないのだろう。
だってレイア姫が亡くなったんだよ。
全宇宙の人たちが喪に服しているに違いないし。
うひょひょひょひょひょ。
あれ〜どうしたんですか。
せっかくとっておきのネタがあったんですけどね〜。
年の瀬に、敵前逃亡ですか〜うひょひょひょ。
朝からクライアントと電話でやりとりしていたと思ったら、
昼より別のクライアントのところで打ち合わせ。
仕事場に戻ったら、またまた別のクライアントと話をして、
ライターさんから原稿をもらって、
2月に出す本の記事をデザイナーに発注したり、
さらに3月に出る本のデザインフォーマットの打ち合わせをする。
さすが12月も26日というか。みなさん仕事モード全開ですな。
こっちはついていくだけで精一杯です。
うひょひょひょひょひょひょひょ。
片淵須直監督「この世界の片隅に」を見る。
シーンのひとつひとつが
いとおしくて、せつなくて、ひりひりする。
つまりは、傑作ということです。はい。
こういう映画が大ヒットというのは、
喜ばしいことだと素直に思ったりするわけで。
こうの史代の原作は、読んでいたのだけど、
例によって記憶力が悪いので、内容を忘れていた。
でも、本作を見ているうちに、ああこういう物語だった、
こういう人たちが出てきて、生きて笑って、悲しんで、また笑って。
そんな物語だったと、まさに記憶の片隅に、
原作を読んだときの感動が隠れていたのだろう。
その気持ちが体からあふれてきて、どうにもならなくなった。
つまりは、号泣してしまったという。
能年さん、あらため「のん」の声によるところも大きいのだろう。
主人公のすずのほわっとした感じが、
映画のトーンを決め。
人間味のある登場人物が行き来していく。
そこにいきなり入り込んでくる戦争という圧倒的な暴力。
「マイマイ新子と千年の魔法」でのファンタジックな
語り口が卓越していた片淵監督。ついにバケたかな、と。
アニメとか実写とかという次元を越えて、
映画としての力がみなぎっている。
クリスマス?
なんでそんなに浮かれんといかんのじゃ。あん?
とやさぐれながらイヴの今日も仕事とな。
ここまで来ると、年末年始が
どんな状況になってくるかが見えてくる。
かなり切羽詰まってきているので、
だんだん神経戦の様相を見せてくるんだな、これが。
そんな状況のなか、
人並みにトリとケーキを食したりして、
ちょっとだけ脳味噌を休ませようと目論む。
さらにディランの「クリスマス・イン・ザ・ハート」を聞いて、
やさぐれた気持ちを落ち着かせようと思ったけど、
ディランの歌声にドスが入りすぎていて、
心はざわついたまま、聖なる夜は更けていくのでした。
実は誕生日が10月だったのだけど、
「お祝いに寿司をご馳走してもよろしくてよ」
と言ってくれる人がいて、延び延びになっていたのが、
本日、ついに実現したという。ついでにメリクリな感じ。
こ、これってあの「ちゅうとろ」ってやつですか。
口のなかでとろけるような、
脳髄にまで染み込む、めくるめく快感ってこのことですか。
しかも、なぜカウンターが回ってないんですか。
どうも落ちつきませんね。んじゃあっしが回りましょうかね、
なんて、インチキな江戸前の噺家になったような気分。
こんなに幸せでいいのだろうか。
一年分の幸運を使ってしまったような気がする。
でも今年はもう終わりなので、
まだ幸運が少し残っていたということだろう。