Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

できるのは長生きだけ

2021年08月06日 | 読んでいろいろ思うところが
安田峰俊「八九六四」(角川新書)を読む。
タイトルの数字は
1989年6月4日のこと。
つまり天安門事件が起きた日だ。
中国が民主化する最後のチャンスだったとも言われる
この運動に身を投じた人たちの
栄光と悔恨が入り交じる、
なんとも人間くさいルポルタージュ。


天安門事件って、もう32年も前のことになるんだな。
あのとき、天安門広場で民主化を唱えた若者たちは、
国の部隊に武力で鎮圧され、ある者は地方に逃げ、
またある者は海外に亡命し、
さらにある者は密かに民主化運動を続けている。

本書はそんな人たちの証言を集め、
当時の状況と現在の立ち位置を明らかにしている。
まさに十人十色。弾圧されたことに深い恨みを抱いている人もいれば、
「未熟だった」と若気の至りを苦笑しながら回顧する人もいる。
ネットなどで反体制の言論を貫いている人もいて、
そうした人たちは海外に逃亡し、それでも当局に捕まった人や、
米国に逃れ、そこの中国系移民の英雄になったりする人もいる。
あの頃の情熱を胸に秘めながらも、自分の子供がデモに行くとしたら、
それはやめてもらいたいと矛盾した物言いをする人もいる。

香港の雨傘運動、そして最近の民主化デモは
天安門事件と比較されることは多いけれど、
香港での活動家たちは、天安門のことを驚くほど知らない。
世代が違うので、それは仕方のないことだし、
香港での民主化運動を担う集団にもさまざまな派閥があり、
決して一枚岩で中国政府に反旗を
ひるがえしているわけではないことが説明される。

ほんとに多種多様な人たちが登場するので、
読後感はすっきりしない。
革命を目指して挫折してしまう悲劇に
涙するわけにもいかないし、
あの頃は良かった、夢があった、情熱を燃やしていた、
と過去を懐かしがるようなカタルシスもない。
ただひとつだけわかることは、中国という国、つまり
中国共産党はますます強権を振りかざす存在となり、
個人の自由と人権がないがしろにされているということだ。

でもそれ以上に、
中国はものすごい経済発展をしているわけで、
多少、権力に監視されていても、
マイノリティーが不当に差別されていても、
裕福な国民が何億人といるから、
革命の意味を見いだせない人が多いのが現状のよう。

文中、天安門事件の学生指導者の筆頭だった王丹(ワン・タン)が、
天安門事件を失敗した原因を述べているので、引用したい。

①思想的基礎の欠如
ひとり一人の参加者が民主や民主運動についての
明確な概念を描いていなかった。

②組織的基礎の欠如
参加者に対するしっかりした指導の中心や
指揮系統が存在せず、途中から運動が四分五裂に陥った。

③大衆的基礎の欠如
学生と知識人だけが盛り上がり、一般国民への参加の呼びかけを怠った。
また政府内に存在するはずの改革派と組む姿勢を取らなかった。

④運動の戦略・戦術の失敗
デモ参加者は学生運動の純粋性をひたすら強調し、
当局への譲歩や一時撤退といった柔軟な戦術を一貫して否定し、
弾圧を招くことになった。

こうした原因を引き起こすことなく、
社会運動が成功したのが2014年に台北で起きた
「ひまわり学生運動」だという。
当時、総統の馬英九が中国と結ぼうとしていた貿易協定に反対し、
学生たちが立法院を占拠し、50万人規模のデモを組織して
政府と交渉し、ついにはその協定を棚上げさせた事件のことだ。

天安門事件も香港の動乱も、
失敗に終わったかもしれない。
そして中国では民主化への道は閉ざされたかもしれない。
でも失敗から学ぶことはあるはずだ、と、
現在の立ち位置はどうあれ、
かつて運動に情熱を燃やした人たちの思いに報いるためにも、
隣の国に住む自分もいろいろ考えるべきなのだろう、と。


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