うわっ。
相変わらずやさぐれてますね。
明日から元号が変わるっていうのに、
どうしてそんなに不機嫌なんですか。
みんなお祭りモードで浮かれてるじゃないですか。
せっかくなんだから、みんなで一緒に盛り上がりましょうよ。
ほら、おめでたいんだから。ねっ。
うーん。よっぽど何か恨み辛みのようなものがあるみたいですね。
その気持ちはわからなくもないですけど。
うわっ。
相変わらずやさぐれてますね。
明日から元号が変わるっていうのに、
どうしてそんなに不機嫌なんですか。
みんなお祭りモードで浮かれてるじゃないですか。
せっかくなんだから、みんなで一緒に盛り上がりましょうよ。
ほら、おめでたいんだから。ねっ。
うーん。よっぽど何か恨み辛みのようなものがあるみたいですね。
その気持ちはわからなくもないですけど。
本秀康「あげものブルース」(亜紀書房)を読む。
からあげ。とんかつ。てんぷら。そしてかりんとう。
あげものを狂言回しに、
ビートルズの「ホワイトアルバム」をからめた
3人の男たちの30年にわたる年代記。
と、内容を書いたけど、
読んでいない人には「なんのこっちゃ」と思うはず。
なんであげものとビートルズがつながって、
それが年代記になるんじゃ、なめとんのか、あん?
という疑問が浮かぶのはごもっとも。
これは実際に読んでもらった方が早いと思う。
どうにも説明が難しくて、とにかく
あげものとビートルズと3人の男たちが
絶妙にからみあい、感動すら覚えるという。
しかも藤子・F・不二雄的な
「SF(すこし不思議)」な感覚もあったりする。
ビートルズがインドのリシケシュに滞在し、
そこでの経験が「ホワイトアルバム」に結実したように、
本さんもリシケシュを訪れ、ビートルズを偲び、
本作を描き上げたとのこと。
「ガロ」時代から本さんの
少しブラックなSF漫画に親しんできた人や、
「レコスケくん」のビートルズ愛に共感してきた人には
ある意味集大成的な作品だと思うし、
かなりの完成度なのでは、と。
原稿とか本の構成案づくりとか校正とか、
この10連休はどっさりと宿題があるのです。
なので、いつもと同じく仕事場に入り、
淡々と仕事を進める。順調なものとそうでないものが
あるのだけど、まあそれは、それ。
帰りの電車で
窪美澄「よるのふくらみ」(新潮文庫)を読む。
人に薦められて読み始めたのだけど、
商店街の幼馴染みとして育った男女3人の、
なんとも痛い恋愛小説というか。
しんどいけどページをめくる指が止まらない。
著者は「ふがいない僕は空を見た」を書いた人。
そういえばタナダユキ監督が映画にしていたっけ。
未見だけど、しんどい映画のような。
でもたまらなく見たくなってきた。どMなもので。
みなさん明日からお休みなので、
バタバタしているなあと。いろいろ確認の電話とかメールとか、
すべては連休が終わってから、元号が変わってからという。
終末感、リセット感がひしひしと伝わってくる。
じめじめ。べとべと。
もう梅雨なの? と思うぐらい
湿気が多くて、蒸し暑い日というか。
ただでさえ体力がないのに、気力まで吸い取られそうだ。
そうこうしているうちに10連休までもうすぐ。
その間でやらなければならない宿題(仕事じゃ)がどっさり。
さらに連休明けに取材の予定が何件も入ってきて、
どんどんカレンダーが黒くなっていく。黒いというか、どす黒い。
午後から国立で取材。
駅から徒歩で15分ぐらいのところということで、
とりあえず目的地までてくてくと。
なぜこんな坂道が。道に迷ったのかな。
それとも越えなければいけない何かがあるというのだろうか。
ただでさえ人生は険しいのに、何という仕打ち。
ジガ・ヴェルトフ集団「イタリアにおける闘争」を見る。
徹底的なアジテーションが飛び交う、
ストレートな政治映画かと思いきや、
革命と労働、そしてセックスとの関係を考察しながら、
ときには悩み、逡巡する。
70年あたりのイタリアの政権批判と
革命思想らしき言葉が繰り返され、なんとか思いを観客に伝えようとする。
だけど、編集はぶつ切れでときおり暗転したりして、
いきなり映画を途中で終わらせてしまうんじゃないかと
思うぐらいの優柔不断ぶり。
難解だけれど、たいへん誠実な映画だと思ったりもする。
観客に向かって、革命思想を読み上げるのが
アンヌ・ヴィゼアムスキー。ずいぶんやさぐれちゃってます。
そのあたりが、同じくやさぐれたシネフィルの心にフィットする。
ジガ・ヴェルトフ集団とは、60年代後半から70年代前半にかけて
ゴダールが商業映画から逸脱してつくった政治映画製作グループのこと。
60年代後半、「ウイークエンド」とか「中国女」
「ワンプラスワン」といった、デタラメだけど誠実で
すこぶる面白い政治映画をつくっていたゴダールが
さらに先鋭化して量産したうちの1本が本作。なんとも素晴らしい。
午後から吉祥寺でライターさんと打ち合わせ。
6月に出る雑誌の記事でいろいろと話す。
それなりに焦点が定まってきた感になったので、
もう少し練って進めていきましょうという流れに。
夏までに作る本の、デザインとイラストの案が上がってくる。
両方ともいい感じなので、この流れで行きたいところ。
流れが大事だと思う。でも分断されるのです、10連休で。
連休直前と直後のATMは死ぬほど混むんだろうな。
銀行も官庁も学校も休み。
元号が変わり、新天皇が即位して
お祭り気分の10日間になるんだろうか。
こちとら仕事だし、おまけに貧乏なので
浮かれることなく淡々と過ごしたいところ。
書店と映画館、中古レコ屋、銭湯、あと寄席。
このあたりに行けたら、たいへん充実したGWになること確実。
麦のアレとか米のソレで浮かれる日もあるかもしれないけど、
そこは大目に見てくださいな。
田中絹代監督「乳房よ永遠なれ」を見る。
乳がんに冒された実在の女流歌人がモデル。
いわゆる難病モノだけれど、
女としての生と性が生々しく、
かつ艶めかしく映し出されていることに、
そして、これが64年前に撮られた映画であることに、
ただひたすら驚き、見入ってしまう。
貞淑な妻であり、優しい母であったふみ子(月丘夢路)が、
夫との不仲のため離婚。シングルマザーとなった矢先に乳がんが発覚し、
手術で乳房を切除、女としてのアイデンティティを失いつつも、
彼女を慕う新聞記者の大月(葉山良二)とつかの間の愛を交わす。
死期が近づけば近づくほど、女としての喜びを得ようとするふみ子。
演じる月丘夢路の艶めかしさといったら、ない。
監督の田中絹代は言わずと知れた
日本を代表する大女優だけど、
こんな緊迫した官能的な映画が撮れるなんて。
50年代の日本映画はまさに全盛期で、
スタッフキャストに恵まれていたとはいえ、
映画監督としても並々ならぬ力量があることを再認識。
絹代監督は「恋文」「月は上りぬ」といったほのぼのとして
温かみのあるライトコメディもたいへん素晴らしかったけど、
本作の凄みにひたすら圧倒される。
監督した映画は全6本。
他のもきっと面白いんですよね、シネフィルの皆さん?
前に進めないぐらいしンどい時に
自分を支えてくれるのは、「当たり前」なンだよね。
当たり前に飯を食べる、当たり前に寝る、
当たり前に笑う。それができないからしンどいンだよ。
じゃなくて、当たり前をどうにか続けることで
しンどさが過ぎるのを待つ。「当たり前」は何よりも強いよ。
たった1つの悩みに、
たった1人の嫌いな人に、
たった1つの失敗に、
人生を台無しにされるのは勿体ないと思いませンか?
1000のちのたった1つや2つが、
残りの999や998に影響されるのはすごく勿体ない。
小池一夫先生のツイートより。
示唆に富み、優しさにあふれたこれらの言葉は
SNSの時代、多くの人の心に届いたと思います。
「青春の尻尾」とかをドキドキしながら読んでいた
中学生の頃を思い出したりします。
池上遼一先生との「クライングフリーマン」「傷負い人」も
素晴らしかったなあと。永井豪先生との「花平バズーカ」
川崎のぼる先生との「ムサシ」「長男の時代」も思い出されます。
そのうち読み直したいです。先生の作品は永遠なンです。