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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

恋の季節はやぶれても

2025年08月18日 | 映画など
羽仁進監督「恋の大冒険」を見る。
1970年作。朝ドラ「あんぱん」で
やなせたかしが、永六輔やいずみたくと絡む
エピソードが描かれたり
レココレが60年代歌謡曲を特集したりしているなか、
本作は、まさにドンピシャ(死語か?)というか。
羽仁進監督を特集上映している渋谷シネマヴェーラは
お客さんでいっぱいだったという。

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逃げるが勝ちの人生

2025年08月14日 | 映画など
高橋伴明監督「「桐島です」」を見る。
タイトルの表記としては
カギ括弧(「 」)付きが正しいようで。
それはともかく、さすが伴明監督。
またしても傑作を世に送り出してくれたというか。
青春映画としても忘れがたい一作となっている。

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舌っ足らずのあいつ

2025年08月03日 | 映画など
アンドレイ・タルコフスキー監督
「アンドレイ・ルブリョフ」を見る。
じつは初見。今の今まで、
「アンドレイ・ルビルヒョ」って発音してました。
呂律のまわらないアホなシネフィルですいません。


タルコフスキーの映画というと、
詩的で難解な語り口と、
幾重にも重なる物語構成、時間軸の飛躍。
観客に知識と教養と想像力を求める作風である。
要するに、じっとガマンしながら見とかんかい。
そのうち気持ち良くしてやるけんのお。
と、どMなシネフィルが泣いて喜ぶ映画ばかり
撮っていた人のような気がするわけで。
んもお。タルちゃんたらあ。

本作はルブリョフという
15世紀のロシアで活躍した宗教画家の評伝。
ただ、この主人公はモノクロの映像のなかに
思い切り埋没しているというか。
ロシア正教会の世俗的な権力争いや、
異教徒たちの反乱と鎮圧、虐殺など、
ロシアの暗部ともいえる歴史絵巻のなかで、
ただうごめくばかりの主人公の姿が描かれていく。
芸術家が歴史に翻弄される悲劇とかなんとか、
そんな単純な言葉では表せないような
過剰な3時間25分である。

第1部と2部に分かれていて、
2部の冒頭、ロシアの大公がタタール人と結託して、
ウラジーミルの民衆を殺戮する場面は凄惨きわまる。
これまで映画は、さまざまなジェノサイドを描いてきたけれど、
タルちゃんの演出は、人が人を殺めることのおぞましさを
単なる見世物に変えるほどの威力を見せつける。
というか、まんま黒澤映画だなあ、
と思うのはシネフィルの悪癖かもしれぬ。

ともあれ、このシークエンスで、ルブリョフは殺人を犯し、
以降、その罪に苛まれ、自ら筆を断つことになる。
このあたりからようやく「罪」と「苦悩」というテーマが
うっすらと浮かび上がってくる。

そうか。タルちゃんって、
ごくごく個人的な苦悩を、ものすごい想像力と制作費をかけて
独特の世界観のなかで描き続けてきた人なんだな、と。
たしかに「惑星ソラリス」も「鏡」も
「サクリファイス」も、壮大な仕掛けはありつつ、
語ろうとしていたことは、
浮気した、人を殺した、だれかを裏切った、
などなど、じつはごくごく単純な人間の業みたいなものを
描く監督だったのでは。というのが本作を見た後の見立て。

追記
日本で人類学の研究をしている
ルーマニア人イリナ・グリゴレの
「優しい地獄」(亜紀書房)を読んでいたら、
タルちゃんの「ノスタルジア」についての記述があった。
以下、引用。

タルコフスキー監督自身、映像は祈りだといいながら映画を作っていた。彼は思想家なのだ。「ノスタルジア」のメッセージは明らかだ。人類を救うには種(たね)のように小さくても信念が必要だ。

なるほど。祈りか、と。

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渇きと坂道

2025年07月24日 | 映画など
玉田真也監督「夏の砂の上」を見る。
とても古風かつ濃厚で、こういう
やるせなきおな日本映画って
昔はたくさんあったなあと思ったりして。


夏の長崎が舞台。
坂道の途中にある一軒家に住む
失業中の治(オダギリジョー)が、
妹(満島ひかり)の娘、優子(高石あかり)を預かることに。

治は失業に加え、幼い息子を亡くしたうえに
妻(松たか子)との別居もあり、
かなりの鬱屈を抱えている。姪の優子は
いかにも男運の悪そうな母に翻弄され続けた
影響もあるのか、感情をシャットアウトし続けている。

さらに、雨が降らず水不足となり、
給水車に並ぶ主人公たちの姿が映し出される。
物理的な水がないのと同時に、
登場人物たちの内面にも潤いがない。
なんだかカラカラな人物ばかりが蠢いている映画というか。

心身ともに水分の足らない治と優子が、
どうにもならない状況のなか、なんとかお互いの心に
文字通り水を満たしていく終盤は、見ている観客にも
少しの希望というか潤いをもたらしてくれる。

俳優陣はとにかく豪華。
オダジョーと松たか子、とくに満島ひかりを
癖のある脇役で使うところに、この映画の非凡さを見る。
今度の朝ドラのヒロインになる高石あかりにも
存在感があって、これからはあたいの時代なんだからねっ、
と言っているような気がする(言ってません)。

監督の玉田真也はこれまであまり
意識していなかったんだけど、
「僕の好きな女の子」「そばかす」と
いい映画を撮っていることにあらためて気がつく。
令和のいま、成瀬巳喜男の映画みたいな
新作が見られるとは思わなかったこともありお勧めです。

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ぼくの自転車にうしろに乗りなよ

2025年07月14日 | 映画など
青柳拓監督「選挙と鬱」を見る。
2022年の参院選に出馬した水道橋博士が
みごと当選を果たすも、その後うつを発症、
辞職を余儀なくされたその後までを追ったドキュメンタリー。
まさに頂点から転げ落ちる
ライクアローリングストーンな生きざまが晒され、
ディランならずとも、どんな気分だ?
と、自問自答したくなる映画であり、
ラストではまたしても落涙してしまったという。


冒頭、青柳監督が自転車に乗って現れる。
監督は、奨学金などの借金苦と、
コロナ禍で仕事を失ったことから、
ウーバーイーツの配達員として働いている。
その状況を悲喜こもごものセルフドキュメンタリーとして描いた
「東京自転車節」と本作は地続きであることが示される。

岡山出身の水道橋博士は、
自身の活動をゲームの「桃太郎電鉄」になぞらえて、
桃太郎のコスプレをして
鬼(この場合は与党、あるいはもっと巨悪なもの)を退治すべく
東京や大阪、名古屋、岡山などをめぐる
選挙活動を開始する。映画はそこにファミコンチックな
ピコピコな音楽を流し、博士がまるで
軽快にアドベンチャーゲームをしているかのような感じを演出する。

意外なほど手作業で手弁当な
選挙活動の裏側が映し出されるのが興味深い。
演説ですれ違う各党の偉い人たちの立ち振る舞いも
なかなかのキャラ立ちで、政治家っていい意味でも
悪い意味でも存在感のある人たちなんだなあと思ったり。
博士の応援で活動に帯同する三又又三が、
それって応援演説なの? カラオケで歌ってるだけじゃないの?
という突っ込まれるところも可笑しい。

博士はみごと当選を果たし、
軽快なアドベンチャーゲームは大団円だと思いきや、
うつを発症し、議員辞職を余儀なくされてしまう。
それまでずっと博士を支えていた人たちの
彼を思いやる言葉のひとつひとつがなんとも切ない。

そして、1年余り経ってうつから再起し、
博士が始めた活動がウーバーイーツの配達員。
ここで冒頭の監督の自転車の場面と繫がる。
客から「20分も遅れやがって」と叱責される博士。
2時間ほどの映画のなかで、
国会議員から配達員になった姿をよく見せられるものだと思う。
そんな博士に向かって、監督が放つ言葉が泣けて泣けて。

人生で挫折を味わった(もちろん自分も)
すべての人に捧げたくなる映画であり、
政治的なイデオロギーは
限りなく薄い作品であることも付け加えておきたい。

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いまどきのテロル

2025年07月03日 | 映画など
高橋伴明監督「夜明けまでバス停で」を見る。
3年前の映画だけど、公開時に見逃してしまい、
その後、見る機会がなかった。
今回、阿佐ヶ谷の映画館で伴明監督の特集があり、
そのラインアップに入っていたので、
これは女房を質に入れても(問題発言)行かねばと。
で、期待に違わずの傑作だったという。


2022年、バス停のベンチで休んでいた
路上生活者の女性が殺害された事件が
題材になっている。
コロナ禍で仕事を失い、
路上生活を余儀なくされたこの女性に
大きな同情が寄せられたのは記憶に新しい。
彼女を殺した犯人がもちろん悪いのだけど、
もっと大きなもの、行政とか国とかに
殺されたも同然との声も盛んに聞かれた。

「俺の出番だ」と伴明監督は思ったんじゃないだろうか。
70年代学生運動の先鋭化を経て大きな挫折を背負った
負け犬たちをピンク映画のなかで描いてきた伴明監督は、
コロナ禍で仕事を失い、ホームレス状態になった
三知子(板谷由夏)に、かつて権力に刃向かっていた
自分たちの影を見ているようだ。

三知子は、絶望の淵に追いやられるも、
代々木公園に住む老人たちの助けを得て、
弱者を切り捨て、オリパラに狂騒するお上に反旗を翻すのだ。

とはいえ、かつて若松孝二監督らがやってのけた
テロルそのものを描くのではなく、
令和のいま、主人公たちがやれる方法で権力の鼻を明かそうとする。

板谷由夏とシスターフッド的な連帯感を示す
大西礼芳と片岡礼子のカッコ良さ。
それからなんといってもルビー・モレノである。
彼女が元気な姿を見せてくれていることが、
ただただ、嬉しい。

かつて爆弾犯だった老人を演じるのは柄本明。
加えて根岸季衣と下元史朗が出てくると、
途端に70年代から80年代にかけての
日本映画のにおいが漂ってきて、
令和のいまに繫がるところが、とてもいい。

と、ここまで書いてきて、
本作は、いかにも伴明監督なテーマを持った映画だと思いきや、
じつは脚本を書いた梶原阿貴の企画だったらしい。
その真相は彼女が書いた「爆弾犯の娘」という本に詳しいようで、
未読なのでぜひ読んでみようと思う。

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見えないものを見ようとして

2025年06月24日 | 映画など
早川千絵監督「ルノワール」を見る。
「お引っ越し」とか「こちらあみ子」とか、
少女を主人公にした映画で、たまにものすごい傑作が出る。
本作もそうかどうかはともかく、
どうしてこんな映画をつくることができるんだろう。
だって、作っているのは大人だよ。
子供のピュアな目を通して大人の社会を描く的な、
そんな紋切り型な言葉では、
この映画は到底語れないような気がするわけで。


主人公のフキ(鈴木唯)は11歳の小学生。
生と死を超越したような作文を書いたり、
超常現象みたいなものに敏感だったり、
身体が少し宙に浮いているような女の子だ。
とはいえ、ふつうに学校に通い、友だちもいる。
母親(石田ゆり子)との関係も悪くない。

そんなどこにでもいる、
というか、少し変わったタイプの女の子が、
がんで余命幾ばくもない父親(リリー・フランキー)とは
不思議なくらい波長を合わせていく。
父親に対する愛情というよりは、
死のにおいと交信している感じというか。
母親と浮気をする男(中島歩)の
罪深さみたいなものにも反応を示す。

少女の無垢な目というのとも違うし、
周りの大人とのかかわりを経て成長していく、
というありきたりな描き方でもない。
ただただ不思議なんだけど、嫌悪感はまったくない。

唯一、目を塞ぎたくなったのは、
伝言ダイヤルで見知らぬ男と会い、
その男の家に連れ込まれる場面だ。
やめてほしいと思いながら見ていると、
そこで男がフキに向かって
「口がくさいよ」という台詞にたまげる。
嗅覚を感じさせる映画は
それだけで傑作だと断じてしまう
アホなシネフィルとしては驚愕するばかり。

ポスターにある、
人生の始まりを祝福されたかのような
船上のパーティーの場面で、フキは踊る。
生きているあいだに起こるさまざまな出来事に対して
踊りながら受けとめたり撥ね付けたりする。
それこそが人生なのでないだろうか。

とまあ、珍しくテーマを考えながら映画を見てしまった。
そういう意味では脳味噌を使いながらも、
心に引っ掛かる映画でもあるというか。
つまりは傑作なんだろうな。うーむ。でも。

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生きる意味を求めて

2025年06月17日 | 映画など
李相日監督「国宝」を見る。
あのですね。このブログを見ている人。
いいから黙って映画館に行きなさい。
で、この映画を見て打ちひしがれるといいです。
なんという傑作。こんな映画が見られるなんて、
生きてて良かったと万人が思うことでしょう。
とかなんとか、いくら美辞麗句を並べ立てても、
到底、この映画の素晴らしさは表現できないわけで。


のっけからスリリングで心を奪われる。
ヤクザの子である喜久雄(吉沢亮)は
親分である父親を殺され、
それを目の当たりにする場面。
これってヤクザ映画なの? 歌舞伎の映画じゃないの?
と観客を惑わせるほどの熱量で斬った張ったが描かれる。
業の深さを体に染みこませるかのように、
ガキンチョのくせに彫り物を背中に背負う喜久雄。
歌舞伎役者の半二郎(渡辺謙)に引き取られ、
跡取り息子の俊介(横浜流星)とライバル関係になりながらも、
友情を育んでいくくだりも、大河ドラマを見ているような気分になる。

歌舞伎のことは大して知らない。
ただ、近松門左衛門の「曽根崎心中」は
増村保造の映画で見ているからよくわかるというか。
この演目を演じる喜久雄と俊介の鬼気迫る芝居。
壊疽におかされた俊介の素足を
喜久雄が凝視する場面は映画史に残るでしょう。

業を背負った喜久雄はさらに、
芸の道に突き進んでいく。
いったい、その先には何があるんだろう。
いくら突き詰めたって幸せにはなれないだろう、と思いながらも、
堂々と正攻法すぎる演出のなか、
芸道の恐ろしさと美しさに惚れ惚れするしかない。

俳優はみんな素晴らしい。
薄気味悪さと高貴さがないまぜになった
人間国宝の歌舞伎役者を演じた田中泯をはじめ、
すべてを冷徹に見つめるタニマチの三浦貴大もいい。
寺島しのぶは、まんまの役で、
あざとすぎると思うも、醸し出す空気感が本作を
説得力のあるものにしているんだろうと思ったり。
そして高畑充希。屈託のあるヒロインを演らせると
この人はものすごい魅力を放つ。
後半、落ちぶれた吉沢亮を支える森七菜は、
演技開眼じゃないかと思うぐらいの存在感。

あれ〜奥さん(←誰?)、
まだ映画館行ってないんですか? んもお。
四の五の言わずに行ってくださいよ〜奥さん(←誰?)。
えっ。だ、旦那(←誰?)
見てないんですか。どうしたんですか。
旦那(←誰?)ともあろう人が。あちゃあ。
今すぐダッシュで見ましょうよ


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早とちりと思い込み

2025年06月14日 | 映画など
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督
「新世紀ロマンティクス」を見る。
中国という国は、ジャ・ジャンクーと
王兵(ワン・ビン)の映画を見れば理解できる。
なあんて思っている自分は
やっぱりアホなシネフィルなんでしょうか。
そもそも映画を見たぐらいで、わかった気になるのは
おこがましいというか、ヨコシマに過ぎるわけで。


映画の冒頭は2001年の中国。
これから高度成長をしようとする国のなかで、
モデルのチャオと恋人のタオはとても楽しげだ。
経済が上向くにしたがって、チャオの佇まいは華やかになり、
タオもバブリーな感じになっていく。
時代は移り、北京オリンピックでさらなる
経済的成長が期待されるなかで、チャオとタオの関係は
うまく行かず、商売もいまひとつな感じが漂ってくる。
経済優先で巨大なダムが建設され、
かつての町や村が水に沈むなか
離ればなれになっていくふたり。

というか、ちゃんとした説明がされないので、
見ている自分の想像で書いているんだけど、
おおむね間違ってはいないんだろうと思ったりする。
セリフや説明じゃなく、映し出される風景と情景。
その中に蠢く人々の動きで想像しろ、
ということなんだろう。そういう意味で、
ものすごく寡黙な映画なんだけど、観客の頭のなかは
かなり騒々しいというか、いろんなことを考えながら見るわけで。

終盤はコロナ禍の中国が映し出される。
そこに、すっかり人生を諦めた感のあるタオと、
それでも生きていこうと走るチャオの姿が映る。
時代と経済に翻弄されながら、絶望と希望が渦巻く。
どうだ、これが中国なんだ、と言われている気が
やっぱりするんだよな、と思うアホなシネフィルだったのです。




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脱いでもすごいんです

2025年06月07日 | 映画など
クリストファー・マッカリー監督
「ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング」を見る。
うん、確信した。トムクル(62歳)がいる限り
映画というメディアは滅びないんじゃないだろうか。
いつまでも若いし、走るし飛ぶし
沈んで浮かんで、おまけに脱いじゃうんだから、もお。


前作「〜デッド・レコニング」から2年。
割と複雑なストーリーだった記憶があるので、
ついていけるかなと思いきや、
つまりは暴走したAIがいて、それを悪用しようとする
サイコな悪い奴がいて、世界の崩壊を食い止めるために
トムクル演じるイーサン・ハントと仲間たちが頑張る、という話だ。
語り口は明快ではないが、単純といえば単純。
物語を進めるための説明は誠実で丁寧だし、過去作を
大事にしているところも見受けられて好感が持てる。

先に書いたとおり、
トムクルはそれはそれは大活躍なのだけど、
決して俺様ではないところも、いい。
仲間たちの活躍もしっかり見せてくれるし、
トムクルのスパイ大作戦は、チームワークあってのものなのだ。
長年、シリーズを見続けてきて、
ようやくそのことに気がついた自分の鈍さに愕然としつつ、
トムクルをさらに見直すことになってしまったのです。

唯一、つい脱いで(脱げて)しまうところだけは、
トムクルの自意識が見え隠れするというか。
せっかくオレ、鍛えてるんだからさあ、シャワー浴びてるときに
命を狙われるシーンとか入れてよ〜ねえ。
と脚本家におねだりしていたのではと邪推。


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