Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

文化的雪かき考

2018年09月12日 | 無意味な考察

仕事と労働の違いは何か、

というような原稿を書いていた。

ハンナ・アーレントの「人間の条件」に

書かれていることによると、

 

労働laborとは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。

仕事workとは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。

 

ふむ。

喰うために活動するのが労働laborで、

人間ならではの何かを創り出す活動が仕事workなのかな、と。

 

自分がやっている仕事は何だろう。

laborか、それともworkか。

 

村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を思い出す。

主人公はフリーライターで、自分が書いている原稿は、

字が書いてあればいい程度のもの。

でも、誰かがやらなければならないことだと。

雪かきがそうであるように。だから文化的雪かきだと。

 

雪かきはたぶんlaborの範疇だろう。

となると、cultural laborという概念はあるんだろうか。

文化的労働。なんかそんな感じかもしれない。いま。

 

 

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汚れた心の男

2018年07月07日 | 無意味な考察

いくつかある仕事のうち、

いちばんボリュームがあって、

難易度の高いテーマの本で

これは難儀するだろうな、と思ったら、

やっぱり苦労しているという。そういう意味では想定内だけど、

なんとも煮え切らない感じで原稿を書く。

 

とにかく書くしかないのだ。

言いたいこと、伝えたいことを淡々と書いていけばいいのだ。

と自分に言い聞かせて、書く。

頭の中で理想としている書き方に、少しでも近づくようにするのだけど、

そもそも頭の中がダメダメなのかも知れない。

本当なら、頭じゃなくて、心(ハート)で書くのがいいのだけど、

この心こそ、汚れちまってるからなあ。

 

などと身悶えしながら、

なんとか1本書く。この土日であと2本書かないと。

というか実はもう1本あるのだけど、そろそろ限界。

今日はこれくらいにしといたるモードまで、あと少し。

 

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やさぐれバイチャンス

2014年06月27日 | 無意味な考察

よく「偶然だね」と、たまたま街のどこかで

知り合いに会ったりすると言うこの言葉、果たして「偶然」だろうか。

 

場所は有楽町。

すっかりキレイになったこの界隈。

打ち合わせのため待ち合わせたのが、

JRの改札口の近くにある吉野屋の前。

キレイになったとはいえ、まだこの吉野屋のあたりは、

そこはかとないやさぐれ感が漂っていて、有楽町で待ち合わせるなら

やはりここだろう。そう思って人を待つ。

やってきた人も自分に負けず劣らずやさぐれた人物なので、

有楽町駅前の吉野屋はうってつけの場所だった。

案の定、彼は一瞬でこの待ち合わせ場所がわかったらしく

良かった良かったと話していたら、向こうからやって来た人が

我々の共通の知り合いの人だった。驚愕である。

 

「偶然だね」とは行ったけど、果たしてそうだろうか。

有楽町のキレイな街並みに恐れをなして、

みんなついつい数少ないやさぐれた場所に足が向いてしまったのではないか。

だとしたら「偶然」ではない。「必然」である。

と、やさぐれtacoは熟考するのでした。

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その後の仁義なきあんこ

2013年12月07日 | 無意味な考察
仕事場に行くまでの通りには、
パチンコ屋やゲーセン、怪しげな立ち飲み屋、
ガールズバーなどがひしめいているのだけど、
例によってやさぐれながら歩いていたら、長蛇の列を発見。

よくよく見ると、たい焼き屋の前だった。
割とうまいたい焼きを食わせる店なのだけど、
1匹150円というそこそこの値段。
それが開店記念日で1匹90円のセール中とな。

90円は魅力だけど、並んでまで喰いたくないなと思い。
代わりに近くの自販機で100円の缶コーヒーを買う。
買った途端、これより10円安いんだなと
わずかな後悔をする自分は小市民の極み。

仕事場に着いて、資料本を読みながら原稿書き。
夜8時過ぎまでかかってようやく書き終える。
仕事場を出て駅に向かう途中で、また例のたい焼き屋の前を通る。
「あんこがなくなったので本日は終了しました」との張り紙が。

そういえば和食が無形文化財に選ばれたそうな。
たい焼きは和食に入るのだろうか、入らないだろうな。
そんなことを思いながら駅に急ぐ。今夜も寒い。


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シリア、アオモリ

2011年10月22日 | 無意味な考察
この土日、原稿書きはないけれど、
月曜日の取材のための準備と、
10月末と11月半ばに入稿になる本のデザインの確認やら
ページの構成案などであっという間に時間が過ぎる。

リビアのカダフィ大佐が殺害されたとのニュースが。
カダフィは独裁体制を築いていたけど、
ブッシュ大統領時代の高官からは
「北朝鮮が見習うべきモデル国家」と言われていたそうな。
石油の利権を当てにする欧米諸国にとっては、
都合のいい政治体制だったと、新聞で読む。
まさに混迷の北アフリカ、そしてアラブの諸国家。

そういえば、このあいだ取材した人で、
「シリアに行ったんですよ」と聞いて、
そんな遠いところに行かれたんですか、と言ったら、
どうやら日本にシリアという地名があるらしい。
青森県は下北半島の最東端にある「尻屋岬」だ。
正確な読みは「シリヤ」だけど。

アメリカはテキサス州に「パリ」という町があることを思い出した。
って、ヴェンダースの『パリ、テキサス』のことですが。
また見たくなった。できればスクリーンで。



別れた妻との仲睦まじい情景が8ミリフィルムで映し出されるシーン。
失われた幸せな時間と、カタカタと鳴る映写機の音。
そこに重なるライ・クーダーの音楽。
男はハリー・ディーン・スタントン。
そして妻は恐ろしいほど綺麗なナスターシャ・キンスキー。
ほんと、無性に見たくなってきた。




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小さなマーケットで踊らされ

2011年03月02日 | 無意味な考察
とあるイベントにて。
壇上のパネラーの一人が
「この会場の中で、『もしドラ』を読んだことのある人」
と聞くので、手を上げる。
百人ほどの客で手を上げたのは自分をふくめて5人ほど。
「じゃあ『KAGEROU』は?」という問いかけには、
ほんの3人ぐらいしか手を上げなかった(自分は読んでいない)。
本好きや出版関係者が集まるイベントで、この人数。

読書が趣味な人は『もしドラ』や『KAGEROU』なんかは読まない、
という意見が聞こえてきそうだが、
これがたとえば、どこかのショッピングモールなどで、
無作為に歩いている人に声をかけて同じ質問をしても、
似たような比率になるのではないだろうか。

どんなベストセラーであっても、それを読んでいる人には
なかなかお目にかかれないということなのかな。
あれだけ売れた村上春樹『1Q84』を読んでいるのは
自分の周りに2人ぐらいしかいないし、
そもそも本というメディアは、相当小さなマーケットなのだろう。

それでも電車に乗ると、ケータイやゲーム機に押されてはいるけれど
本を読んでいる人は、多い。
みんなどんな本を読んでいるのだろう、と思って、
まさに今日、帰りの電車で隣にすわった
50代ぐらいの男性の読んでいる文庫本をチラリとのぞいたら、
時代小説のような字面が目に入ってきた。
藤沢周平だろうか。それとも池波正太郎?
そういえば、ずいぶん長いこと時代小説って読んでないと気づいたりして。
なんだか無性に山本周五郎が読みたくなる。
その前に、明日の取材用に資料本を読まないと。横道は厳禁厳禁。


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ディープな人々

2011年02月19日 | 無意味な考察
NHKをたまたまつけたら、
「ディープピープル」という番組をやっていて、
戦場カメラマンの特集だった。
普段あまりテレビを見ないので、わからなかったのだけど、
渡部陽一さんという人、なるほどこの喋りはテレビ受けするな、と。
とにかく戦場カメラマンという仕事が
これだけ世間の注目を浴びたのは初めてかもしれない。
「金のために撮って何が悪い」と言う宮島茂樹さんと
「写真で大事なのは感情だ」と語る高橋邦典さんの話も興味深い。

司会もおらず(ナビゲーターはいるけど)、
ある特定のジャンルに秀でた人たちを
3人集めてフリートークさせる番組はなかなか新鮮。
公式サイトを見たら、
「競泳・背泳ぎ選手」「フォークボール」
「寿司職人」「予備校教師」といった切り口。面白い。
「柔道金メダリスト」という回もあったけど、
「銀メダリスト」を3人集めるとかだと、もっと楽しいかも。
あと「ピンク映画出身の映画監督」とか「手塚治虫のアシスタント経験のある漫画家」
といった感じでどんどんやってもらえるといいな、と妄想。




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負け惜しみの美学

2011年01月21日 | 無意味な考察
GDP、中国が日本を抜く。
アジアカップ、3ー2で日本代表がカタールをくだす。

国力が衰退すると、サッカーが強くなると言ったのは、
村上龍だったかな。誰だっけ。

中国は貧富の差が激しく、
本当の意味での経済的成長ではない、というのが
日本のメディアの論調。それはそうかもしれないけど。

ザッケローニ監督は、
日本はアジアの頂点に立たなければならない、と語ったそうだ。
経済ではなく、サッカーで。

負けたっていいではないか。
勝ち続けることは難しいし、
いい負け方、というのもあると思うので。

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こっちが鎌倉、あっちが大船

2011年01月11日 | 無意味な考察
小津安二郎監督について、もう少し書くと、
カメラアングルから小道具のひとつひとつにいたるまで、
ものすごくこだわった人だったという。
この話は、昨日、『彼岸花』の上映前に、
主演女優の有馬稲子さんのトークショーがあり、
そこで聞いた話。

さんざんこだわって見つけてきた小道具、
たとえば茶碗とか湯飲みを卓袱台のどの位置に置くかで、
それはそれは相当な時間がかかったようだ。

小津監督はカメラのファインダーを覗いて、
茶碗や湯飲みの位置を助監督に移動させるのだけど、
「その茶碗、もうちょっと鎌倉。そっちの湯飲みは大船」
という演出をしたらしい。舞台の上下(かみしも)の意味らしく、
鎌倉と大船のどちらが「上」で「下」なのかは、謎だったというが、
そのネーミングがなんともお洒落だな、と。

「鎌倉」と「大船」だけではなく、
「上野」と「浅草」とか、
「新宿」と「渋谷」とか、
「四ッ谷」と「お茶の水」とかで言い換えると面白いかも、
と思った真冬のtacoでした。


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受け身は不健康

2009年10月26日 | 無意味な考察
鳩山首相が所信表明とな。
その中で、とある住職の言葉を引用していた。
いわく、

人間の究極の幸せは4つです。
愛されること。
褒められること。
役に立つこと。
必要とされること。

と。なるほど。最近よく聞くフレーズだ。
もっともだと思う。反論する余地もない。
でも、自分に当てはめて考えると、
あまりこの4つを求めていないというか。
それよりは、

愛すること。
褒めること。
(人を)役に立つようにする(育てる)こと。
(人を)必要とすること。

この4つを大事にしなきゃ、と思う。
与えられる方ではなく、与える方に回らないといけない気がする。
そりゃ褒められたり必要とされたら嬉しいし、
自分が人の役に立っていると思うと気持ちがいい。
あと、愛されるとかなり楽。
愛する側はその何倍ものエネルギーが必要だし。

ただ、なぜ自分のことを誰も愛してくれないんだろう、と嘆くよりも、
誰かを愛して、それに突き進むほうが健康的だと思う。
その愛が成就するかどうかは別として。



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