安田峰俊「八九六四」(角川新書)を読む。
タイトルの数字は
1989年6月4日のこと。
つまり天安門事件が起きた日だ。
中国が民主化する最後のチャンスだったとも言われる
この運動に身を投じた人たちの
栄光と悔恨が入り交じる、
なんとも人間くさいルポルタージュ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/f5/28f514cacfaf8203560a8d069770fbdb.jpg)
天安門事件って、もう32年も前のことになるんだな。
あのとき、天安門広場で民主化を唱えた若者たちは、
国の部隊に武力で鎮圧され、ある者は地方に逃げ、
またある者は海外に亡命し、
さらにある者は密かに民主化運動を続けている。
本書はそんな人たちの証言を集め、
当時の状況と現在の立ち位置を明らかにしている。
まさに十人十色。弾圧されたことに深い恨みを抱いている人もいれば、
「未熟だった」と若気の至りを苦笑しながら回顧する人もいる。
ネットなどで反体制の言論を貫いている人もいて、
そうした人たちは海外に逃亡し、それでも当局に捕まった人や、
米国に逃れ、そこの中国系移民の英雄になったりする人もいる。
あの頃の情熱を胸に秘めながらも、自分の子供がデモに行くとしたら、
それはやめてもらいたいと矛盾した物言いをする人もいる。
香港の雨傘運動、そして最近の民主化デモは
天安門事件と比較されることは多いけれど、
香港での活動家たちは、天安門のことを驚くほど知らない。
世代が違うので、それは仕方のないことだし、
香港での民主化運動を担う集団にもさまざまな派閥があり、
決して一枚岩で中国政府に反旗を
ひるがえしているわけではないことが説明される。
ほんとに多種多様な人たちが登場するので、
読後感はすっきりしない。
革命を目指して挫折してしまう悲劇に
涙するわけにもいかないし、
あの頃は良かった、夢があった、情熱を燃やしていた、
と過去を懐かしがるようなカタルシスもない。
ただひとつだけわかることは、中国という国、つまり
中国共産党はますます強権を振りかざす存在となり、
個人の自由と人権がないがしろにされているということだ。
でもそれ以上に、
中国はものすごい経済発展をしているわけで、
多少、権力に監視されていても、
マイノリティーが不当に差別されていても、
裕福な国民が何億人といるから、
革命の意味を見いだせない人が多いのが現状のよう。
文中、天安門事件の学生指導者の筆頭だった王丹(ワン・タン)が、
天安門事件を失敗した原因を述べているので、引用したい。
①思想的基礎の欠如
ひとり一人の参加者が民主や民主運動についての
明確な概念を描いていなかった。
②組織的基礎の欠如
参加者に対するしっかりした指導の中心や
指揮系統が存在せず、途中から運動が四分五裂に陥った。
③大衆的基礎の欠如
学生と知識人だけが盛り上がり、一般国民への参加の呼びかけを怠った。
また政府内に存在するはずの改革派と組む姿勢を取らなかった。
④運動の戦略・戦術の失敗
デモ参加者は学生運動の純粋性をひたすら強調し、
当局への譲歩や一時撤退といった柔軟な戦術を一貫して否定し、
弾圧を招くことになった。
こうした原因を引き起こすことなく、
社会運動が成功したのが2014年に台北で起きた
「ひまわり学生運動」だという。
当時、総統の馬英九が中国と結ぼうとしていた貿易協定に反対し、
学生たちが立法院を占拠し、50万人規模のデモを組織して
政府と交渉し、ついにはその協定を棚上げさせた事件のことだ。
天安門事件も香港の動乱も、
失敗に終わったかもしれない。
そして中国では民主化への道は閉ざされたかもしれない。
でも失敗から学ぶことはあるはずだ、と、
現在の立ち位置はどうあれ、
かつて運動に情熱を燃やした人たちの思いに報いるためにも、
隣の国に住む自分もいろいろ考えるべきなのだろう、と。
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