南信長「漫画家の自画像」(左右社)を読む。
手塚治虫のお馴染みのベレー帽をかぶった自画像を始め、
400以上の漫画家の自画像の意味を考察、分析し、
その変遷を通してマンガ文化の豊かさに触れる書。
きちんと図版が収録されていて
楽しさと説得力が倍加されるだけでなく、
年表や索引も充実。資料的価値も高い。

マンガという表現方法において、
作者本人が作中に登場するのは
ごくごく当たり前のことであり、何の不自然さも感じない。
でもよくよく考えると、
小説や映画では、作り手が劇中にいきなり出てきて、
ときには物語を動かしてしまうほどの
存在感を示すことは多くないと思われる(私小説やエッセイは別)。
いわゆるメタ的な表現がごく普通に見られるのは
マンガ特有の現象だということがわかる。
自分が小学生の頃、ジャンプやサンデーなど、
作者の似顔絵と近況が書かれた奥付のページは
必ず読んでいたし、永井豪や本宮ひろ志の
似顔絵と本人の実像を(たとえ似ていなくても)
完全に同一視していたことを思い出した。
本書はそれぞれの漫画家が、
自画像をどのように捉えて描いているのか。
本人そっくりの場合もあれば、
美化されている場合もある。
あるいは動物(荒川弘とか)や
ロボット(鳥山明とか)みたいな自画像を描く人もいて、
そうした実例をいちいち分析していく著者の筆致が嬉しそう。
小林よしのりみたいに、
「東大一直線」の頃は冴えない浪人風だったのが、
「ゴーマニズム宣言」の頃はイケメンになるなど、
同一の漫画家の似顔絵の変遷も興味深い。
本書のテーマは、
漫画家が出てくるマンガの歴史的立ち位置を
はっきりさせることだと思われ、
後半出てくる、ものすごい数の漫画家マンガを
語っていくくだりのドライブ感に圧倒される。
ほんとに労作だと思う。
でも力が入っているようには見えず、
ひたすら楽しい感じが伝わってくる。
だから、労作と言うよりは、快作とか充実作とか
そんな形容をしたくなるのです。