Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

残念な研ぎ澄まし

2013年01月31日 | 日々、徒然に
最近、資料で読んだ本に書いてあったのだけど、
人と話をするときは、なるべく固有名詞を使うように、と。

たとえば誰かとランチをするとき、
何食べたい? と聞かれたら
「パスタがいいなあ」と言うのはNGだと。

パスタという一般的な名詞ではなく、
カルボナーラとか、ボンゴレ、
あるいはボロネーゼといった、具体的な名詞を使うことで、
会話が研ぎ澄まされ、深みが出るという。

自分なら「ナポリタン」と言うかな。
そうしたら相手はきっと、

「昭和ですねえ」
「最近、チェーン店ができましたねー」
「神保町のRって店のナポリタンが超大盛りで」
「名古屋のナポリタンは、溶き卵をしいた鉄板で出てくるんだよ」
「カップ焼きそばでも似たのがありますよ~うひょひょ」

といった返答をすることが期待されるわけで。
これって豊かなことなのだろう、おそらく。

でもパスタの話題で、
相手が「ボロネーゼ」と言ったら、
なんと返したらいいのだろうか。
「実は体がボロネーゼで」という返ししか思いつかない。
あるいは「なんじゃそりゃあ。
ワシはナポリタンとミートソースしか知らんのじゃ、このくされ外道が」とか。

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Bring me the head of yours

2013年01月30日 | 日々、徒然に
ウォーレン・オーツのことをもう少し。

たまに「好きな映画は?」と聞かれることがあると、
たいてい『セーラー服と機関銃』か
『時をかける少女』と答えるのだけど、
やさぐれた酒場で、酩酊状態で聞かれたら、
ウォーレン・オーツが主演した『ガルシアの首』だと即答する。



彼が演じたのは、メキシコのある街でうごめく、
しがないピアノ弾きのベニー。とある大地主が
自分の娘をはらませたガルシアという男を
生死を問わず突き出せば百万ドル出すと。
それを聞いたベニーは情婦のエリータと共に、
ガルシアを探しにいくが、すでに死んでいたことが判明。
ベニーはガルシアが埋葬されている墓を掘り、その首を斬り取るのだが、
ガルシアの首を狙っている連中が何人も現れて??というストーリー。

なんとか一発当てよう。これで人生逆転だと懸命になればなるほど、
血みどろの銃撃戦に陥ってしまうベニー。
それでもガルシアの首を持ち、最後は自分の意地のために
巨悪に立ち向かっていくのだが…その負け犬ぶりのカッコ良さは、
日々の生活に疲弊しているやさぐれた観客(自分だ)の胸を打つ。

監督はサム・ペキンパー。
映画として大傑作とは言えないかもしれないが、
こっそりと大事にしたい映画の一本というか。
ウォーレン・オーツにとってもまさに代表作で、
永遠に残る映画だと信じている。



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意志の強さと諧謔

2013年01月30日 | 映画など
モンテ・ヘルマン監督『コックファイター』を見る。
カルト中のカルト監督と言われ、
寡作ぶりが時として話題となる同監督の74年作。
テーマは「闘鶏」。プロデューサーのロジャー・コーマンは、
今まで誰も映画にしなかったこの題材なら
絶対当たると踏んで制作したのだが、大コケ。
いわく「誰も闘鶏の映画など見たくなかったのだ」と。
そんなこんなで日本でも未公開。ビデオだけのリリースだったのが、
40年近く経って、ようやく初公開の運びに。



闘鶏という競技があることは知っていたが、
かなり激しいものだということが映画を見るとわかる。
鋭いナイフを脚にくくりつけ、
どちらかの鶏が戦闘不能(死ぬことも)になるまで戦う。
なんともストイックで無骨な競技だ。

無骨といえば主役の闘鶏士・フランク(ウォーレン・オーツ)もそう。
勝つためには手段を選ばない、
とことんエゴイスティックな男である。
優勝して大金を手にしたいのもあるだろうが、
とにかく勝つことがこの男のアイデンティティーである。
たとえ恋人を失っても、
あくまで無表情に血みどろで戦う鶏の姿を追い続ける。

さすがに感情移入しにくいキャラクターであり、
その意志の強さの反面、
誰にもその内面を吐露できない不器用さが際立つ。

ウォーレン・オーツは、本作の前年に出たのが
『デリンジャー』と『地獄の逃避行』。
本作と同じ年に『ガルシアの首』で、翌年が『悪魔の追跡』という、
まさにキャリアの全盛期で撮られたのが本作。
美男でもなく、ヒーローでもなく、
まさに性格俳優と言うに相応しいこの俳優が
ベトナム戦争前後のやさぐれた雰囲気が漂うアメリカ映画で、
ほんの数年間だけ輝いた、ということを覚えておきたい。

53歳という若くして死んだこの俳優を
こよなく愛するシネフィルは、多い(自分も)。

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プロフェッショナル列伝

2013年01月28日 | 日々、徒然に
午後からとあるテレビ番組の
収録風景を見学。夕方に終了するが、
今日が最終回の収録ということで、
打ち上げに参加させていただく。

番組のスタッフやキャストの人たちの
苦労話などに耳を傾けつつ、
おお、さすがプロフェッショナルの集まりだな、
と思いつつ麦のアレをいただく。

終了したのが夜の10時過ぎ。
もう1日が終わってしまったというか。



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世界に出て現場を知れ

2013年01月27日 | 日々、徒然に
最近の新聞記事(朝日)を
スクラップしていたら、
今月の6日付けの朝刊で、
日揮社長の川名氏のインタビュー記事を発見。
当然のことながら、アルジェリアの人質事件が起こる前のことで、
「危機を越えて」と題されたインタビュー記事である。

ここで言う「危機」とは日本を襲う「経済危機」のことであり、
川名社長は、世界有数のエンジニアリング会社の代表として、
日本経済にあらたな道を提案するスタンスでインタビューに答えている。

多国籍な現場を統括する際に大切なことは、という質問に
「多様性を理解すること。自分たちの思いだけでは物事は進まない」だと話す川名社長。

そして、最近は海外に出たがらない若者が増えているという風潮に、
「私は常々、若いうちに現場、中堅には修羅場を経験させろと行っている」

言っていることは正しいと思う。
だけど、まさかあんな事件が起こるとは。
痛ましすぎるというか。
多様性を認めたくなかったのは、犯行勢力の方なのだろう。やはり。
修羅場というにはあまりに酷すぎる結末に、言葉が出ない。
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限りなく私的な

2013年01月26日 | 読んでいろいろ思うところが
「藝人春秋」の続き。

芸人たちの肉声を活写することにかけては、
おそらく水道橋博士の右に出る者はいない。
そう思わせるぐらい、博士が書く異能の芸能人たちの言葉ひとつひとつに
力がみなぎっており、こういうのを言霊というのだろう。

たとえば、石倉三郎

俺も昔レオナルドの頃は、熊と一緒に全国のストリップ小屋を回ってたんだよ。フィリピンや中南米の女と一緒でね。それ見たら「俺も落ちるところまで落ちたなぁ」って思ったんだけどね、でも、そう思った瞬間、「俺はお笑いのプロになったな」って確信できたの。やっと芸人って仕事に、腰掛けじゃなく泥までつかったなぁって思えたんだよ、これ分かるだろ?

たとえば、テリー伊藤

オマエらさあ、お笑いの企画書書くのにハナっから正座してよお、スズリに墨汁入れて和紙に筆で書いてるでしょぉお! そんなんじゃさぁ企画も和風になんだよぉおお! わかるぅ? だからさぁもっと、でっかいオープンのアメ車にブロンドの女を乗せながらさぁ、カーステでよぉロックとかカントリ―とかガンガンかけながら、テンガロンハットかぶってバーッと思いつくようなさぁダボラ吹いているような突拍子もねぇアイデアねえのかよぉおおお?

長々と引用したけれど、本を見て
こうしてタイピングするだけで、かなりの労力だ。
ましてや、語った人の言葉があるとはいえ、
ゼロからこうした力のある言葉を書く博士のテンションの高さというか、
力の入れ方は尋常じゃない。だからこそ読んでいると、
石倉三郎の、テリー伊藤の生の声が
脳幹にまで届いてくる。
この本は、そんな力のある言葉が連なっていくのだ。

だからといって読むのに疲れるというわけではなく、
さすが芸人だけに、話の節目節目にオチをつけて
笑わせるテクニックも天下一品。
そう思うと、ほんと書く方(博士)は大変だろうな、と。



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絶望の果てと再生

2013年01月24日 | 読んでいろいろ思うところが
水道橋博士「藝人春秋」(文藝春秋)を読む。
「お笑い 男の星座」「本業」
「筋肉バカの壁」「博士の異常な健康」など、
モノ書きとして抜群の腕を見せる博士の新刊。


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沈む信者

2013年01月23日 | 日々、徒然に
朝からずっと原稿書き。
あと、本に掲載する写真や図版の権利元に連絡して、
その許諾をもらう業務に追われる。

そんなやりとりが50件近くあり、
ここまで許諾業務の多い本は初めてのような気が。

ついこの間まで
1966カルテットの神様候補(花井悠希さん)と、
『東京家族』の神様(蒼井優)の姿を拝見し、
心が洗われていたのに、なんともまあ。


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号泣あめあられ

2013年01月22日 | 映画など
山田洋次監督『東京家族』を見る。
小津の『東京物語』をリメイクした同監督の最新作。
おそらく世界中のシネフィルが、
オリジナルとの共通点や違いなどを
微に入り細にわたって分析しているに違いない。
そんな野暮なことを考えなくても、ただ見て、
そして泣ける映画だということ。それだけで良いのでは。



山田監督作品だけに、
登場人物は基本的に心優しい人ばかりである。
東京にやってきた年老いた両親を邪険に扱う
長男や長女にしても、ベースは親思いで、情にあふれた人たちだ。
そういう意味で観客を裏切らないし、安心して見て、
笑い、そして泣ける場面もいくつか。
小津のオリジナルにあった、無常さとか
ひりひりするような厳しさは、ほとんどない。
あ、つい比較してしまった。野暮だなあ。

とシネフィルらしく書いていますが、
神様(蒼井優)が出ているから見たんです。はい。
逃げも隠れもいたしません。

現代風のよくできた娘さんを
等身大に演じた神様(蒼井優)は、
原節子が演じた紀子という重荷のある役柄だけど、
比較したくてたまらない
シネフィル(自分だ)の邪悪な思いを
軽やかに乗り越える好演だと思うわけです、信者としては。




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愛しの眼差し

2013年01月21日 | 日々、徒然に
人生は過酷、である。
生きるということは苦行の連続だ。
それでもなんとか生きて行こうと思うのは、
ほんのたまに、心やすらぐ瞬間があるから、だ。



愛しの「パイラ星人」のガシャポンを貰う。
1956年に公開された特撮映画『宇宙人東京に現わる』に登場する、
人類を救うためにやってきた友好的な宇宙人である。
岡本太郎のデザインによるもので、
ヒトデ型のフォルムと、
つぶらな一つ目がキュートすぎる。
このフィギュアは、中の人がいる様子まで
忠実に再現されており、お見事。

ずっと見ていても飽きないというか。安らぐ。
岡本太郎は天才だと思う、やっぱり。
奇天烈でユーモラスで、生命力のあるところが、また。





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