Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

おっさんが生きる価値

2024年07月21日 | 映画など
フランク・キャプラ監督
「素晴らしき哉、人生!」を見る。
言わずとしれた名作中の名作だけど、
実はこれまで未見。シネフィルって何でも見ているようで
大して見ちゃあいないんです。すいません。
といつもの自虐モードはともかく、
コレを見ないうちに死ななくて良かった。
つまりは生きてて良かった。大袈裟でなくそう思う。
ありがとうキャプラ。ジミー。そしてシネマヴェーラ。


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さんざん後悔して泣くがいい

2024年07月12日 | 映画など
押山清高監督「ルックバック」を見る。
漫画の才能に絶対的な自信を持つ藤野。
引きこもりだが圧倒的な画力を誇る京本。
この二人の女の子がひたすら描くことに情熱を傾ける
掛け値なしの青春物語。演出と作画の力も相まって、
まさに傑作。勢い余って原作も即買いして
一気読みしちまいました。


私より絵ウマい奴がいるなんてっ
絶っっ対に許せない!

動機やモチベーションはどうあれ、
主人公の藤野は京本への
ライバル心を燃やし、ひたすら描く。
机に向かって、スケッチブックにひたすら描く。
その懸命さ、描いて描いて描きまくる後ろ姿。

京本は藤野の漫画の背景を担う。
藤野は机に向かい、
京本は床にすわりテーブルに向かって描く。
またしてもひたすら描くだけの描写が続く。
画面は驚くほど動かない。静止画の連続なのに、
こうしちゃいられない、といますぐ映画館を出て、
自分のやることをやらないとダメだろうと思わせるほどだ。
映画館に埋没させる映画はたくさんあるが、
映画館から出て行けと思わせる映画は、そうそうあるものじゃない。

とはいっても映画は1時間足らずだったし、
見ている途中で出ることはなかったのは、
クライマックスの、もしかしてあったかもしれない
もうひとつの青春物語が怒濤の展開だったからだ。
驚き、感極まり、そして前を向くための
勇気を大いにもたらしてくれて号泣。


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饂飩の味

2024年06月29日 | 映画など
濱口竜介監督「悪は存在しない」を見る。
タイトル通りの映画だと思う。
悪は存在しない。じゃあ何が存在するのか。
いくら眼を懲らしても、山と雪と水とそこに住む人と、
都会からやって来た人と車と鳥と鹿しか見えず、
耳を澄ましても、不安をあおる音楽が鳴り響くだけなのだけど。


グランピング場の設営計画が持ち上がった
長野の自然豊かな町で起こる不協和音。
政府の補助金目当てで
グランピング場を作ろうとする東京の芸能事務所と
設営による環境汚染を防ごうとする
町の人々との対立のドラマに緊張が走る。
明らかに設営しようとする芸能事務所の男女が
悪者だと思いきや、彼らの心情が細かく語られ、
悪って存在しないんじゃないの? 
と見る者の心をゆり動かす映画になっている。

ぐらぐらと揺れながら見ていくうちに、
予想もしなかった方向に映画は進んでいく。
町を、山を、自然を怒らせた罪で
人間たちが試練を受けてしまうような結末に呆然とする。

似た映画を思い出した。
「もののけ姫」だなあ、と。鹿も出るし。
ともあれ、自分は何を見て、聞いて、
何を感じたのかを自問自答する106分。

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躍動さらさら

2024年06月22日 | 映画など
ジョン・カサヴェテス監督「グロリア」を見る。
初公開時に見たきりで、何十年ぶりかの再見。
名作であることは決まり切っているけれど、
いやあ。惚れ直しました。
ジーナ・ローランズすげえ。演出すげえ。
ロケーションすげえ。ガンファイトすげえ。


ジーナ・ローランズすげえ。
アヌーク・エーメも理想の大人の女性だが、
本作のジーナ・ローランズにもその称号を捧げたい。
度胸があって、ここぞというときの胆力もあって。
理性より本能が先に働くそそっかしさもありながら、
ギャングどもに銃をぶっ放すときの迫力といったら。
男社会のギャングの中で渡り合った
メンタルの強さは筋金入りだが、女だから割を食った経験も
さぞかし多かっただろう。
その恨みつらみを炸裂させるところのカッコ良さ。

演出すげえ。
親友の息子フィルを連れて逃げるグロリアだが、
ニューヨークの街という街にギャングたちが
蠢いていて、街の雑踏のなかで生きるか死ぬかの
やりとりが展開される。サスペンスを
たたみかけるような演出というよりは、
特にハッタリの少ない日常描写のなかで、
ところどころにグロリアの
喜怒哀楽を浮かび上がらせようとする感じ。
と言ったら、見た人には伝わるだろうか。

ロケーションすげえ。
ニューヨークのサウスブロンクスで撮影したらしく、
人物が風景に溶け込んでいて、
それでいて、キャラが立っているというか人間くさいというか。
グロリアがタクシーを巧みに使って、
逃げたり追いかけたりするのだけど、
その運転手がみんな一癖も二癖もあり、
なんとも豊かな映画になっているという。
音楽もいい。「ロッキー」のビル・コンティらしく
勇ましいがどこか哀感のある劇伴が
エンタテインメントとしての魅力を増幅させている。

ガンファイトすげえ。
ガキを渡せと言われて、
グロリアが拳銃を始めてぶっ放す場面。
ついに一線を越えてしまった場面のショック度がたまらない。
カサヴェテスは活劇を撮らせても上手だったんだなと。

おそらくカサヴェテス映画の中で
もっともヒットした作品で、そもそも彼は
子供が出る映画は売れると聞き、
脚本は書いたが、監督するつもりはなかったという。
映画が完成しても映画会社は満足せず、お蔵入りになりかけたが、
スピルバーグが絶賛して公開にこぎつけたらしい。
カサヴェテスはこの映画の続編の脚本を書いており、
10年後にグロリアとフィルが再会し、
またギャングに追われる話らしい。
いつか息子のニックか娘のゾエが監督してくださいな。


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ただひたすらの眼力

2024年06月02日 | 映画など
ジョージ・ミラー監督
「マッドマックス:フェリオサ」を見る。
実はこのシリーズに
それほど思い入れがあるわけではなく、
新作が公開されれば、まあ見るかなあという感じではあるのだけど、
今回はけっこう前のめりだったという。
それはひとえにアニャ・テイラー=ジョイが
主演しているからなのです。逃げも隠れもいたしません。


そのアニャ嬢が演じるのは、
前作「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」で
事実上の主役だった女隊長フェリオサ。
彼女の若き日を描く前日譚だ。

「譚」とは物語の意味だが、
本作はほぼ物語というかドラマがない。
あるのは、暴走と殺し合いばかりの殺戮世界だ。
アクションに次ぐアクション、という言い方が
生ぬるいというか、だだっ広い荒野のなか、
延々と大暴れする連中をただただ追いかける映画。

アニャ嬢はほとんど台詞がない。
その印象的な目のなかに怒りを膨らませて
母親の仇であるバイカー軍団への復讐に燃える。
荒涼きわまる映画だけれど、意外と明るいイメージなのは、
バイカー軍団の首領ディメンタスを演じる
クリス・ヘムズワースの陽気な個性のおかげだろう。
のらりくらりというか、C調(死語)な悪役。
どこか憎めなくて、フェリオサにぶち殺されなくても
いいんじゃね? と思わせるほどだ。

ともあれ、俳優陣の体を張った怪演を楽しみ、
アクションに酔いしれるのがいいだろう。
過去のシリーズとの整合性や伏線、世界観を細かく
味わうことができれば楽しみも倍増だと思う。
自分はそこまでのファンではないので
誰か詳しい人、本作の楽しみ方を教えてくださいな。

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いまわのきわに

2024年05月25日 | 映画など
リチャード・フライシャー監督
「ソイレント・グリーン」を見る。
51年前のSFディストピア映画が
まさかのデジタルリマスターでリバイバル。
おお。人間のすべての感情、
喜怒哀楽が詰まっている映画ではないか。
つまりは、傑作ということです。


時代設定は近未来の2022年。
2024年のいま見ると、このディストピア観は
ほぼ的中していたと思っていい。

爆発的な人口増加と気候変動により、
人々は住む場所を失い、食料難となる。
ものすごい格差社会で、ごくごく一部の富裕層と、
喰うのにも事欠く人々がうごめく地獄絵図。
って、なんか今の世の中もこの映画通りになっている気がする。

食料難のため政府が配給する
ソイレント社という、政府と癒着しまくりの
大企業が製造する栄養食品に群がる人たちが
十把一絡げに扱われていく。人を人とも思わない
腐りきった富裕層どもが、若い女性を奴隷のように使役する。
パワハラもセクハラもモラハラもやりたい放題。

主人公の刑事を演じるチャールトン・ヘストンがいい。
殺されたソイレント社の幹部の男の調査をしつつ、
その男の部屋にある食い物をちゃっかりせしめて
「肉なんて喰うのは久しぶりだ」と悦に入り、
男が囲っていた美女もついでにモノにする。
ギラギラした悪人ヅラをするヘストンが
こんなに魅力的だとは。見直しましたよ。ほんと。

地獄のようなこの世界に愛想が尽き、
ヘストンと同居する老人が、安楽死ができる施設に行く場面が
本作の白眉。とんでもなく美しくて残酷な死を遂げるのだ。
老人を演じたエドワード・G・ロビンソン。本作が遺作のようで、
なんという映画を最後に残してくれたんだと嘆息。
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記号と記憶の先に

2024年05月19日 | 映画など
藤井道人監督「青春18×2 君へと続く道」を見る。
劇中、バイク二人乗りの場面で、
清原果耶が「台湾映画みたい!」と喜びの声を上げた瞬間、
おっさんは号泣しちまいましたよ。
お涙頂戴の映画だと言いたければ言えばいい。
映画は泣いたモン勝ちじゃ。文句あるんか、あん?


メインの舞台は18年前の台南。
台北ではなく台南というところが、いい。
大都会ではなく、ひなびた地方都市のイメージが
親しみと懐かしさを増す。
バックパッカーの日本人アミと、
台南に住む高校生ジミーとの
ラブストーリー以前の心の触れあいがいとしい。

映画は30代になったジミーが
日本にいるアミの実家を訪ねるまでの
ロードムービーとなっていて、道すがらに
出会う人々との交流が、これまたいとしい。
なかでも松本の夜の街を案内する居酒屋店主との
訥々とした会話をとらえたカメラワーク。
やさしさに満ちあふれた場面に感じ入る。

アミの実家に近づけば近づくほど、
ファンタジックな雪景色が広がっていくが、
これはジミーとアミが台南の映画館で
岩井俊二監督の「Love letter」を
見る場面と重なり合っていく。
ジミーが日本の雪原の上にどさっと寝転ぶ姿は
「Love letter」が好きな人にはたまらないだろう。

時間と記憶の物語が進むなか、
ちょっとしたフェイクというか仕掛けで
主人公であるジミーと観客の感情が見事にシンクロしていく。
ある意味、ずるい脚本であり、
いやらしい演出だと思ったりもする(褒め言葉です)。

シャイなジミーを演じるシュー・グァンハンの清々しさ。
明るくて礼儀正しいが、
重さと暗さを抱えたアミを演じる清原果耶との
カップリングもいい。最初に触れた
「台湾映画みたい!」の台詞に号泣した自分は、
台湾(映画)といえばバイクでしょう。と、
そんな思い込みと思い入れによるもので、
ごくごく個人的な琴線に触れてしまったというか。

台湾行きてえ。台南いいな。
で、台湾麦酒と焼き飯をかっくらいたい。
そんな願望が炸裂する出色の観光映画でもありました。

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けだるい青春の夏

2024年05月06日 | 映画など
山下敦弘監督「水深ゼロメートルから」を見る。
「アルプススタンドのはしの方」の好評を受けて
高校演劇の映画化という新たなジャンルの萌芽が興味深い。
山下監督による本作も「水のないプール」という、
演劇的な空間のなかで、映画的なきらめきと
高揚感を与えてくれる良き映画でした。


この映画の舞台である「水のないプール」。
プールの底には、砂粒が多く積もっていて、
主人公の女子たちはプールの授業を
休んだペナルティーで掃除をさせられる。
このプールの砂は、グランドの野球部の練習のせいで
降りそそいできたものだ。この砂の意味はなにか。
野球部の男子たちが排出したものを
女子たちが片付ける構図を考えれば明らかだろう。
そんな主人公たちに、夕立の雨が降りそそぐ。
悩みも鬱屈もすべて洗い流そうとする雨。
思いきり濡れながらも、きりりと前を向く彼女たち。
ここにきらめきが、そして高揚感が、ある。

夏休みの学校。
人気(ひとけ)のない校舎が出てくる映画は、
それだけで、いい映画になると思いたい。
山下監督。お見事です。


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私はあなたが好きでした

2024年04月30日 | 映画など
前田陽一監督「土佐の一本釣り」を見る。
キャンディーズのスーちゃんこと
田中好子がヒロインを演じた、というだけで
映画史に燦然と輝く作品ではあるけれど、
実はこれまで初見。シネフィルって何でも見ているようで、
じつは大して見てないんです、すいません。
という自虐モードはともかく、
いろんな意味で見ごたえのある映画だったという。


とにかく、スーちゃんに尽きる。
あまりに可憐で、やっぱり自分はスー派だったと再認識。
一時期はラン派に鞍替えし、サンプラザのライブで号泣したり、
もしかしてミキ派かも、と思いながら、
「夢恋人」のレコを買ってにやけたりして深く反省。

で、肝心の映画はどうかというと、
青柳祐介の原作は遠い昔に読んでいたけれど、
土佐という地域性と、漁師という仕事は、
かなりマッチョな男性観に溢れていたと思う。
その映画化である本作も、
主役の純平がスーちゃん演じる八千代に向かって、
「女は三歩下がって歩くんじゃ!」と強いるような場面があった。
もう40年以上前の映画だし、
かなりジェンダーバイアスがかかっているなと思いきや、
純平が一人前の漁師、かつ一人前の男になろうとして
ことごとごく失敗するコメディになっている。
男っぷりの良さというよりは、男の馬鹿馬鹿しさを笑っているような
そんな映画になっていると言ったら深読みのしすぎかな。

スーちゃん始め、
宍戸錠に加藤武、蟹江敬三、山谷初男、志賀勝、成田三樹夫、
そして樹木希林など、鬼籍に入った人も多く、
高知の暖かな気候のなか躍動する
俳優さんたちを愉しみつつ偲ぶのでした。


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わかり合えなくてもいいじゃない

2024年04月21日 | 映画など
ソフィア・コッポラ監督「プリシラ」を見る。
プリシラとは、エルヴィスの妻、プリシラ・プレスリーのこと。
ポスターを見る限り、甘い映画に見えるのだけど、
けっこうな苦味というか雑味というか。


ソフィア・コッポラという監督は、
ゆるゆるとした日常描写に本領を発揮する人だと思う。
「ロスト・イン・トランスレーション」も
「Somewhere」も、セレブな人たちが、
ダラダラと日常を送りながら、
内面に少しずつ溜まってくる違和感のようなものを
浮き彫りにしていく。

演出は軽快でリズミカル。
その時代背景に合った音楽に合わせて、
本作でいうと、プリシラが14歳でエルヴィスと出会い、
そのファッションから髪型、表情が変わっていくところが興味深い。
このあたりが本作のいちばんの見どころで、
彼女の容姿の変遷がアメリカの戦後カルチャーを写しだしていると
言ったら深読みのしすぎだろうか。

プリシラを演じるケイリー・スピーニーは25歳というけれど、
冒頭に登場したときの彼女はお子様にしか見えない。
メイクやスタイリスト、演技が上手なんだろうけど、
エルヴィスという10歳離れた男性と、
しかも世界一のスーパースターとの恋愛は、
ごくごく控え目に、じわじわと火が付いていくような感じで
いじらしいというか、じれったいというか。

その初々しい感じが、だんだん影をひそめるようになり、
すれ違いと小さな諍いが続いていく。
プリシラは最後までエルヴィスを理解できず、
エルヴィスのほうもプリシラへの愛情は
とことん不器用だということが描かれていく。

金持ちやセレブの憂鬱さなんか
理解できない(したくない)けれど、
なんとなく感じることができるのが
ソフィア・コッポラという監督の良さというか。
見たことのないものを見せてくれるのが
映画の魅力のひとつだと思ったりするのです。

補足として。
2年前に公開されたバズ・ラーマン監督の「エルヴィス」は、
悪徳マネージャーのパーカー大佐の視点から描いていて、
本作と比較すると興味深いのだけど、
エルヴィスという人の描き方がほぼ同じなので、
そういう意味で、2本立てで見ると良さげです。

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