アンドレイ・タルコフスキー監督
「アンドレイ・ルブリョフ」を見る。
じつは初見。今の今まで、
「アンドレイ・ルビルヒョ」って発音してました。
呂律のまわらないアホなシネフィルですいません。
タルコフスキーの映画というと、
詩的で難解な語り口と、
幾重にも重なる物語構成、時間軸の飛躍。
観客に知識と教養と想像力を求める作風である。
要するに、じっとガマンしながら見とかんかい。
そのうち気持ち良くしてやるけんのお。
と、どMなシネフィルが泣いて喜ぶ映画ばかり
撮っていた人のような気がするわけで。
んもお。タルちゃんたらあ。
本作はルブリョフという
15世紀のロシアで活躍した宗教画家の評伝。
ただ、この主人公はモノクロの映像のなかに
思い切り埋没しているというか。
ロシア正教会の世俗的な権力争いや、
異教徒たちの反乱と鎮圧、虐殺など、
ロシアの暗部ともいえる歴史絵巻のなかで、
ただうごめくばかりの主人公の姿が描かれていく。
芸術家が歴史に翻弄される悲劇とかなんとか、
そんな単純な言葉では表せないような
過剰な3時間25分である。
第1部と2部に分かれていて、
2部の冒頭、ロシアの大公がタタール人と結託して、
ウラジーミルの民衆を殺戮する場面は凄惨きわまる。
これまで映画は、さまざまなジェノサイドを描いてきたけれど、
タルちゃんの演出は、人が人を殺めることのおぞましさを
単なる見世物に変えるほどの威力を見せつける。
というか、まんま黒澤映画だなあ、
と思うのはシネフィルの悪癖かもしれぬ。
ともあれ、このシークエンスで、ルブリョフは殺人を犯し、
以降、その罪に苛まれ、自ら筆を断つことになる。
このあたりからようやく「罪」と「苦悩」というテーマが
うっすらと浮かび上がってくる。
そうか。タルちゃんって、
ごくごく個人的な苦悩を、ものすごい想像力と制作費をかけて
独特の世界観のなかで描き続けてきた人なんだな、と。
たしかに「惑星ソラリス」も「鏡」も
「サクリファイス」も、壮大な仕掛けはありつつ、
語ろうとしていたことは、
浮気した、人を殺した、だれかを裏切った、
などなど、じつはごくごく単純な人間の業みたいなものを
描く監督だったのでは。というのが本作を見た後の見立て。
追記
日本で人類学の研究をしている
ルーマニア人イリナ・グリゴレの
「優しい地獄」(亜紀書房)を読んでいたら、
タルちゃんの「ノスタルジア」についての記述があった。
以下、引用。
タルコフスキー監督自身、映像は祈りだといいながら映画を作っていた。彼は思想家なのだ。「ノスタルジア」のメッセージは明らかだ。人類を救うには種(たね)のように小さくても信念が必要だ。
なるほど。祈りか、と。