Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

恥ずかしくて寂しくて

2006年09月23日 | 読んでいろいろ思うところが
大槻ケンヂ
『リンダリンダラバーソウル』を読む。

1990年前後に突如起こったバンドブーム。
その渦中にいた作者が、自らの体験を綴った、
エッセイとも、小説ともつかない一冊だ。



バンドブームは僕も覚えている。
「いか天」も何度か見た記憶があるが、
それほど熱中したわけではなかった。
「たま」とか
「フライングキッズ」とか
「ユニコーン」をちょっと聞いたぐらいで、
「筋肉少女帯」は、彼らのビジュアルはよく覚えているが、
実際に聞いたことはなかった。

バンドブーム、というものをはっきり意識したのは、
ブームが終わってから、雑誌「ガロ」で
みうらじゅんの「アイデン&ティティ」を
読んだときだった。
僕はこのマンガでボブ・ディランの聞き方を教わり、
本物のロックを探し続ける主人公に涙した。

『リンダリンダラバーソウル』も、
そうしたバンドブームの
高揚感と、なんともいえない寂しさ。
まさに「青春」を過ごした人の吐息が感じ取れる。
「青春」と書くだけで顔から火が出るほど恥ずかしいが、
そう、恥ずかしくて寂しいものだと思う、青春は。

作中で主人公の恋人が、
本番を前にして弱音を吐く主人公を励ます場面がある。

──あのね、多分、大人になるって、
逃げ出せないことと、面と向かい合うことなんだと思う。
今逃げたってピンチは来るの。
逃げ場なんてない──。

ピンチが来ると、大抵の人は逃げる。
それは歳を取れば取るほど、その頻度が多くなるようだ。
そしてピンチをピンチと思えなくなるほど
人は臆病になり、鈍感になっていく。

逃げないこと。一歩踏み出すこと。
きっと恥ずかしいことだろう。失敗も多いだろう。
でもそうした体験をした人でしか
たどりつけない境地というものがあるらしい。

大槻ケンヂのこの本は、
さあおいでおいで、こっちは楽しいよ、と
読む人の背中をポンと押してくれる力を持っている。
コメント
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