クリント・イーストウッド監督「リチャード・ジュエル」を見る。
毎回同じことを書くけれど、
イーストウッドはいったい何本傑作を撮れば気が済むのだろう。
アトランタ五輪で起きた爆破事件で
犯人に仕立て上げられた男をめぐる実録もの。
淡々と映画が進むなか、正義を静かに謳い上げていく展開に、
アメリカ映画的な清々しさを感じつつ、堪能する。
主人公のリチャード・ジュエルを演じたのは
ポール・ウォルター・ハウザー。
基本的に善人だし、頭が切れるし、国に奉仕する気持ちも強い。
でもどこか鈍重で、お人好しで、世渡りが下手なプアホワイトを
体現しているような丸っこい体型の男が、
不安と焦り、そして怒りに苛まれていく。
善良な男がネガティブな感情で顔を紅潮させていくのを
悲痛な思いで見続けるしかない。
アトランタ五輪のときに起きた事件ではあるけれど、
東京オリパラを控えている日本も、全く人ごとではない。
いつ誰が思いがけない理由で主人公のようになるかわからないわけで、
そういう意味では、じわじわとFBIとメディアの圧力で
テロの首謀者に仕立て上げられていく展開は
とても現代的だし、リアルな恐怖感がある。
そんな主人公をぶっきらぼうながらも、的確に支援していく
弁護士のワトソンがとても頼もしい。サム・ロックウェル好演だなあ。
こういう口が悪くてやさぐれたヒーローが出てくると、途端に安心できるのが
アメリカ映画のいいところなのかもしれない。
ここからは蛇足。
主人公をひたすら信じる心優しき母親は、
キャシー・ベイツが演じているだけに
とっても安定感があるし、
弁護士をさりげなくサポートする女性事務員こそ、
アメリカ映画の良心を体現してるなあ、とか。
FBI捜査官に枕営業して、ジュエル犯人説の特ダネをぶちまける
ビッチな新聞記者が、のちにいきなり改心するところが、
かつての恋人の故サンドラ・ロックを彷彿とさせたりとか。
イーストウッドの女性観がダダ漏れというか、
好きな女性のタイプを3つに分けて、それぞれ女優さんを振り分けたかのような演出。
へっへっへ。こういうタイプの女性が好きなんですよね、御大、
とゲスな呟きをするのは、シネフィルの戯言です。