クリスティナ・ゴダ監督『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』を見る。
1956年に起こった「ハンガリー動乱」を描く。
共産主義国家からの弾圧に戦いを挑む若者たちの人間模様を、
骨太のタッチで描き切った大作であり、
センチメンタルな邦題に惹かれて見ると、
度肝を抜かれること間違いなし。
これは「戦い」の物語である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c6/ad74fed03fe91b272ad08e7ef80d1282.jpg)
Szbadsag, szerelem(2006)
オリンピックの水球選手であるカルチは、
民主運動に身を捧げている女子学生ヴィキに一目惚れ。
そのヴィキを守りたいという一心で、
ブダペストで起こった民衆の蜂起に参加することになる。
史実によれば、蜂起はソ連軍により弾圧され、
数千人の市民が犠牲になったという。
銃撃戦で仲間が次々に死んでいく中、
それでも戦いをやめないヴィキの凛々しさ。
そして、彼女の身を案じながらも、オリンピックに出場。
戦いに参加できないカルチの忸怩たる思い。
立場の違うふたりを主人公にしたのは、
当時のブダペスト市民の心中を表しているのだろう。
自由を求めて戦う人々がいる反面、
さまざまな事情で戦うことができず、
保守的にならざるを得ない人々もいたはずだ。
戦って死ぬのは美しい。
しかもそれが「自由」のためであればなおさらだ。
しかし、家族など、守る者を抱えた人はどうなのか。
戦いたくても戦えない、
そういう人たちを安易に非難することもできない。
きっと当時の動乱を覚えている人なら、
主人公たちのどちらにもシンパシーを覚えるはずである。
戦って死ぬか。
それとも戦わないで逃げて生き延びるか。
僕はどちらも支持できないし、否定も無理だ。
これがアメリカ映画なら、
戦って、生きろ。というメッセージ性を帯びるだろうが、
そんなスーパーマンなど出てこない
ハンガリーのこの映画は、複雑な思いを見る者に与える。
1956年に起こった「ハンガリー動乱」を描く。
共産主義国家からの弾圧に戦いを挑む若者たちの人間模様を、
骨太のタッチで描き切った大作であり、
センチメンタルな邦題に惹かれて見ると、
度肝を抜かれること間違いなし。
これは「戦い」の物語である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c6/ad74fed03fe91b272ad08e7ef80d1282.jpg)
Szbadsag, szerelem(2006)
オリンピックの水球選手であるカルチは、
民主運動に身を捧げている女子学生ヴィキに一目惚れ。
そのヴィキを守りたいという一心で、
ブダペストで起こった民衆の蜂起に参加することになる。
史実によれば、蜂起はソ連軍により弾圧され、
数千人の市民が犠牲になったという。
銃撃戦で仲間が次々に死んでいく中、
それでも戦いをやめないヴィキの凛々しさ。
そして、彼女の身を案じながらも、オリンピックに出場。
戦いに参加できないカルチの忸怩たる思い。
立場の違うふたりを主人公にしたのは、
当時のブダペスト市民の心中を表しているのだろう。
自由を求めて戦う人々がいる反面、
さまざまな事情で戦うことができず、
保守的にならざるを得ない人々もいたはずだ。
戦って死ぬのは美しい。
しかもそれが「自由」のためであればなおさらだ。
しかし、家族など、守る者を抱えた人はどうなのか。
戦いたくても戦えない、
そういう人たちを安易に非難することもできない。
きっと当時の動乱を覚えている人なら、
主人公たちのどちらにもシンパシーを覚えるはずである。
戦って死ぬか。
それとも戦わないで逃げて生き延びるか。
僕はどちらも支持できないし、否定も無理だ。
これがアメリカ映画なら、
戦って、生きろ。というメッセージ性を帯びるだろうが、
そんなスーパーマンなど出てこない
ハンガリーのこの映画は、複雑な思いを見る者に与える。